命の分別
我が友人Aは、とにかく死を重んじる。
死にたいという人間には簡単に死なないで欲しいと言う。
死にたがる人間になんで?と返された時、答えられない癖に。
私はそんなやり取りをするAを時々見たことがある、そしてそのやり取りを終えたあと、決まってAが暗い顔をするのも知っている。
もちろん、優しいAはこの私が気を遣って大丈夫かと話し掛けているのに、心配させたくないのか、大丈夫だと、作った笑顔を見せてくる。
つくづくAくんには呆れてしまう。
またそうして、意味の無い優しさで人を助けようとして、自身が死んでしまいそうなほど暗く落ちてしまう。
私ならば、どう返すだろうか?
…………おそらく、「そう、死ねば?」としか返さない。
だって面倒だろう?
大して深く関わってもいないのに、目の前で死にたがる人間の扱いなど、正解もないのに正解を探して苦労するならば、問題が提示される前に私はその問題の解答権を捨てて楽になる方法を選ぶ。
だって、自分が一番大切だから。
しかし、Aくんは違う。
助けようとしてしまう。
命がそこで尽きてしまいそうだから、今もまだずっと生きていられる命が消えてしまいそうだから。
私はそんなAくんに問いかける、何故そうまでして他人を助けるんだい?と。
Aくんは答えた、自分に失望したくないのだと。
Aくん曰く、他人を見捨てた自分は自分として認められない、それこそ自分が死にたくなるのだそうだ。
それを聞いて、生きづらそうだなと思った私は異常だろうか?
異常だと思いたい。
だって私にとって、Aくんとは正しい存在だから。
私は間違っているから。
私はAくんに私の意見も投げかけた、死にたがっている命を死なせてあげることも、時には正しいのではないか?と。
Aくんは少し黙り込んで、そして答えた。
『それも正しい』と。
Aくんは優しいから、本当に死にたいのなら死んでもいいとは考えているらしい。
しかし、死にたいと言う彼らに、Aくんは必ず問い掛ける言葉があるらしい。
「それは、本当に君が死ぬべきなのか?と。」
死への願望には様々な理由があるだろう。
現世への精神的苦痛、自身が起こした悪事に対する罪悪感、生への疲労。
だがその様々な理由の多くに共通していることが一つある。
死にたい人間よりも死ぬべき人間がどこかにいるという事実だ。
きっとこれを読んでいる方々の中には、不謹慎だ、物騒だ、危険思想だと揶揄する人居るだろう。
私にとっては、そう揶揄する人達こそ、そんな死ぬべき人間み近い人間ではないかと思うがね。
おっと、断定はしていないよ?あくまで思っているだけさ。
だが考えて見てほしい、例えば若者の自殺でよくある理由の中に、学校でのイジメが辛く死んでしまったという理由がある。
これは果たして自殺した人間が本当に死ぬべきだったのか?
これに関しては、きっと多くの人間が否と答えてくれるだろう。
そして、至極極論で発言するならば、今私が提起した死ぬべき人間というのはきっと自殺した人間を自殺する程の精神状態まで追い込んだ『イジメた側の人間』ということになるだろう。
そうだろう?このまま彼らが社会に出たとして、イジメをするような人間が社会生活を送れば、ハラスメントで訴えられて終わりだ。
ならば、多少コミュニケーション能力や学習能力等に問題があったとしても、自殺をしてしまった人間の方がまともに社会で生活する可能性の方が高い。
ならば、今後の未来を考えた上でも、どちらかが死んでしまう状況ならば生き残るのはいじめられている側の人間だと私は思う。
ただ、Aくんにとってはきっと前提から違うのだろう。
Aくんも理論としては、私と同じ意見なのだ。
だが、Aくんの心情としては『どちらも死んではいけない』、これだと思う。
イジメられた側の人間はもちろん、イジメた側の人間だってこの行為を省みて、反省し、善良を目指して生活して欲しい。
そのうえで、Aくんはもし死にたがっている人間を目の前にした時は問い掛けるのだ。
『君は、本当に死ぬべきなのか?』と。
Aくんは掘り返せば掘り返す程頭がおかしい。
自分には得がなく、というよりも損の方が多い選択をし続けている。
だが、考えてみれば社会的に見れば、Aくんが出す選択は、普段我々が聖人と崇め、悪人にこれを見習えと叫ぶ手本そのものなのだ。
そう思うと、Aくんがおかしいと思うと同時に、現在の社会もだいぶおかしいのだなと私は思う。
Aくんはすごい、Aくんは偉い、Aくんを見習おう、そう大人は言うのにそれをする大人は滅多にいない。
それどころか、そんな彼らを蹴落とそうとする大人で社会は満ちている。
これから社会を生きていく若者としては、これらの現実を振り返る度に、毎度の如く反吐が出そうになる。
最近の若者は………そう発言する大人に対して言いたい、それを育てたのは誰なのだと。
逆に、そう言われるほど愚かで迷惑な行為を繰り返す、若さを悪事の執行期間と考える成長しきっていない脳みそで動く若者に言いたい、お前らこそ、悪い大人の二の舞なのだと。
あー嫌だ、これを繰り返し叫ぶ私こそ、私が反吐を吐き続けた気持ちの悪い社会のゴミそのものじゃないのかと、Aくんを見る度に考えてしまう。
だから嫌いなのだ、友人Aよ。
私は君の生き方を否定できない、むしろ肯定したい、賞賛したい。
君にはそれを貫いて欲しいのだ、それで例え君が壊れてしまっても。
でも私は君を肯定しないだろう。賞賛などしないだろう。
そうすれば、私が私を認めてしまうから。
私が死にたい人間なのだと、死ぬべき人間なのだと。
だから私は話を聞くだけだ。
私はそれを誰が誰かも見えない虚空に語り続けるのだ。
私という存在をここに証明するために。
話が逸れたね。
あなたはどうかな?
ちゃんと生きてる?
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