第23話
二死二塁の状況から、初球を打たせて
「声出せよ! まだ終わってないぞ!」
すでに出番を終えていた
それに呼応するように、「
八回表。九番の向井さんからの
投球と比べてそこまで打撃がいいわけではないが、向井さんは必死に食らいつく。
「合ってる合ってる!」
「グッドスイング!」
俺のせいで逆転を許したのだ。せめて、声だけでも。
「向井さん、見えてます!」
パアンッとミットの音。外のボール。向井さんは見送った。
球審の手は上がらない。
向井さんは一塁へ歩き出す。
「っしゃあ!」
「オッケー、よく見たあっ!」
四球で
打順はトップに返り、左打席に
もちろん、まずは同点。送りバントの構え。すると、まさかの暴投で向井さんが二塁へ進んだ。これでヒッティングもあるかと思ったが、小南は変わらずバントの構え。
きっちりと決め、一死三塁の状況に。
これで形はつくった。バントを決めた小南がベンチに戻ってくると、ハイタッチで祝福される。
外野フライ、もしくはミスでも一点。
左打席に
初球だった。
外の真っすぐ。張っていたのか、布谷さんは深く踏み込むと、バットを強振する。完璧に捉えた。
「っしゃ――」
快音を残し、三塁線を襲った痛烈な打球は、
ベンチが凍り付いた。
一死三塁。ひっくり返された試合を振り出しに戻す最高のチャンス。それが、一瞬にして潰えた。
「くそっ!」
布谷さんが地面にバットを振り下ろす。
なかなかだれも、動き出せない。
「切り替えるぞ!」
気丈にも飛高さんが声を張り上げる。
一瞬静まっていたベンチは思い出したように気勢を取り戻す。
「うしっ!」
「っしゃ、守るぞ!」
が、空元気の感は否めない。
きっと、ほとんどが敗北の予感を覚えていた。ツキに見放されると、なにをしても駄目なんじゃないか、そういう気分にさせられる。
ベンチに下がり、もう取り返すチャンスのない俺はただただ下を向くことしかできなかった。
この状況を生み出したのが自分だとわかっていただけに、いたたまれなかった。
しかし重苦しいベンチの中で、ひとりだけ自然体の人物がいた。
「くっそー、やるな」
ベンチに引き下がってきた向井さんが悔しそうにしながらも笑みを浮かべる。
「当真、頼むぞ。この回、三人で終われば、もう一度波が来る」
「わかってるよ。お前らならタダで終わんないだろ」
……この展開で、笑っていられるのか。
無理に笑っているわけではない。心底から楽しんでいるからこそ出る悔しそうな笑み。
でも、それは本心だろうか。
俺は少し顔を上げる。
この追い込まれた状況で向井さんがどんな投球を見せてくれるのか、ほんの少しだけ興味がわいた。
ゆっくりとモーションに入る。
次の一点は致命的。向井さんだって、それはわかっているはず。そう、その状況をわかっているはずだが、向井さんは気負った様子を見せない。
差を広げようと積極的に振ってくる相手に対して、初球から低めのボールゾーンへ沈むスクリューで打ち気をそらせる。と思えば、外に内に真っすぐを投げ分け、ゾーンでも勝負する。追い込んでしまえば、スライダーでもスクリューでも、そしてその二球種を意識してしまえば真っすぐでも、向井さんは勝負球にできる。
圧巻の三者連続三振。
三人目を空振り三振に取ると、向井さんが吠えた。
「っしゃあああっ‼」
ぞくりと鳥肌が立つ。
まわりも興奮したように声援を送る。
「よっしゃあ!」
「ナイスピッチ!」
本当なら俺も喜ぶべきだったんだろう。自分でも自分の感情がよくわからなかった。
なんだよ。
なんなんだよ、このひとは。
チームは士気を取り戻す。より大きなインパクトを与えることで、向井さんは先程の相手のファインプレーをまるでなかったことのようにしてしまった。
どうして。
俺の想いはいっそう大きくなる。
どうして、あの場面で俺を代えてくれなかったんだ。
やっぱり、俺が投げていなければよかったのに。
もしそうだったら、いまリードを許していなかった。
まだ試合は終わっていない。
だけど、これで負けたらその敗因は、間違いなく俺にある。
ぐるぐると着地点のない思考が、頭の中で浮かんでは消える。どうして俺に任せてしまったのか。先生の采配を頭の中で責め立てる。だけど、本当はわかっている。先生が悪いわけじゃない。俺の実力が足りなかっただけだ。結局は自分が悪い。だけど、「仕方ないだろ。手を抜いたわけじゃない」という言い訳を盾にして、またまわりのせいにする。そんな、不毛な思考を繰り返す。
わあっという歓声で我に返る。
九回表。このイニングで点が取れないと終わりという状況。
先頭の氷見さんが、
そして、打席には四番の飛高さん。福岡南打線において、最も頼りになる打者が打席に入る。
右打席でゆったりと構える。
どこか打ちそうな雰囲気が漂っている。理屈じゃないのだが、この雰囲気というのは馬鹿にできない。雰囲気のない打者は見ていて打ってくれる気がしないし、逆に雰囲気のある打者は打ってくれそうな気がする。
初球だった。
甲高い金属音が球場内に鳴り響く。
「うおっ」
「えっ、マジか」
飛高さんがスイングした直後、ざわっとベンチ内は総立ちになる。
確信したのか、向井さんはベンチ内ですでに拳を突き上げている。
飛高さんは打球の行方を見つめながら、ゆっくりと走り出す。
折尾聖心の
下がる。
打球は落ちてこない。
そして――打球はスコアボードに直撃した。
球場全体が震動した。
「うおおおおおっ!」
「行ったぁ!」
「っしゃあ、マジか!」
全身が総毛だった。
ベンチ内も大盛り上がりだ。
大歓声に包みこまれる。
ほかの音がなにも聞こえない。
逆転の二ラン。
ひっくり返された試合を、さらにひっくり返した。
飛高さんがホームベースを踏みしめてベンチに戻ってくる。
「飛高、最っ高!」
「マジかよ、お前ー!」
手荒い歓迎を受けると、飛高さんの顔に笑顔がはじける。ハイタッチをしながら、こちらに近づいてくる。そして飛高さんは、ベンチの端っこにいた俺に気づくと左肩を叩いた。
なにかこみ上げるものがあった。
なんだろう。
安心したから?
恐れていたことを避けられたから? 俺のせいで三年生たちの夏が終わるという事態を、回避できたから?
きっとそうなのだろう。
俺は安心したのだ。
でも、それだけじゃない。
もう一つ、渦巻く感情がある。
これは、悔しいんだ。情けない自分が。
拳を握りしめる。
でも結局、この感情も嘘だと俺は知っている。
そして俺は、また自己嫌悪に陥る。
やり返したくて見返したくて仕方がなくても、きっとその闘争心は実際にマウンドに上がったときには恐怖に負けてしまう。
中途半端だ。
それはもう、やめなければいけないのに。
歓喜の中、俺ひとりだけが喜べていない。
俺はきっと、どうやってもこのチームに貢献することができない。
唇を噛みながら、あるひとつの覚悟が、俺の頭に浮かんでいた。
九回裏の折尾聖心の攻撃。二死から安打で走者を出すが、反撃はそこまで。
最後の打者を
試合終了。
福岡南8―7折尾聖心。
県大会初戦を突破した。これで県八強。甲子園出場まで、あと三勝。
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