第4話

 空中回廊から見下ろすエルゴン駅は遥か下にあり、ドーム状の透明な屋根の中を歩く豆粒の様な人々は、まるで巣の中を歩き回る蟻の様に見えた。


「この空中回廊も迷宮産の技術なんだよ」

 タペースの中でケイロスは、アルに向かってそう説明する。


「そうなんですね」

「ほとんどの人は、魔法技術研究所の発明だと信じて疑わないけどね」

「確かに、一般の人は迷宮の存在自体に注目してませんしね」

「それには、一つカラクリがあってね」

「カラクリ?」

「君の家に魔導投影装置……クリスタルビジョンはあったかな?」

「はい、ありました。映像酔いするので、僕は、あまり見てませんでしたけど」

「だろうね……私も含めて、探索者になるような人間は、映像酔いの症状を持っているものなんだ」

「みんなですか?」

 驚いてアルが質問を返す。


「そう、探索者は全員と言っていい。対処法を知っていれば、映像酔いせずに見ることも出来るがね」

「対処法?」

「王国内……いや、探索者協会が存在する国、全てと言った方が良いな。つまり、迷宮が存在する国では、魔導放送に対して、認識阻害魔法を掛けているんだ。その魔法に対して耐性を持っている人間が放送を視聴すると、乗り物酔いの時の様な症状が現れる」

「何のために、そんな事をしているんですか?」

「何のためか考えてみなさい。きっと、ある程度は、察しているんじゃないかな?」


 ケイロスの言ったことについて、アル自身、思い当たる節はあった。これだけ、迷宮の恩恵にあずかっているにも関わらず、王国内のほとんどの人々は、迷宮について、大した関心を持っていないのだ。今までは、それが当たり前に存在するものだから、興味が湧く人も少ないのだろうと思っていたが、認識阻害魔法を掛けられているのであれば、多くの人々が、不自然なまでに迷宮に興味を抱かないのも、納得のいく話だ。


「迷宮に対する人々の関心を逸らすためですか?」

「その通りだ」

「でも、何故そこまでするんですか?僕には放送を使ってまで隠す理由がわかりません」

「そうだね、私もそう思っていたから、君の疑問はよくわかる。ただし、一遍に聞いて理解出来るような話でもないから、それについては、訓練の中で少しずつ教えるつもりだ」

「そうですか……」

 大規模な認識阻害魔法を使ってまで、人々の迷宮に対する関心を逸らしておきたい理由……考えれば考えるほど、疑問がアルの中に湧き上がってくるが、エルゴン駅が近づいてきたので、一旦その感情は抑えることにした。アルの中の疑問については、いずれ、ケイロスが答えてくれるだろう。


 空中回廊からエルゴン駅へと降り、最初の目的地だという店に向かって、ケイロスと二人歩く。空中回廊のある中央広場から、それほど離れていない場所にあるらしいが、店がありそうな場所からは、どんどん遠ざかり、人通りから完全に外れた袋小路になっている通路で、ケイロスは立ち止まった。


「先生?」

「さて、最初の授業だ」

そう言うと、ケイロスは腕を組んでアルをまっすぐ見つめた。


「この壁の何処かに、店への入口がある。それを見つけてごらん」

ケイロスは背後の壁を叩いて、そう言った。


「ここにあるんですか?ただの壁にしか見えませんけど」

「そうだ、入口はここにある」

 ケイロスに断言されたので、アルは壁を叩いたり、注意深く観察したりしたが、どう見ても単なる壁にしか見えなかった。


「駄目だ、全然わからないです……」

「タペース内での話を思い出してごらん」

「うーん……」

 アルは右手に顎を乗せて考え込む、そうして暫くの間無言でいたが、突然、何かに気付いたようにハッとした表情をした。


「映像酔い」

 呟くと同時にケイロスの方を見る。ケイロスは、無言で目を閉じて頷いた。


 アルは近付いていた壁から離れて、壁全体が見える位置まで下がると、違和感を感じる場所がないか探してみた。少しの間、集中して見ていると、クリスタルビジョンを見ている時に感じる、ノイズのような物が見える場所があることに気付いた。


「ここですね!」

「正解だ」

 アルが興奮した様子で、壁に指を差してケイロスに向かって声を掛けると、彼は笑顔でアルに向かって拍手をした。


「見分け方は、これでわかったね」

「はい、ただ、相当集中しないと見分けられないですね」

「最初はね、慣れれば違和感にはすぐ気付けるようになるよ。さて、店に入るためのもう一つの方法を教えようかな」

「ドアが在るんじゃないんですか?」

 アルはノイズのある壁を素手で触れてみるが、ドアノブはないようで、触った感触も周囲の壁と、別段変わったところはなかった。


「ドアと言えばドアなんだが、手では開けられないようになっていてね。アル、部屋の鍵は持ってきているかい?」

「はい」

 アルは返事をして、ポケットから部屋の鍵を取り出す。


「それを、壁にかざしてごらん」

 ケイロスの言う通り、壁に向かって部屋の鍵をかざすと、壁のあった場所に人が一人通れるくらいの穴が開いた。


「これって、こんな機能まであったんですね」

「初日に失くさないように言ったのは、こういった機能が付いているからなんだ。他にも幾つか使い道があってね、それについては、別の機会に教えるつもりだ。あと、失くしたときに自腹で再発行するのも本当だからね、今の君たちじゃとても払えないような額だから、紛失には本当に気を付けなさい」

「失くしたことがあるんですか?」

 ケイロスの言葉に実感が込められているように感じたため、思い切ってアルは質問してみた。


「訓練生の時に一度ね……協会から送られてきた請求書を見た時に、人生で初めて絶望という感情を覚えたよ。結局、自分では払えなくて、セルモ先生に建て替えてもらったんだ」

 絶望するような請求書とは、どれほどの額だったのだろうか?カードキーには紐を通すような穴があるので、近いうちに首から下げるための紐を買うべきかもしれない。昔を思い出して、青ざめているケイロスを見て、絶対に失くすまいとアルは心に誓った。


「さて、いつまでもここにいても仕方ないから、店に入ろうか」

「はい、わかりました」

 壁の穴に入るケイロスに続いて、アルも壁の中へと入る。中は薄暗い通路になっていて、奥へと細い道が続いている。


「そういえば、さっきの場所、人通りは少なかったですけど、何人か歩いている人はいましたよね。僕らがここに入るところを見られたりしてないですか?」

 通路を歩きながら、アルは気になっていたことをケイロスに質問した。


「そうだね、見られているかもしれないけど、気にしなくても平気だよ」

「認識阻害魔法ですか?」

「一つは認識阻害魔法だね。あの場所一帯には入口を隠す認識阻害以外にも、他人の行動を記憶出来なくなるような魔法が使われていてね、例え、壁に消える人間を見たとしても、数秒後にはその事自体を忘れるようになってるんだ」

「それって、僕らにも効いたりするんですか?」

「探索者には、この程度の魔法は効かないよ。実は、訓練生を選抜するときに最も重要なのが、魔法に対する耐性を調べることでね。試験中に妙な検査をされなかったかい?」

 アルは試験中の検査と聞いて、妙な指示があったことを思い出した。


「科目ごとに解答用のペンを支給されて、一科目終わる度にペンが回収されていきました。後、ペンに名前を書いたシールを張るように言われました」

「ペンは魔法耐性の測定器だろうね。科目ごとにペンを変えていたのは、測定する魔法の種類を変えていたからだろう」

「あれが試験だったんですか……」

「私も、試験の実情を聞いた時には憤慨したものだよ。かなり真剣に勉強していたからね」

「そうなんですか」

「まぁ、勉強も全くの無駄という訳ではないよ。特に、迷宮内の遺跡で拝むことになる古代語は、訓練生時代に嫌でも叩き込まれることになるからね。君は古代語の勉強をしているようだから、勉強を全くしていない一部の訓練生みたいに地獄は見ずに済むはずだ」

「試験が難関だって言われているのに、勉強してない訓練生なんているんですか?」

「大体数人は毎年いると聞くね。特に、親が探索者だと、試験内容を先に知っていたりする子もいるからね。そういう子は、訓練生になった後に地獄を見るものさ」

 アルは、勉強していない訓練生と聞いて、ポルトの顔が真っ先に浮かんだ。まだ、お互いに、よく知りもしないのに失礼な話だが、なんとなくポルトは、そういうタイプではないかと思えてしまうのだ。


「さぁ、ここが道具屋だ」

 前を歩いていたケイロスが、通路の先にあるドアの前で立ち止まる。


「探索者の世界にようこそ」

 そう言って、ケイロスはドアを開いた。

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