第2話

 至子は視力が戻った。厳密には視神経を覆い被せたシリコン膜から視細胞が生えてきて、受光するとその色が見える状態、になったそうだ。東大附属の眼科で診てもらったが、どうやらシリコンの隙間から視細胞がにょきにょき生えている。視細胞の数自体が少ないので、放っておけば僅かに視力が戻る。戻っても矯正視力でも0.01以下らしい。

 不思議なことが連続で起こるものだと思った。


 藤田は逆行性健忘を診断された。おおよそ、4回生の終盤あたりから健忘がある。藤田は自分を22歳と錯誤していたが、アラサーであることは受け入れたらしい。業務のことがあるので、至子はNCNP病院へ転院させて欲しいと願い出た。眼科の検診は終わっていたので、そのまま戻っても大丈夫だと言われたので、駒場先生に挨拶をしてからNCNP病院へ戻ることにした。

 NCNP病院へ福祉タクシーで移動し、白杖を突きながら病棟へ移動する。薄野先生がいたので、お騒がせしましたとお詫びをする。

 藤田の病室へいくと、そこには芯のある姿が見えた。至子は藤田が立ち上がったのを感じた。藤田は駆け寄って至子とハグする。


「よかった。ベッドからいなくなったから、転院したかと思った」


「そんなに大変なことじゃないよ。目の調子が悪くなったの?」


 藤田は至子の目を見た。サングラスで隠しているが、目が真っ白だ?


「失明したの?」


「半分ぐらい」


「問題なさそうでよかった」


「大丈夫、もう慣れたから。茜は大丈夫?」


「平成が令和になってびっくりしてる」


「何それ」


「わたし、アラサーになってたんだ」


「私もアラサーだからその言い方は刺さるかも」


「ごめん、でも何が起こったのかよくわからなくて」


「しょうがないよ。大変なことがあったからね」


 裁判のことは墓ごと埋めたほうがいいかもしれない。


「気分はどう?」


「ちょっと不安、わからないことが多くて」


「そんなに心配する必要はないよ。大丈夫、今を受け入れればいい」


 至子と藤田はハグをやめて、ベッドで隣同士になり、平成から令和になる間の話をした。


「至子って大学の先生なの?」


「おかざり助教だけどね。講義もまだ持ってない」


「すごいね」


「だらだら大学院に進学したらこうなっちゃった」


「だらだら大学院に進学すると先生になっちゃうんだ。こわいなぁ」


「ははは、こわいね」


 二人はベッドで談笑しながらのんびりと時間を過ごした。面会時間の終わりが看護師からお知らせされた。至子は藤田と別れて、宿舎に戻った。

 藤田は逆行性健忘がありつつも、心身は安定しているから、これからどうするか、身の置き方を考えたほうがいい。だいたい8歳ほど年齢が乖離している。至子の感覚としては、8年前の現在から未来を切り離して消滅させることに成功した。つまり、22歳までの記憶だけを保持している。

 一緒に住むか、と至子は思った。

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