第24話

 試合終了後、一般の生徒はすぐに帰ったけれど、野球部員は残って試合を観戦する。前述したように県大会からは全試合が同一球場で行われるので、格段に偵察がしやすくなる。もちろんその逆もしかりだ。福岡南ふくおかみなみの試合もしっかりと見られていたことだろう。

 今日の第二試合は、「西日本にしにほん国際大学こくさいだいがく付属ふぞく山門やまと学院」という組み合わせ。勝者が次戦の相手だ。前者は春の地方大会での九州王者。後者は一昨年の夏の甲子園出場校。県大会初戦から好カードだ。下馬評は直近で結果を残している西国にしこくが有利。

 実際、今年の西国は二人のドラフト候補を擁している。一人は九州ナンバーワン遊撃手ショートと称される荒木あらき航平こうへい。走攻守三拍子そろった選手だ。そしてもう一人が、最速百四十八キロの本格派右腕、安住あずみ祐一ゆういち。安住は本指名当落線上といったところだが、荒木は指名確実と言われているらしい。

 俺はひとりで観戦するつもりだった。スタンドの上の方に座って、じっと試合を眺める。すると、無言で河野こうのが隣に来た。どかっと腰を下ろす。その河野の隣に、稜人いつひと小南こなみ柚樹ゆずきとなにも言わずに座る。俺も、なにも言わなかった。しばらくして、清水しみずさんも上にあがってきた。

 試合は、序盤から中盤にかけて西国の流れだった。

 初回に二点を挙げると、安住がきっちりとそのリードを守り、追加点も西国が奪った。六回終了時点でスコアは四対〇。このまま流れを渡さないかに見えたが、終盤に入って山場が来た。

 六回まで七十球で一安打投球ピッチングと完璧な内容の安住だったが、先頭に四球フォアボールを与えると、続く打者に右翼ライト前へ運ばれ無死一、三塁とピンチをつくる。

 ここで迎えるは、山門学院の四番。

 追い込んでからの真っすぐを捉え、打球は右中間を破った。二人の走者が生還し、二点を返される。

 続く打者にも四球。

 案外、崩れ出すと脆いタイプなのかもしれない。

 四対二と二点差に詰められ、なおも無死一、二塁の状況。西国の立場からすれば、かなり不穏な展開になってきた。

 ここで、西国のベンチが動いた。

 出てきたのは背番号十八の左腕。

 俺は、どこかその姿に既視感を覚える。左隣で観戦していた河野が、「来たな」とつぶやいた。

 俺が既視感の正体に気づいたのは、『――ピッチャー、松原まつばら』と場内アナウンスを聞いたタイミングだった。

「稜人」と呼びかけると、河野の左隣で観戦していた稜人も驚いたようにつぶやいた。

「ああ。あいつ、純平だよな」

 松原まつばら純平じゅんぺい

 中学時代の同級生。

 ただ稜人や俺とちがって純平は、野球部ではなく地元のクラブチームに所属していた。いわゆる硬式出身の選手だ。

 河野が訊いてくる。「お前ら、あいつのプレーするところを見るのは初めてか?」

「ん? なんで河野が純平のこと……」稜人は一瞬訝しんだようだったが、すぐに納得する。「ってそうか。もしかして、河野と小南は交流があったのか?」

 河野と小南も硬式出身だ。中学自体はそこまで離れていないし、近所のチーム同士だっただろうから対戦する機会などがあっても不思議じゃない。

 案の定、河野は首肯した。

 稜人は質問を重ねる。

「この場面でエースに代わって出てくるってことは、あいつ、実はすごいのか?」

「やっぱりお前らは知らなかったみたいだな。松原のほうはお前らのことをある程度知っているみたいだったが」河野はグラウンドで準備投球を行う純平を見据えたまま続けた。「松原が西国に進学すると聞いたとき、俺はそれを不思議には思わなかった。いまエースに代わって登板していることも不思議だとは思わない。あいつはそれだけの投手ピッチャーだ」

 ごくりとつばを飲み込む。

 純平とは中学二年と三年のときに同じクラスだった。そういえば、野球部をやめた俺を自分の所属するチームに誘ってくれたことがあったと思い出す。

 試合が再開される。

 初球。少し変則のフォーム。外の真っすぐ。

「ストライーク!」

 球審のコール。

 スコアボードに球速が表示される。

 百三十九キロ。

「うおっ」

 稜人が目を見開く。俺も内心で驚いていた。

 あいつ、ここまでだったのか……。

 小南が苦笑して言った。「また速くなってるな」

「ああ。中学のときも百三十は超えてたんだがな。これから百四十五は確実に超えてきそうだな」

 ということは、中学の時点でいまの俺よりも速いことになる。

 二球目も真っすぐ。打者はまったくタイミングが合わず空振り。それだけボールに威力があるということ? ……いや、それだけじゃない。

 三球目。高めの釣り球の真っすぐ。あえなく空振りで、三球三振。

 まるで見下すような投球だ。

「おそい、よな」

 稜人がつぶやく。なにがとは聞かない。俺も同じ感想を持ったからだ。

 球離れが、異常に遅い。

「それだけじゃない」と河野。「左右で違うが、大森、あいつはお前と似た投手だ」

 首を傾げるが、疑問はすぐに氷解した。

 続く打者に対して、純平は変化球を投じた。右打者の外から、ゾーンに入ってくるような軌道。

 パンッと外に決まる。

「ストライーク!」

 カーブ。

 前の打者を真っすぐ三つで打ち取っていただけに手が出るわけのないボールだ。さらにもう一球見せつけ、カーブ二球で追い込んだ。無駄球は一切なし。

 三球目はクロスファイヤー。まったく手が出ず見逃し三振。

 無死一、二塁から、あっという間に二死一、二塁の状況に持ってくる。

 そして三人目。初球のカーブをひっかけさせ、ピッチャーゴロ。純平は自ら落ち着いて処理し、一塁に走りながら下投げで一塁手へトスした。

 反撃ムードを完全に無視した投球。

「っしゃあ!」

「ナイスボール、松原!」

 味方から称賛を受けながらベンチに戻る純平。その途中、こちらを見た気がした。とはいえ一瞬顔をこちらに向けただけで、すぐにベンチに戻っていく。

 河野がグラウンドを見つめたまま言った。

「前に話したかもしれんが、俺は福岡南に進学するかどうか迷っていたんだ」

 初耳だった。経済的事情で福岡南を選択したという話は聞いていたが、迷いがあったとは知らなかった。俺はちらりと河野を見る。その視線に気づいているのかどうか知らないが、河野は続ける。

「決め手になったのは、松原から聞いた話だ」

 面白いやつが福岡南に行く。

 そんなことを純平は言っていたらしい。

「なんか懐かしいな。もう三か月か」小南は可笑しそうに言った。「あのときは話が違うって焦ってたんだよなぁ」

 入学した当初の話だ。柚樹が見学に行くまで、野球部の新入部員は河野と小南、それから清水さんしかいなかった。

「ああ。だが、いまとなっては松原には感謝しかないな」

「ほんとに楽しみだよな。こんなに早く対戦する機会があるとは思わなかったぜ」

 もうこの試合が決まったかのような言い草だ。

 だけど純平は期待を裏切ることなく、次のイニングを三者連続三振で終わらせると、三イニングをわずか一安打、九つのアウトのうち五つを三振で奪って、ゲームを締めくくった。


 これで、四日後の対戦カードが決まった。

 県大会二回戦。『福岡南―西日本国際大学付属』。

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