第四十四食 パンの中にカレーを入れたのがカレーパン

 焙油は心の中で微笑んだ。

 かつて馬鹿の一つ覚えのように口にしていたカレーパンを、あの日以来、衣素が食べられなくなったことは知っていた。

 食品に細工をすれば、こちらが疑われかねないが――さらにいえば、揚火宮あびきゅうの名にも傷がつきかねない――奴が苦手なものであれば、こちらに落ち度はない。

 衣素の視線が焙油に注ぐ。動揺が伝わってきた。『お前、なにしてくれてんだ』と。

「それでは両者、準備はいいでしょうか? それでは試合開始!」

 モニターがカウントダウンを開始する。

 焙油は勝利を貪るようにカレーパンを噛み締めた。一方で衣素は明らかに本調子ではないことがわかる。カレーパンを口にしてはいるが飲み込むまでのスピードが遅い。ブランクがあるとはいえ、奴ならばもう少しまともなペースで食べられるはずだ。いずれにしても、今の自分には到達できないだろうが。


 ――気分がいい。

 

 五分が経過し、焙油は八個、衣素は三個という結果になった。

 歳を重ね、しつこいものには苦戦を強いられている。さらにこの新商品のカレーパン、若い世代をターゲットにしているため、一つ一つがヘビーな味付けになっている。正直、何個も食べ続けることには抵抗があるが、それを理由にトップファイターの称号を譲ることには、それこそ抵抗がある。

 少なくとも衣素こいつに屈辱を与えるまでは、トップの座に腰を下ろしていなければ。

 衣素と掌は何かを話している。掌が司会に何かを尋ねる。

「それはべつに構いませんよ。『細かなルールは任せる』と社長に言われておりますので。新商品のプロモーションにも問題ないかと」

 掌が衣素の隣に座る。カレーパンを半分にわけ、スタッフが用意したスプーンで中をほじくり出して、器に入れた。


 ――くだらない。これが秘策か。


 中身を取り出してわけることで、カレーパンを文字どおり、カレーとパンにしているのだ。

「ん! 結構うまい! これ」

 少しは余裕ができたのか、衣素がほざいている。多少は回復してきたようだ。

「おーっと、衣素選手。これは、新商品へのクレームでしょうか?」

 司会の冗談に観客たちに笑いが起こる。

 十五分が経過。焙油十七個、衣素十三個。

「衣素選手、焙油選手に迫る勢い!」

 衣素が第三者を介入させてまで、自分に追いつこうとしている姿は滑稽だ。

 プロは窮地きゅうちをも自身でつくりあげる。  奴は自分の力でこの状況をつくりだしたと思っているのだろうが、こちらがあちらのペースに合わせているのだ。

 突き落としても、這い上がってくることはわかっていた。衣素あいつのそういうところが、昔から嫌いなのだ。

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