第10話 ベネットの過去

 空き教室で二人きりとなったのを確認したライリーが話したのは、先日のエイミーから頼まれていた件である。同時にそのときとエイミーの様子がかなり異なったため、彼女の様子を気にかけていたことも打ち明ける。

 ライリーの話を聞いて納得したのかクリスティーナは怒りを鎮めたようだ。


「私は彼女に対して思うことは特にありませんわ」

「え、そうなんですか?」


 それは意外な答えであった。状況を考えれば、クリスティーナがエイミーを嫌う、いや憎むことも感情的に理解できぬことではないのだ。事実、多くの者はそのためにクリスティーナが取り巻きを使い、嫌がらせをしていたと思っている。

 ゲーム上の内容を知っており、こうして彼女と接しているためライリーはそれが誤解であることを知っているが多くの者は違うであろう。

 そんなライリーの考えを読んだかのように、クリスティーナはくすりと笑う。


 「現状は問題があると思いますわ。家格や教育、そういった問題はありますもの。でも、それは私の問題ではありません」

 

 そう言うとクリスティーナは窓の外を見る。

 その瞳は景色を見ながらもその風景を映してはいない。どこか遠くを見つめているかのようだ。


 「私がこの国の未来のために誓った方は彼女ではありませんもの」

 「……」


 寂し気で心もとない横顔のクリスティーナであったが、ライリーに顔を向けるとそこにいるのはもう公爵令嬢として落ち着いた彼女である。


 「構いませんわ。私も彼女とは一度お話してみたかったんですの」


 ライリーは不安を抱きつつも、クリスティーナに頷く。

 こうして婚約破棄をされた公爵令嬢クリスティーナとその要因となった男爵令嬢エイミー、そして2人を繋ぐモブ令嬢ライリーの奇妙な面会が約束されたのである。



*****


 

 授業後の片づけを手伝わされるのは生徒であれば、よくあることだ。それが休み時間に差し掛かるのであれば不運だとも言える。

 だが、今のライリーは違うことで不安と頼まれた資料を抱えている。

 手伝いを頼まれたのが、転生者ではないかとライリーが思った人物、ベネット教師であるからだ。

 そんなライリーの心と裏腹にベネットはいつも通り、凛とした背中でライリーの前を行く。

 人気のない教室に入ったベネットは資料を机に置くとライリーに指示を出す。


 「それはその辺りに置いてください」

 「は、はい!」


 そっと机の上に置いたライリーはちらりとベネットを見る。この教室へライリーを呼び出したのには何かしらの彼女の意図があるはず、そう思うからだ。

 その視線に気付いたのだろう。ライリーを見ると、ふぅと息をつく。


 「話は少し長くなります。次の授業に遅れることになりますが、いいですか?」

 「も、もちろんです!」

 「では、お好きなところにかけてください」


 そう言うとベネットは教卓に備えられた椅子に座る。それを見たライリーは彼女の目の前に座る。ベネットは些か驚いた様子を見せたが、椅子に座ったライリーを見つめ返す。


 「これは私のこれまでの人生に関わることです。それをあなたに打ち明けるのは…そうですね、これも老婆心のようなものです。似た道を行くであろうあなたに、私が生きてきた道を教えましょう」


 ライリーは静かにベネットを見つめる。

 彼女が転生者であることは間違いないだろう。でなければ、自身の生きてきた道のりを接点の少ない一生徒に教えるとは思えないからだ。

 自分の過去を他人に話すのは勇気のいることだ。それを今、ライリーにベネットは打ち明けようとしている。「老婆心」とは言うが、それは若く知識のないライリーを案じた優しさであるのだ。


 「始めに言います。この国で女性が1人で生きていくこと、それは決してたやすいことではありません。それは覚悟しておくべきです。ここは日本ではありませんからね」

 「……!」

 「……さて、本題に入りましょう。私が記憶を取り戻したのは、結婚して数年後の事です」


 ライリーは一言一句漏らさぬよう真剣に耳を傾ける。


 「そのとき、記憶を取り戻したことを私は後悔しました」

 「……なぜですか?」

 「この国の価値観と異なる考え、知識を持ってしまったことで、この国での生活に苦痛を感じてしまったのです」

 「……」

 「夫は優しい人でした。急に変わったであろう私を理解しようと努めてくれた。お互いを認め合い、暮らせる日々は幸せでした。でも、その生活も長くは続きませんでした……夫が他界したんです」

 

 ライリーは目を見開くが、ベネットは表情を変えずに話を続ける。


 「私たち夫婦の間に子どもはいませんでした。家は夫の弟が継ぐこととなったので、私はそこに住んではいられません。私の実家は既に私の兄が継いでいました。つまり……私は夫だけでなく自分の居場所も失ったんです」

 「……」

 「日本であれば違ったでしょうね。その後の権利も公的な支援もある。でもここは違います。私のように、いざというときになってからでは遅いんです。学生であるあなたには時間がある。いざというときのために、今考えて欲しいんです」


 ライリーはベネットの顔を見つめる。きっちりと結わえた髪型に、いつでも凛とした姿勢、授業では厳しさを見せる彼女は今、ライリーに自らの過去を明かした。そして、自身が転生者であることもだ。

 それは自分と同じ苦労をしてほしくはないという優しさ、彼女の言う老婆心そのものであろう。


 「あなたはどう生きるの?この国で1人で生きる覚悟があなたにはあるの?」


 ライリーはこくりと唾を呑む。

 ベネットの自身の過去を踏まえた、たった1人のための授業はライリーに大きな宿題を残して幕を下ろしたのだ。



*****



 「ね、眠い……」


 翌日、一睡もできなかったライリーは目をしょぼしょぼさせながら調理場に立つ。

 眠れなかったのは他でもない。昨日のベネットの特別授業が原因だ。

 厳しい言葉であったが経験を通した事実は説得力がある。何より、明かさなくても良い過去に触れるのは一生徒であるライリーを慮ったものであろう。

 彼女の言う通り、今のうちに備えるべきなのだ。そう思ったライリーは1人で生活するプランを練り直した。すると確かに甘い見通しであると気付いたのだ。


 料理を販売するうえで個性を出せるか、他の料理と同じでは買っては貰えないだろう。そもそも、資金はどうするのか。テイラー家からの支援は絶対にありえない。

 働いて貯めるのか、貴族出身のライリーを雇って貰えるのか、その間の住居は、生活費はと、考えれば考えるだけ問題が出てくるため、ついには朝を迎えてしまったのだ。


 ふぅ、とため息をつき調理を進めるライリーに、そっと気遣うように料理人のジョンが声をかける。

 

 「お嬢、何かあったんですか?料理をしてる時はいつもにやにやしてるのに」

 「にやにやしてない!楽しくってにこにこしてるの!」

 「うーん、そうですかねぇ。俺にはにやにやに見えるんですけどねぇ」

 

 無意識のためあまり自覚はないが、どうやらライリーは楽しさからにやけながら料理しているらしい。頬を左手で押さえながらキリッとジョンを見る。

 どうやら彼は普段と違うライリーを心配しているらしい。些かデリカシーが足りないが、普段からライリーを気にかけてくれているからこそ違いに気付くのだろう。


 ライリーはハッとする。料理のことを聞くならば、料理人でもある彼らに相談するのが一番ではないだろうか。


 「ジョンやジョセフに聞いて欲しいことがあるの!」

 「はぁ、めずらしいですね。お嬢がそんなこと言うなんて。いいですよ、俺たちでよければいくらだって話を聞きますよ……料理長!お嬢が話があるそうです!」

 「あぁ、わかった!今、行きます」


 他の料理人を指導していたジョセフもライリー達の元へと歩いてくる。

 こうしてライリーは最も身近で信頼できる大人に、自身の悩みを打ち明ける事にしたのだ。





 

 

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