迷宮世界の探索者

桜橋靖尭

プロローグ

 机の上にある上着を手に取る。灰色で厚手の生地でできているゴワゴワとした手触りの服だ。飾り気が一切ないので、実用性のみを目的として作られた服であることがよくわかる。パッと見ただけでは工場労働者の着る作業服と見分けがつかないが、襟の部分に付けられた徽章は、この上着を着る人間が「探索者訓練校」の生徒であることを表している。上着の持主である少年は、宝物を扱うような手つきで、上着を何度も広げたり畳んだりしている。余程、この上着に思い入れがあるようで、飽きもせずに何度も同じ行動を繰り返す。ようやく、眺めるのに満足したのか、少年は上着を畳むと真新しい黒革の鞄に丁寧に仕舞いこんだ。


「アル、準備は出来たかい」


「はーい」

 少年は自分を呼ぶ声に返事をすると、鞄を抱えて部屋の外へと駆け出した。


「おはよう、アル」

「おはよう、爺ちゃん」

 玄関で自分を待っていた祖父にアルは挨拶を返す。髪は、ここ数年ですっかり白くなり、やや腰の曲がりだした祖父の姿を見て、彼は寂しさを感じた。両親が亡くなってから祖父と二人で暮らしてきたが、こうも急に老け込んだのは、アルが訓練校への入学を決めてからだったように思う。今の祖父の姿は、自身の役割を終えて静かに佇む古木のようだった。


「準備は万全のようだね」

 真新しい儀礼服に身を包んだ孫の姿を見て、祖父は微笑んだ。


「勿論!」

 心中の感傷を悟られないように、アルは元気に返事を返す。


 玄関から外へと出た二人は、王都行きの魔導バスが待つ駅舎へと連れ立って歩き出す。駅舎へと向かう並木道にはケラススが植えられており、満開とは言えないまでも見応えのある数の桃色の花を咲かせている。季節柄、王都の学校へと進学する子供も多く、駅へ続く並木道は親子連れの姿が目立つ。駅へと近付くにつれて周りを歩く人の数も増え、魔導バスを利用する人間相手の露店が目立ち始める。魔導バス内で食べる軽食を提供する店が多いが、中には王都観光をする人向けの案内雑誌のようなものを売る店もあるようだ。


「欲しいのかね?」

 祖父が露店を眺めていたアルに声を掛けた。


「要らないよ。王都に観光に行くわけじゃないもの」

 アルは祖父に対して首を振る。


「一冊貰えるかね」

 祖父は露店の主人に声を掛けた。


「五ディスコスになります」

 祖父は、革の財布を取り出すと、露店の主人に小銅貨を五枚支払った。


「爺ちゃん!」

「王都に行ったら街中を歩く機会もあるだろう。持っておきなさい」

 そう言って祖父は、アルに雑誌を押し付けた。アルは釈然としない表情で、それを受け取る。彼の表情は、観光用の雑誌など王都での生活に役に立つのだろうかと言いたげだ。


「きっと役に立つ。先達の助言と思って受け取っておきなさい」

「わかった、ありがとう爺ちゃん」

 何の役に立つのかはわからなかったが、祖父の勧めなので何か役に立つことがあるのかもしれないと思い、アルは素直に雑誌を受け取ることにした。二人は、雑誌の他に軽食なども他の露店で買い込むと、その場を後にした。


 王都行の魔導バスが停車する町である「アステル」の駅舎内は、王都へと向かう人々で賑わっており、旅装に身を包んだ人間を相手に商売人が様々な物を売りつけている。人波を掻き分け駅舎を進み、魔導バスの停車場にたどり着くと、アルが乗車する予定の魔導バスは丁度停車場に到着したところのようで、降りる人々で停車場周辺はごった返していた。バスの出発には、まだ時間に余裕もあるので、二人は混雑を避けて停車場の端に移動することにした。備え付けのベンチに腰を下ろすと、祖父は手に持っていた小さな革のバッグをアルに手渡す。


「これは何?」

バッグを受け取ったアルは、中身に見当もつかない様子で尋ねた。


「王都での生活費を入れておいた。食事や住む場所は学校が手配してくれるが、王都は何かと金がかかる場所だからな……お前なら大丈夫だと思うが無駄遣いはしないようにな」

「ありがとう、大切に使うよ」

「それと、バッグの中に手紙が入っている。あちらでの生活が落ち着いたら、宛先の住所に届けてほしい」

「住所まで書いたなら、郵便で出せばいいのに」

「お前に直接届けてほしいのだよ。届け先の人物に会ったら、セルモがよろしく言っていたと伝えてくれ」

「わかった、出来るだけ早く届けるね」


 ベンチで他愛のない会話をしているうちに、乗車時間が来たようで、係員が周囲の乗客に向けて呼びかけを始めた。手に持ったハンドベルを鳴らし、大声で周囲に呼びかける様子は市場の「せり人」のようだなとアルは思った。


「時間のようだね」

「うん……」

 別れの寂しさと新生活への期待で、アルは複雑な気持ちになった。祖父を一人家に残す不安もある。


「体調には気を付けなさい。探索者は体が資本だからね」

 そう言って、祖父はアルの肩を叩いた。


「わかった!」

 不安をかき消すようにアルは勢いよく返事を返す。


「うむ、その意気だ。未来の一級探索者アルケイデスの門出だ。元気良く出発しなさい」

「行ってきます!」


 祖父の言葉に胸を張り、出立の意志を大きな声で告げると、少年はバスの乗車口に向かって歩き出す。


 こうして、探索者アルケイデスの物語はこうして始まったのである。


 未来の英雄の一歩は、小さな一歩であったが、同時に力強い意志を感じさせる一歩でもあった……

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