『豆腐よりも熱く、餡蜜よりも甘いもの』Ⅱ

 「やあ、こんにちは。純真、久遠」


 花山院の宮殿にて、謁見の間へ通された久遠と純真は、聖徳様とその妻・翡水歌ひみか様と相対している。

 謁見で初めて見る翡水歌の姿に、久遠は間近で目にする神々しい美貌に見惚れた。


 白装束に朱色の着物を纏い、胸元には翡翠の勾玉の首飾りを下げている、いかにも巫女でもある彼女らしい出立ちだ。

 淡い翡翠色の長い髪とお揃いの碧眼、白い肌の澄んだ美しさから、"翡翠の天女"とも謳われている。


 「この前もまた色々遭ったみたいだけれど、二人とも無事そうでよかった」


 久遠を攫おうとしていた“デウス王国の機密諜報員”の処遇についても、聖徳様の口から知ることができた。

 聖徳様直轄の尋問員による聴取によれば、今回の事件は“異世界転生人”という重要人物の誘拐によって、近年“和平へ偏りがち”なデウス王国と天神国との関係へ緊張を与えるための一策だったという。

 天神国の対応としては、二名の機密諜報員の“独断過剰干渉”に関するデウス王国政府への報告、と二名の強制送還を行う事になったらしい。


 「聖徳様、翡水歌様のお心遣いに、痛み入ります」

 「痛み入ります」


 誘拐事件の件で自分達を案じてくれている聖徳様の言葉、そして恐らくは同様の翡水歌様へ、純真と久遠は恭しく頭を下げた。

 翡水歌様は聖徳様の隣で鷹揚に微笑むのみで終始無言だが、久遠と純真を映す翡翠色は慈しみに澄んでいる。


 「では、先ずは久遠の"特殊能力"について新たな報告を、純真から聞かせてもらおうかな」


 久遠自身も最も気に掛かっていた事項の本題に、彼女は背中へ力を入れて身構えた。

 一方、報告すべくかしこまった様子の純真へ視線を移した途端、久遠は鼓動が高鳴るのを感じた。

 何故なら、数秒だけ久遠へ向けられた真剣な眼差しには、深い憂い……明らかに久遠を気遣っていたからだ。


 「久遠の驚異的な"再生能力"について、ようやく判明した事があります」


 けれど、申し訳なさそうな眼差しから一転し、覚悟を決めた表情で引き締めた純真は、己の仮説を丁寧に述べていく。


 「今まで久遠が能力を発動させたのは、一度目は盗賊によって、二度目は誘拐犯によって、“心臓を貫かれた時”です。いずれも通常であれば、死に至る傷でしたが……」


 そこから先の言葉は言わずとも、目の前の久遠を目の当たりにすれば、明白な事実がある。

 久遠自身も、あの瞬間に感じた灼けるような痛みも、胸から咲いた血潮の赤も全て、確かな現実として鮮明に記憶している。


 「しかし、奇妙な事ですが……久遠が調理中に包丁でつくった切り傷は、その時みたいに即時再生することはありませんでした」

 「……ほう、それは確かに不思議なことだね」


 純真の指摘で思い出した久遠も、訝しげに首を傾げ、聖徳様は何かを察したように唇に微笑みを浮かべた。


 「これらの事実から導き出せた、最も高い一つの可能性として……」


 ついに特殊な"再生能力"の正体という、報告の核心へ近付こうとしている純真の言葉に、隣の久遠も固唾を呑んで待つ。

 今まで謎に包まれていた久遠の特殊能力の正体、それが判明する事によって何かしら役に立てる事を、久遠は強く期待している。

 一方、久遠と同じく能力の解明に努めてくれていたはずの純真は、またしても一瞬浮かない表情をしていた。


 「久遠の"再生能力"の発動条件は――」


 それでも、もう後に引けないと悟ったらしい眼差しで顔を上げた純真は、静かに告げた。


 「""を負うこと――なのではないかと思います」


 その瞬間、とっくに元の時を刻むようになっていたはずの心臓は、再び激しい鼓動を奏でたような気がした。

 信じられないようで、その言葉こそは、今ここいる久遠の生命の在処を語るのに、最もしっくり来るものだった。


 「そうなれば、これまでの怪我の再生速度とその差にも、辻褄は合ってくるかと思います」

 「――なるほどね」


 純真の推理した仮説には、聖徳様も得心のいく内容だったらしく、意味深に頷いていた。


 「つまり、久遠の特殊な再生能力は、"命に関わる程の傷"を負って初めて発動される――"神再生力"だね」

 「かみ、さいせいりょく……」

 「これも中々使い所は難しく、けれどまた大きな力にもなり得る“希望”というわけだね」

 「希望……私の力が……」


 まさに、異世界転生物語としばしば付随セットされている"反則級チート能力スキル"と呼ぶのに相応しい異能だ。

 能力特性や使い道など、未知数な点も残ってはいる。

 とはいえ"神再生力"を使いこなし、応用の研究次第では、今後の戦いや治癒へ大いに貢献できるだろう。

 純真のような剣豪やクリスティアヌス様のような騎士とは違い、非力で戦闘経験もない久遠には尚更のこと。


 「そこでね、久遠さえよければ、一つ協力して欲しいことがあってね」

 「協力、ですか?」

 「うん。詳しい話は、が到着してから――」

 「聖徳様――」


 聖徳様からの意味深な申し出の内容へ入る前に、珍しく純真は口を挟むように口を開いた。

 気のせいだろうか。

 未だ名前すら聞いていない"彼"の存在を耳にしたほんの瞬間、純真の纏う空気が凍てついたような。


 「失礼致します。私からもう一つ、改めて報告する事項があります」

 「なら、聞かせてほしい」


 瞬きを繰り返す久遠を他所に、聖徳様は予期していたとばかりの微笑みで、次の言葉を待ち侘びていた。

 不意に純真は隣に佇む久遠へ、凛とした眼差しを向けたかと思えば、右手を力強く繋いできた。

 どうしてだろう。

 大人になってから、ボランティアや近所付き合いで、小中学生くらいの男の子と肩を並べたり、手を繋いだりしても決して、こんな風にドキドキしたことはなかったのに。

 急で大胆な行動と真剣な眼差しに、久遠は年甲斐もなく胸が高鳴ってしまう。


 「夢咲久遠を、冷泉家当主・純真の"正式な許嫁"として迎え入れます――」

 

 え――?

 桜の花吹雪に舞うように響き通った美しい声の意味を、一瞬呑み込みきれなかった。

 否、理解はしていたが、心が追いつかなかった。

 深い戸惑いと驚きに、思わず久遠は瞳を彷徨わせてしまう。

 けれど右手へ伝わる力強い温もりも、嘘偽りのない澄んだ眼差しも、聖徳様達の花咲くような笑顔も、全て現実として映っていて――。


 「純真からその決意を耳にできて、僕は本当に嬉しいよ」


 元はと言えば、始まりは聖徳様からの突飛な命令だった。

 とはいえ、かしこまった純真からの正式婚約の申し出に、まるで親のように嬉しそうな態度を見せる聖徳様と翡水歌様に、久遠は瞠目してしまう。

 そんな久遠の戸惑いを察した様子で、聖徳様はさらなる驚きの言葉を告げてきた。


 「実はね、君達が"運命"で結ばれる二人である――という"太陽の導き"を出してくれたのは、僕の妻の翡水歌なんだ」


 久遠は呆然と立ち尽くしながら全てを悟った。

 前回、聖徳様から純真と久遠を婚約させる導きを出したのも。

 今回の謁見で翡水歌様が、珍しく姿を現したのも。

 まさに翡水歌様が太陽占いで純真と久遠を結びつけ、最初は婚約を内心渋っていた純真が自ら肯く未来を見越していたのだ。


 「久遠? どうかしたのかい。顔色が悪そうだけれど」


 まさに久遠にとっては、希望に煌めく"絶望"に等しい宣告だった――。


 「お、お言葉ですが、聖徳様、翡水歌様……私は……婚約については、今更ですが……了承しかねます……!」


 心無しか隣から凄まじい冷気のような視線を感じ、肩と背中が震えてしまう。

 それでも、久遠は精一杯の"反対"の意思を、言葉で紡がずにはいられなかった。


 「久遠……」


 久遠は思い切りつむった瞳越しに見つめられるが、緊張から今は純真君も聖徳様達も怖くて直視できない。

 純真君には申し訳なさないが、クリスティアヌス様以外の殿方と将来を誓い合うなんて、私にとっては言語道断だ。

 たとえ、婚約はあくまで口約束に過ぎないとしても。

 ましてや、国一の呪術を司る巫女様の預言に基づく契りカップリングであったとしても。


 「久遠は……純真を好きにはなれないのかい……?」

 「い、いえ。ただ、純真君のように高貴で将来有望な少年の未来のお嫁さんに……わ、私のように平凡で、歳も離れ過ぎている女は、あまりにもったいないかと……」

 「そうなのかい? 歳の差なんて、気にしなくてもいいと思うよ。私は今年でになるのだが、翡水歌はになるからね」

 「ええっ!? ……あ! 申し訳ありません……!」

 「いいんだよ、気にしないで」


 にこやかに微笑んだ聖徳様の衝撃発言と事実に、失礼ながら久遠は大袈裟に声をあげて驚いてしまった。

 聖徳様と翡水歌様が十以上歳の離れた夫婦であることも当然、ましては二人とも二十代後半に見えるくらいの若々しさに眩いているため、かなり動揺した。

 二人の例にならうのであれば、確かに久遠と純真を隔てる"五歳差"なんて、取るに足らない数字だろう。

 しかし、久遠にとって最大の問題は、単なる歳の差以前の事だ。


 「久遠には色々と戸惑いや思う事もあるだろうし、結局最後は当人同士の気持ちが大切になってくるからね……」

 「それならば……」


 聖徳様が久遠の心中を察し、意思を尊重してくれると思しき発言に、彼女は期待に瞬きをするのも束の間。


 「ただ、久遠が冷泉家当主の庇護の対象であり、その根拠と証として"正式な許嫁"という形を取らせてもらうよ」

 「……っ!!」

 「なあに。婚約するといっても、正式な婚姻の儀を行うのは、まだずっと先の話になるからね……焦ることはないから、安心しておくれ」


 結局、今の時点ではクリスティアヌス様以外の異性との婚約は、久遠の立場上不可避だと悟った。

 最後に聖徳様は、あまり深く気負いする事はない、と久遠を気遣う言葉を紡いでいた。

 生憎ショックと絶望感から、顔面蒼白で明後日の太陽を仰いでいた久遠には、ちゃんと響いていなかった……。


 *

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る