愛情が欲しいと泣く同期(女子)の心が私には分かりません

海里

第1話 泣いている女性

今日もいつも通りの残業に突入していて、予定のところまで終わらせてさっさと帰りたいのに、私の気分は乗らなかった。


オフィス内を見渡すと残っているのは1/4程度で、私の周辺は上司しか残っていない上に、上司は会議中で不在、と話し相手もいなかった。


私、八重垣やえがき明梨あかりは大学を卒業後、システム開発系では中堅の会社に入社した。入社直後の研修が終わってすぐに客先常駐になって、気づけば4年が経過していた。


自社で進めたいプロジェクトがあるから戻るように指示が出て、自社に戻って来たのが半月前。4年も在籍した会社のはずなのに、社内は見慣れぬ人が多くて、自分の周辺でしか行動できない日々が続いている。


このまま座っていても進まないだろうと、気分転換がてらトイレに行こうと腰を上げ、オフィスの外に出る。


高層ビルの低層フロアに私が所属する会社のオフィスはあって、フロアの半分を借りている。残りの半分のフロアは、入社した時には流通系の会社が入っていたけど、いつの間にか引っ越したらしく、今は空室になっている。


なので、今現在は自社の貸し切りフロアみたいになっていて、他の会社の人に遭遇して気を遣わないといけないストレスはない。


ただ、定時後に廊下に出ると、逆側は明かりがないので静けさが一段と感じられた。


とはいえ、それが怖い、なんて繊細な心を私は持ち合わせていない。静かだな、と感じただけで廊下を進んで女子トイレに入った。


人感センサーつきのトイレには明かりが点っているので、先客がいるらしい。


フロアのトイレには3つ個室がある。女性の少ないシステム会社なので、その全てが埋まってることなんてまずない。


一番奥の個室が使用中だったので、私は手前の個室を選ぶ。


でも、扉を閉めようとしたところで、耳に届いた音に動きを止めて、耳をそばだてる。


鼻を啜るような音の中にしゃっくりが時々混ざっている。


奥の個室に入っている存在は、何が原因かは分からないけど泣いている。


十中八九、個室に入っているのは私の会社にいる女性だ。


オフィス内にいる女性は10人弱くらい。総務と営業事務の女性はほとんど定時上がりだから可能性は消える。そうなると、誰が残っていたっけ? と記憶を探る。


私が所属する1グループと隣の2グループは客先常駐者が多くて、社内には5、6名いるかいないかだ。その中で女性は私一人だった。3グループは自社で作業をするメンバーが多いので、何人かいるけど、席も離れていて把握できていない。ただ、ほぼ3グループの誰かだろう。


泣き声を聞かなかったことにして、このままトイレを去ることも私にはできる。


でも、女子トイレなんて利用率は低いので、今日はこれから先は誰も利用しないかもしれない。


もし、泣き続けて社内に戻れなくなっているとしたら、誰にも気づかれないままになるんじゃないだろうか、と不安になって奥の個室をノックする。


「大丈夫ですか?」


応答は返ってこなかったけど、すすり泣く音が止まったので、扉の向こうの相手も私の声に気づいたことは分かった。


「困ってることがあれば言ってください。私でできることならしますから」


お節介かもしれないと思いながらも、声を掛けてしまった以上は引き下がれない。


「あか、り……?」


しゃっくりを挟みながら返ってきた声は、私が知るものだった。


言葉を交わしたのは、1年か2年かそれくらいぶりだ。


でも、声を聞けばすぐに名は浮かんだ。


なるちゃん!? 大丈夫? 仕事で何かあった? 嫌なこと言われたりしたの?」


成瀬なるせ花火はなびは、私にとっては同期入社の友人だった。名前が好きじゃないから名字で呼んで欲しいと言われて入社式以来私は『成ちゃん』と呼んでいる。


私が自社に戻ってから、成ちゃんが社内にいることには気づいていたけど、グループも違うので話す機会がなかった。久々の会話がこんな場所になるなんて思ってもみなかった。


「だい……じょう、ぶ……だから……」


弱々しい声が扉の向こうから返ってくる。


過去に私は仕事中に厳しいことを言われて泣いてしまったことがある。


成ちゃんも、もしかしたらそうなのかもしれないとまず思い当たる。でも、私に比べればしっかり者の成ちゃんが泣いているということが、私には衝撃だった。


「成ちゃん開けて? 顔見せて欲しい」


「いい、から……」


それは開けてもではなく、拒否の方だった。


「成ちゃん。開けて」


再度声を掛けると、しばらくして個室の扉が開いてゆく。


扉の向こうに立っていたのは、手で口元を覆った同期の姿だった。


どれだけ泣いたのだろうか、目元のメイクは崩れてしまっている。


「成ちゃんは悪くないから、泣かないで」


事情は私には分からない。でも、成ちゃんをまずは落ち着かせようと、目の前の存在に腕を回して、緩く抱き締める。


私より少しだけ背の低い成ちゃんは、抱き締めた腕の中で固まったままだった。


「そんなこと……ない……」


顔をくしゃっと潰して、再び涙が溢れ出した成ちゃんの背を私は撫でる。


泣くまいと成ちゃんは必死に堪えながらも、しゃっくりは止まらなくて、それが落ち着くのをそのままの体勢で待った。


「大丈夫だから」


時々声を掛けながら成ちゃんを抱き締め続けて、5分くらい経った頃だろうか、ようやく成ちゃんも深呼吸をして、落ち着き始めようとしていた。


それを見計らって、私は抱き締めていた成ちゃんの体から腕を下ろして、その顔を覗き込む。


眼鏡の奥にある成ちゃんの瞼は、泣いたこともあって腫れぼったくなっている。これは流石に社に戻りづらい状況だろう。


「まだ、社内にバッグとか置いたままだよね?」


それに成ちゃんは小さく頷く。


「じゃあ、取ってくる。今日はもう社内に戻れる状態じゃないでしょ?」


成ちゃんは私が離れることに不安そうな素振りをしたけど、私に頼む以外の選択肢がないことに気づいたのか、私が離れるのを引き留めることはなかった。


成ちゃんを残して私は社内に小走りに戻って、まずは自分のパソコンをシャットダウンしてバッグを肩に掛ける。


次に私の席からは一番遠い島に向かって、机上カレンダーにくっつけられたキャラクターもののクリップで、成ちゃんの席はここだろうと判断する。デスクトップパソコンを勝手にシャットダウンするのは気が引けて、モニターの電源だけを切って、パソコンが落ちていることを装ってから、机の上の書類を纏めて引き出しにしまう。


サイドキャビネットの一番大きな引き出しは、大抵の人が自分のバッグを入れているので、ここだろうと当たりをつけて開く。想定通りそこには見たことのある成ちゃんのリュックがあった。


幸い成ちゃんの席の左右の人は帰宅していて、怪しまれずに済んだことにほっとしながら、私は気配を消すように会社から出て女子トイレに戻った。


そこには、個室から出て来た成ちゃんが所在なげにぽつんと立っていた。


「成ちゃん、このリュックで合ってる?」


「うん……ありがとう、明梨」


手にしていたリュックを渡すと、成ちゃんはそれを手で受け取ったまま肩に掛けようとはしない。


「とりあえず、出ようか」


これからどうすべきかを迷っているのかもしれないと、私から提案をする。


それには成ちゃんも頷いてくれて、2人でエレベーターホールに向かった。



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「思いがけず隣の美人のお姉さんと仲良くなりました」とは平行でこちらも進めて行きます。

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