第四十六食 好きすぎて詳しいこともあれば、嫌いすぎて詳しいこともある
三十分が経過した。司会の言葉とともに、試合は終了する。掌は前方のモニターを見つめた。
結果は焙油二十二個、衣素二十個。
――負けた。
衣素は肩で息をしている。焙油は涼しい顔をしているが、おそらく痩せ我慢だろう。
インタビューで衣素は『素人相手でも手を抜かないプロの姉よりも、プロ相手にここまで戦えた弟を褒めてやりたい』と言って、笑いを取っていた。
イベントが終了し、ステージ裏に行く。
誰の目にもつかなくなった所で、焙油はよろめいた。倒れそうになった彼女を衣素が支える。
「無茶しやがって。昨日の夜、お前、最終調整してただろ? だからこんなことになんだよ」
「お前こそ、下手な芝居を。あの時わざと
「だってお前、黙らせておかないと、無理してでも立ち向かってくるだろ?」
「……」
焙油を医務室に連れていく。
彼女はしばらく黙っていた。それが耐えきれなくなったのか、衣素が口を開く。
「まさか、俺がカレーパン嫌いなことを突いてくるとはな。お前、どんだけ俺のこと好きなんだよ」
「相手の弱いトコは利用するためにあるんだよ」
「衣素さんだって、焙油さんの弱点見抜くぐらいには、よく知ってたじゃん」
「俺も大好きだよ、お姉ちゃん」
「気持ち
そんな双子のやりとりを掌は微笑ましく感じた。
「カレーパンじゃなきゃ、俺が勝ってたけどな」
「そんなわけねえだろ。プロ舐めんな」
「あ!」
掌は医務室を出て、宿泊していた部屋に戻る。
「アゲ……。その……。ごめんな」
衣素が申し訳なさそうにする。掌は待機させていたアゲダママルを連れてきた。
「アゲ、『べつにいい』って言ってあったし、気にしないで、衣素」
「お前が気にしなくても、俺が気にするんだよ」
すがるような目で、衣素は焙油を見つめる。焙油はアゲダママルをじっと見つめる。圧力を感じて驚いたのか、アゲダママルは一歩下がった。
焙油は彼を両手でつかんで持ち上げると、頬擦りした。
「久しぶりだね、アゲ! 覚えてる?」
「覚えてるよ。アゲまだちっちゃかったけど、ギリギリ」
「え……」
掌は言葉を失う。
「焙油はな。アゲのこと昔から大好きなんだよ」
アゲダママルが属繊に手を加えられ、蓮華のように暴走したらどうしようかと案じていたが、取り越し苦労だったようだ。
「アゲは
「衣素!」
アゲダママルが即答したので、焙油はショックを受けたようだ。
「もちろん、焙油お姉ちゃんのことも好きだよ。でも、衣素にはこれまで育ててもらった恩があるから。だからアゲは衣素と一緒にいたい。恩返しもしたいので」
――どっちが大人かわからないな……。
「まあ、それなら仕方ないか」
強引にアゲダママルが連れていかれることはないようで、掌は安堵した。衣素も胸を撫で下ろしているようだ。
「後輩の
「う、うん。これからもよろしくねアゲ」
衣素が負けはしたが、焙油はムツノスケに協力する姿勢を見せた。勝負で妥協され、借りをつくったままでは気に入らないとのことだ。
焙油がムツノスケに送る資料を整えている間、皆は膳繊などに関する資料を見せてもらえることになった。
「へえ。属繊って色々あるんだな……。あ! これって、俺の属繊じゃん!」
衣素が指差したページには、立方体を平面に表したときのような属繊が描かれていた。衣素の左手の親指の付け根と手首の間にも同じ属繊がある。掌が衣素食道にやってきた頃、見せてもらったものだ。
「なんだよ、焙油。わかったなら教えてくれりゃあいいのによお」
「なんでお前に言わなくちゃいけないんだよ。いちいち、覚えてないわ」
その内容を読んで、衣素の顔が曇った。
「なんだこれ、気味が
掌とアゲダママルも覗き込む。
衣素の言うとおり、そこに書かれていたことは、まともな人間なら縁のないようなことだった。
「うわー、使うと寿命が短くなるなんていう属繊もあるんだ。よかった、俺、長生きできて」
「よし、できた!」
焙油が伸びをしながら言い放つ。
「後は適宜アドバイスしてやるから、わからないことはその都度聞けって、そいつに言っておけ」
面倒見がよさそうなところは、衣素にそっくりだ。
焙油は属繊変形師。属繊の移り変わりには詳しいはず。
――この人なら、もしかすると何か……。
掌は自身の右手を見つめ、意を決した。
「あの、焙油さん」
「何?」
「実は俺の属繊のことで、何か知っていることがあれば、教えてほしいんですけど――」
右手の手のひらを見せる。人差し指の下のあたり、わずかに歪な五芒属繊を。
「それがどうかしたの?」
「実はこの属繊、一部を他人から譲り受けたものなんです」
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