三つ目の選択肢
神父猫
三つ目の選択肢
「あら、お目覚めかしら。」
そこにはぼくが表現できないほどの無が広がっていた。
「あなた随分と苦しんでいたみたいね。あなたがこの世界に着いてから随分、長い時を眠っていたわ。言葉以外で概念を見たのは初めてよ。」
何から聞けばいいのか全くわからない。
「概念?世界?君は何を言ってるの?ぼくには全く理解できない。」
「ふふ、愚かな概念だわ。あなた何か覚えてる事はあるかしら?」
「何も覚えてないよ。名前すらもわからない。今君と話せてる。これだけで精一杯だ。」
精一杯の力で聞いてみる。
「君の言ってる概念とは一体何なんだ。」
「仕方ないわね。教えてあげる。現実世界では存在出来なくなった人間の成れ果ての姿よ。以前いた世界の言葉で表すと幽霊かしら。」
「いまぼくと君が存在しているこの世界は、死後の世界みたいな場所なのか?」
「ふふ、もっと愚かで無慈悲な場所よ。」
「一体どういうこと?」
「ここでは永遠の時間と無を与えられるわ。私はこの世界で時空を越えられる程の時間を過ごしてきた。」
美しい女性の姿をした概念は、語り続ける。
「長い時の中で、初めて概念が現れたの。それがあなたよ。あなたもこの世界で、永遠の時と無を過ごすことになるわ。」
怯えた表情を彼女に見せてしまった。
「安心しなさい。まだそんなに怯える必要はないわ。この世界では目覚めてから少しばかりの時を過ごせば、世界から選択肢を与えられるわ。新たな生命として生まれ変わる、もしくは世界そのものとして生まれ変わる。」
「君は、後者を選んだの?」
「いいえ、違うわ。実は隠されたもう1つの選択肢があるの。それは世界からの選択肢を拒み、概念としてこの無の世界で存在し続けることよ。」
彼女にかける言葉が見つからなかった。
「あなたにこの世界の唯一の光を見せてあげるわ。セレモニーダイヤルよ。」
「これは何か文書で見たことがあるよ。周波数を合わせて情報を得る機械。」
「ふふ、なら話が早いわね。セレモニーダイヤルには三つの調整器が搭載されているわ。使い方は簡単よ。この調整器を回していると音が聞こえることがあるの。それが私たちが今存在している世界とは別世界の概念の会話を聞くことができるわ。それに、私たちの会話も別世界の概念がきっと聞いている。この世界の説明書は存在していないの。もちろんこの機械もね。私たちはこのダイヤルを使って別世界から概念としての生き方を学ぶしかないの。」
「他の二つの調整器は何に使えるの?」
「一つは、概念同士で生前の記憶を共有することができるの。私もあなたも生前の記憶が無くなっているはずよ。ただ、概念同士の了承があればお互いの記憶を見ることができるの。もちろん自分の記憶は見れないわ。見れるのは相手のだけよ。」
「もう一つは?」
「この調整器は、私には分からないの。きっと世界からの選択を受け入れた概念だけが使えるものだわ。」
この世界について少しばかり理解ができた。
「君はこの世界について何故、こんなにも詳しい?」
「私は別世界の概念から全てを学んだわ。今、この時のために。」
ぼくには彼女の返答の意味がわからなかった。
「セレモニーダイヤル。試しに使ってみてもいいかな。」
「ええ、好きに使ってみなさい。まずは概念同士の会話を聞くといいわ。」
調整器を回す。-23.5に合わせる。
「今夜のお食事は何にしましょうか?」
「ラム肉の串刺しなんてどうだ?」
唖然とした。
「概念に食事はできるの?」
「いいえ、できないわ。概念になったことに気づけない愚かな概念よ。」
「ぼくには愚かに見えないな。彼らはとても楽しそうだ。ぼくたちよりも。」
「ふふ、そうなのかもしれないわね。」
調整器を回す。-46.9に合わせる。
「ええ、いいわ。今夜は楽しみましょう。」
「君の全てが美しい。まるでこの無の世界みたい。」
調整器を回す。-83.7に合わせる。
「こっちへ来い。お前が悪いんだろ。」
「許して。今回だけは許して。もうこんなことにならないようにするわ。」
黙って美しい彼女を見た。
「概念というのは愚かみたいだ。選択肢が決まったよ。とっても聞いていられない。」
「待ちなさい。選択肢を決めるにはまだ早いわ。あなた生前の記憶に興味はないかしら。」
「君は興味あるのかい?」
「ええ、私は見てみたいわ。私が選択肢を選ばなかったのは自分自身について知りたかったからよ。」
彼女は愚かな概念とは違って見えた。
「記憶共有ダイヤル。回してみよう。」
「ふふ、あなた素敵だわ。」
彼女とぼくは手を握り、調整器を回す。
その瞬間、全てが一つになった。
彼女の生前の真実を全て見た。
意識が戻った彼女とぼくは目を合わせた。
彼女は驚きを隠せていなかった。
もちろんぼくもだ。
「あなた酷かったわ。家族を惨殺した後、自らに胸を刺していた。」
生前の全てを思い出した。
彼女に向かって一心不乱に叫ぶ。
「ぼくは悪くないんだ。違うんだ。彼らはぼくの全てを否定して来る日も来る日も痛め続けたんだ。ぼ くは地獄の様な日々に耐えることができなくなったんだ。この無の世界。ぼくはここの方が居心地が良いと思えるくらいだ。」
彼女はぼくをそっと抱きしめた。
「いいのよ。あなたが凶悪殺人鬼でもこの無の世界では関係ないの。あなたは私と同じ概念よ。」
もちろん概念に涙なんてでない。
でも殺人鬼の頃のぼくならきっと出ていただろう。
「君の記憶も見たんだ。」
ぼくは彼女の目を見つめる。
「君は、病室で暖かく見守られながら息を引き取っていたよ。」
「あなたってとても優しいのね。」
彼女の返答に困惑する。
「もう分かっているわ。この世界に私とあなたしか居ない理由。それを考えてみたらすぐに分かることよ。私もあなたと同じ凶悪殺人鬼。きっと私も家族を惨殺した。そのあと自ら命を絶ち、この無慈悲な世界に来てしまった。」
「つまりこの世界は、殺人鬼として一生を終えた愚かな概念が集まるところみたいだ。」
選択肢が決まった。
その瞬間彼女が語り出す。
「長くは語らないわ。私とここで永遠の時を過ごさない?」
「君とならこの永遠も悪くないのかもしれないな。」
ぼくは彼女の綺麗で美しい一言で選択肢を変えてしまった。
「決まりね。三つ目のダイヤルを回して、私たちの選択肢を世界に伝えましょう。」
「もちろんだ。ぼくらはこの無の世界に勝利したんだ。」
調整器を回す。-66.8に合わせる。
彼女は、俯いた。
次の瞬間、高く笑った。
何者よりも高く。
「あなたが生前、愚かな行為をしてくれて良かったわ。この世界にもう二度と概念が現れず、私はこのまま永遠の無を過ごす事になっていたかもしれない。長かったわ。とても長かった。私は生まれ変わるのよ。こんな汚れた私ではなく高度な存在に。」
ぼくの頭は壊れてしまったのか。
理解ができない。言葉も出てこない。
「さっき言ったわよね。この世界は強大な罪を犯した愚か者の概念が集まる世界よ。もちろんこの世界は選択肢を与えられるような甘い世界では無いわ。最初から選択肢なんてものは無かったの。三つ目のダイヤルを教えてあげるわ。犠牲ダイヤルよ。概念同士が了承を得ている時にだけ回せるわ。このダイヤルを回すとあなたの事をこの世界に幽閉し、私は新しい存在に生まれ変わることができるの。」
言葉の意味が理解できた時には自分の愚かさを無惨に殺したくなった。
生前のぼくのように。
今すぐにでも消えたかった。
もう消えることすら叶わない。
永遠の無を過ごすことになる。
彼女は、世界から消えた。
世界に一人、ぼくだけが残った。
あれからどれだけの月日が流れただろうか。
時空すら超えてしまっただろう。
永遠の無をさまよっていた。
そんな時だった。
一人の少女が眠っていた。
目を覚ました少女に、すぐに駆け寄る。
少女はぼくの目を見つめる。
ぼくは不気味な笑みを浮かべながら言った。
「やあ、お目覚めかい。」
三つ目の選択肢 神父猫 @nyanx
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