同務

C'est la vie

同務

 1999年も大詰めになった12月の末の末、31日の真夜中のことである。チェ・ソファンは大晦日だというのにコンビニでレジ番をしていた。とは言っても特段客が来るわけでは無い。国道沿いにあるとは言え民統線に近い片田舎であり、客と言えば道に迷って憲兵に追い返されたドライバーの他はこの辺りにある大学の寮に押し込まれている可哀想な学生たちぐらいである。そして今は大晦日なのでその学生たちも帰省し、本当に誰も来る人間がいなくなっていたのだった。

 チェ・ソファンはその学生どもの端くれである。しかし年末に親元に帰らずこんなコンビニでぼんやり雑誌を読んでいる親不孝者である。大学では遊んでばかりでロクに勉強もせず、とうとう父親の堪忍袋の緒が切れて仕送りを止められたのでそれを良いことに帰省せずに寮に留まっているのだ。尤も金が出てくるアテがあるわけではないので自分で稼がなくてはならない。そのためこんなコンビニでバイトをしているといった次第である。

 そんなこんなで彼は周りは人家の明かりは見えない真っ暗闇、人っ子一人いない店内で、ラジオをかけながら雑誌を読んで店番に勤しんでいた。本当に誰も来ないのでこんな勤務態度でも文句は付けられないのである。しかしこの日ばかりはいつもと違った。いきなりラジオの音楽が止まると、普段は聞かないニュース番組を受け持っているのであろうアナウンサーの声が驚くべきことを告げたのだ。

「国民の皆さん、落ち着いて聞いてください。大韓民国政府によりますと、北韓が我が国を攻撃しました。46年ぶりのことです。すでにいくつかの部隊が非武装地帯を超え、我々の部隊を攻撃しているとのことです。北部にお住まいの皆様は、窓を閉め………」

なんということだろう。まさか生きているうちに北との戦争が始まるとは。兵役に行く前で良かった。いや、今すぐ召集されるのか?しかしそれを知る術はない。ともかく今すぐ寮に戻って荷物をまとめるべきか?されどもそれを知る術もない。実家に帰ろうにも今からでは鉄道もバスも動いてないのもそうだが、それ以前に今この店には店長がいないのである。店長が出勤する前に帰ったら無断欠勤と思われかねないし、給料を受け取ることもできない。それ以前の一大事だろう、という指摘は正解だが間違っている。ソファンは、仕送りを止められているために文無しである。文無しだからこんなバイトをしているのだが、それが意味するところは実家までの旅費を捻出できないということである。いや、この緊急時だし店の金をいくらか拝借しても許されるかな?そう思って彼はラジオを止めて聞き耳を立てた。静寂。蛙が池に飛び込んだ後のような静けさである。本当に戦争が起きているのか?砲声の一つも聞こえないのでまた不安になる。もし戦争じゃなかったら、窃盗罪で親どころか社会ともおさらばだぞ?もうこれ以上考えても仕方がない。ともかく、彼は来るかわからない店長が来るのを待つことにした。まだ北韓が来ていないなら店長が来てから考えれば良いし、来たならばその時店の金で逃げれば良い。彼は店番を続行することにした。

 彼が雑誌を読む仕事に取り掛かり、読みかけていたページを開いた時のことである。いきなり車の止まる音がしたと思うと、店の前が騒がしくなった。なんだ、珍しく誰か来たのか。ドアが開いて入店音が鳴り、“客”はつかつかと店内に踏み込んで来た。あーあ、仕事してるフリしなくっちゃ。そう思って顔を上げると、目の前に銃口があった。黒光りする金属の穴が自分を睨んでいる。一瞬何が起こったのか理解できなかった。しかし目の焦点が銃口の向こうに合った時、彼は全てを理解した。北韓兵が入店し、彼に銃を突きつけているのである。ソファンはおずおずと雑誌を置き、両手を挙げた。

「食い物を全部寄越せ!」

北韓兵が必死な様子で怒鳴りつけた。何も丸腰のコンビニ店員一人にこんな必死にならなくても。

「ど、どうぞ」

しかしこちらも銃口を突きつけられている。怖いものは怖い。ソファンはどもりながら答えた。銃を構えた兵士が目配せをすると、律儀に待っていた他の兵士たちが棚から食糧を漁り始めた。

 彼らは棚に陳列されているすべてのものにいちいち驚いていた。スナック菓子、さまざまな飲み物、パン、弁当、冷凍食品………そのすべてが彼らにとって目新しいようだった。いつの間にか銃を突きつけていた兵士も略奪に加わり、嬉しそうに棚から食べ物を取っている。ソファンは何故かこの光景を自然に受け入れていた。なんだ、奴らも人間じゃないか。ただ生まれた国が違うだけで。まるで悪魔のように忌み嫌われてきた共産主義者というのは、我々と変わらなかった。しかし彼らの軍服はみすぼらしく、ところどころほつれていて肘や膝などには布が当ててある。靴などは見るからに粗悪なスニーカーのような靴で、今のような冬には寒そうだ。しかも、今ここにいる兵士たちは皆頰がこけている。ここ数年、北韓では飢饉が起きているという。そのせいなのだろうか。最も優先されているはずの軍人でさえまともに食えないほどに食糧が足りないのか。

 そのうち、彼らは一つの棚を囲んで首をかしげ始めた。どうもそこに陳列されている物は誰も見たことが無かったらしい。見かねて見に行ってみると、そこはカップ麺の棚だった。ははあ、生まれてからカップ麺を見たことさえないんだな。

「おい販売員、これは何だ」

自分に気づいた兵士の一人が声を掛けてきた。今では彼らは怖くない。兵士たちの間に分け入って、カップ麺を一つ手に取った。

「こいつはインスタント麺だ。いつでもどこでも暖かい肉入り麺が食えるぞ」

「嘘つけ。鍋も無しにどうやって作るんだ」

「お湯を注ぐだけだ。俺が作ってやろう」

そう言って、ソファンは人数分のカップ麺を棚から降ろし、湯沸かし器を持ってきた。兵士たちの見ている目の前でお湯を沸かし、熱湯をカップに注ぐ。湯気に乗って美味しそうな匂いが広がり、兵士たちは今にも待ちきれなさそうな様子だった。しかしこいつは3分待たなきゃ食えない。箸を持たせたらカップごとがっつきそうな兵士たちを抑えて抑えて3分後、ソファンは10杯のカップ麺の蓋を剥がした。

 瞬く間にユッケジャンスープの美味しそうな匂いが広がる。店内に居られると床に並べたカップを蹴り倒しそうなので外で待ってもらっていた兵士たちに箸と一緒に渡すと、彼らは喜んで食べ始めた。今まで見たことの無い食べっぷりである。本当に腹が減っている人間の食べ方である。ここまで美味しそうにものを食う人間は初めて見た。兵士たちはしばらく無言でひたすら麺を啜っていたが、やがてとうとう涙を流し始めた。

「南ではこんなに美味しいものがいつでもどこでも食えるなんて………」

一人の兵士が絞り出すように言う。誰も声に出さないが、皆思っていることは同じだろう。彼らが南に生まれていたならば、少なくとも北韓がもう少し賢明であったならば、こんなことは無かっただろうに。

 なんだかしんみりした空気になったところで、一人の兵士が語り出した。

「俺たちの部隊は数日前に前線に移動してきたんだ。移動中も、移動した後も糧食は支給されなかった。これがこの国に来て初めて食べた物だ。ありがとう、同務トンム。こんな美味しい物を俺たちに…」

同務トンム?」

「北では同僚のことはこう呼ぶんだ。仲間や友達を呼ぶときにも使う。俺とあいつは同務だし今、俺とお前とも同務ってことだ」

たしかに、昔はチング友達と同じ意味でトンムと言った。もはや死語だが北ではまだその言葉を使っているのだ。気付けば、雪が降り出している。一杯のカップ麺は冷え切った兵士たちの体と心を十分に温めただろう。ふと気になって時計をみると、すでに0時を回っていた。新年だ。寂しい大晦日を過ごすものだと思っていたらとんだお客と一緒に年を越したものである。ソファンは、兵士たちに言った。

「新年おめでとう、友よトンム

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