螺旋堂レイラの溜息

逆塔ボマー

呪いのトロッコ

 見える性質タチというのは何かと厄介ごとも招き寄せるようで、どうも一般の人々よりもロクでもない出来事に居合わせることが多いようだ。

 その日もまた、何気なく歩いていた街角で、盛大な衝突音と悲鳴を聞くことになった。まあそれが私の性質タチだというなら放っては置けない、急ぎ駆けつけて角を曲がる。

「ぶーぶが、どかーん! って!」

「じこ? みえないー」

 果たしてそこには、中央線もない狭い道路で、左側のブロック塀に斜めに突き刺さるトラックの後ろ姿と。その反対側、トラックから見て右手の歩道で騒ぐ子供たちの姿があった。車輪付きの檻のような台車の中、身を乗り出さんばかりにしている幼児が四人と、顔面蒼白で震えているエプロン姿の若い女性が一人。

 他にも野次馬が集まってきていて、トラックと塀の隙間を覗き込んだり、どこかに急ぎ連絡している人が居る。向こうは任せてしまってよいだろう。ならば私がやるべきことは。

「保育園の先生かい?」

「あっ、いえっ、その、こども園です」

「まずは君が落ち着きたまえ。君の最優先課題はその子らの安全だろう」

 私はエプロンの女性に近づいて声をかける。不自然にならないよう、さりげなく子供たちの視線を遮る。こういう時は私の長身も役に立つ。

「あっ、えっ、そ、そうですね」

「そうだ、唐突で悪いが、私はこういう者なんだが」

 懐から取り出した名刺を渡す。半ばパニックのまま、こども園の先生は反射的に受け取る。

「『スパイラル探偵社』……探偵さん、なんですか?」

「つまらない興信所の職員だがね、それだけに警察の相手は慣れている。ここは私が受け持つから、君はいったん子供たちを連れて帰りたまえ。園は近いのかい?」

「ええと、はい、ここから五分ほどで」

「園には誰か他に子供たちの面倒を見てくれる人はいるかい?」

「こ、この時間なら園長がいるはずです」

「よろしい。おそらく後から警察から呼び出しがあるはずだ。帰ったら君自身はすぐにでも動けるように準備しておくんだ。その際、今日の散歩のルートと時間、居合わせた子供たちの名前が要るだろう。メモか何かを用意しておくとよい」

「は、はいっ」

 具体的にやるべき課題を提示していくと、次第に若い先生も落ち着いてきた。こちらも手帳を取り出して、先生の名前や園の名前、連絡先を聞いて残しておく。彼女はその合間に騒ぐ子供たちをたしなめる余裕まで出てきた。これなら大丈夫だろう。

「そうだ、帰る時には、トラックの『向こう側』が子供たちに見えないように、気を付けて」

「あの、その、やっぱり……あっち側には……」

 最後に忠告をひとつすると、先生の顔がたちまち曇る。おそらく彼女の視点からはトラックの影になり、はっきりとは見えていない……しかし、察することくらいは出来てしまう。

 私も事故現場をチラリとみて、重い気持ちになる。後から駆け付けた野次馬に過ぎない身だが、見える性質タチは一足跳びに知りたくもない真実を私に知らせてしまう。ある種の映像ヴィジョンとして見えてしまう。

 誤魔化しても仕方ないだろう。私は若い先生に告げる。


「ああそうだ……居眠り運転だったのか、君たちを轢きかけたトラックは、寸前で気づいて慌ててハンドルを切って……道路の反対側に居た原付を一台、巻き込んだようだ。たぶん即死だよ」


 トラックの上に浮かぶ、おそらくこの場では私にしか見えない映像ヴィジョン。それは二股に分かれた線路と、片方に傾いたレバー、そして。


 ★


「そりゃ災難だったっすね……だけどその事故、まるで『』っすね」


 雪深ゆきみのあまりにもストレートな一言に、思わず小さくコーヒーを吹く。

 あれやこれやを警察に引き継いで、事務所に帰って。

 ありのままにあったことを話したら、これである。あるいはひょっとしたら、彼女の得意分野であるネットの世界にも親しい話題だから、だろうか。

「どしたんすか霊螺レイラさん、変な顔して」

「いや、たまに君、とんでもない時があるよな。そうだよ、そのまんまだよ」

「そのまんまって?」

「『』。今回の事故はそう呼ぶしかない奴なんだ」

 私は真顔で言い切る。雪深ゆきみは真ん丸眼鏡の下できょとんとした顔をしている。


 ★


 おそらく最も一般的なトロッコ問題は、以下のようなものだ。


 貴方はたまたま線路の分岐点の近く、分岐の行き先を操作するレバーの近くにいた。その時、向こうから暴走するトロッコが走ってきた。進路上ではそれに気づかず五人の人が作業をしていて、このままでは五人が轢き殺される。ところで、貴方の手元のレバーを操作すれば、トロッコの進路を別の方向に変えることができる。だが、そちらにも一人、線路上で作業している人がいる。操作すれば五人は助かるが、こちらの一人が死ぬ。

 選択肢は、操作するかしないかの二択とする。それ以外の行動は全て無効とする。

 貴方はレバーを、操作するか、しないか。


 ★


「トロッコ問題の……》? ってのはよく分かんないっすけど。改めてトロッコ問題って理不尽っスよねぇ」

 我らがスパイラル探偵社の事務所があるのは雑居ビルの二階、かつては喫茶店だった空間であり、テーブル席が並んでいたあたりは片づけて、事務用デスクや本棚や仕切りの板を入れてそれっぽく区切っているのだが。

 何となく面白いと思ったので、店の片隅にあった小ぶりなカウンター席と小さなキッチンは、ほぼそのままの姿で残している。どうせ水回りの設備は何かと要るのだし。

 これも喫茶店時代から受け継いだサイフォンで入れたコーヒーを、雪深ゆきみとカウンターに横に並んで飲みながら、雑談は続く。

「要するに、見なかったことにすれば五人死んで、行動すれば自分のせいで一人が死ぬ……どっち選んでもイヤな気分になるじゃないですか。後々も面倒臭そうだし」

「まあ、そういう『問題』だからな」

「二択のどっちかを選べ! ってのも酷いっすよねぇ。せめてレバガチャして脱線狙いとか、大声で逃げろー!と叫ぶとか、いくらでも他のこと考えつくのに」

「まあ、そういう『問題』だからな」

 むしろ理詰めで答えがひとつに定まるのなら、そもそも問題にはならない。絶対に綺麗な答えが出ない二択……だからこそ、この問いの存在意義があるのだ。

「どうせ考えさせられるんだから、もうちょっとこう、腑に落ちる答えというか……何か欲しくなっちゃいますよね」

 ん? 

 あっダメだ、雪深ゆきみでもそうなっちゃうのか。

「それだ」

「それ?」

「この問題は別に、聞いてしまったからって『考える』必要はないんだよ。まずその認識が大事だし……この問題を私が『』と呼ぶ理由でもある」

「はぁ?!」

 まあそうなるだろうな。分かる。仕方がない。説明が必要だ。


 ★


「そもそも『トロッコ問題』とは、何かね?」

「何、って言われても……問題、ですよね?」

「そう、『問題』だ。さて、では、誰が誰に、どういう状態で出す問題なのか?」

「どういう状態で……?」

 カウンターの向こうに回って、雪深ゆきみは洗い物をしながら首を傾げる。一応、事務所では雑用係のバイトということになっている彼女は、細々としたことを積極的にやってくれるし、私もつい甘えてしまう。

「考えさせるとか、議論を提示するとか、そういうことっスか?」

「違うんだ。まあこれ以上虐めても答えは出ないだろうから言ってしまうとだね。トロッコ問題というのは、実験心理学、あるいは倫理学が考察を深めるための『材料』なんだ」

「心理学……倫理学、っスか?」

「どちらを選んでも綺麗な正解にならない二択問題がある。それでも強いて選ぶならヒトはどちらを選ぶものなのか。その理由は何か。人種や宗教、国によって差が出るのかどうか。少し問題を変えたら比率はどう変化するのか……」

 私はカウンターの上に肘をつき、両手の指を組む。

「つまりだね。使われた場合には、『トロッコ問題』を出された側は、別に。データを集めて、悩んで、モヤモヤしたものを抱えながらも必死で考えるがあるのは、なんだ。本来はそういう構図なんだ」

「えー」

「根本的に、『心理テスト』の類でもなければ、禅問答の『公案』でもない。倫理の授業で皆で議論すべき課題でもない。だ。分からないからこそ、実験を重ねて、データを集めて、何かヒトの深層を探れないものかと考える。そういう種類の課題なんだ」

「ヒトの考え方を調べるための、糸口……」

「面白い問題バリエーションではね、同じ問いをヴァーチャルリアリティを使って身体を動かさせたらどうなるか、を調べたチームがある。画面に映像が映っていて、手元には実際にレバーがあって、レバーを動かせば画面の中の状況が変わる。そんな実験だ。結果は、『レバーを動かす』を選んだ人が一気に増えたそうだよ。このチームは、『トロッコ問題』なんてものは思考実験が生み出した幻なんじゃないか、とまで言っているね」


 少しだけ沈黙が下りる。水音だけが事務所に響く。

「で……でも、あんまりそういうこと、言われないっスよね……?」

「残念ながら、分かってないでコレを人に問うような輩は、けっこういるね。むしろその辺は雪深ゆきみの方が詳しいだろう?」

 私だってデジタル音痴という訳ではないが、ネットの世界については雪深ゆきみの方が詳しい。SNSから掲示板の類、動画投稿サイトの動向まで、彼女の守備範囲は非常に広い。

「まー、誰がどういうつもりで話題に出しても、ネットじゃだいたい、揚げ足取りみたいな大喜利になった果てに、誰かが怒り出すのがパターンっスね。『真面目にちゃんと考えろ』って」

「みんな真面目過ぎるんだよなぁ……中途半端な知識で……。大喜利にした方がまだマシだよ。笑いというのはそれ自体に厄除けの力があるからね」

 そう、真面目な人ほど危険なのだ。呪いというものは大概にして。


「データを取る構えも、自分なりの仮説も、結果を分析する用意もなく、を、あえて出題して、二択のどちらかを選べ、真面目に考えろと。こんなものは、ただそれを聞いてしまった人にストレスを押し付けているだけでね。つまりだ。そのつもりがなかったとしても、他者にを向ける行為だ。もうこの時点でほとんどのようなものなのだよ」

「呪詛ってこう、藁人形に釘を打つとか、変な呪文を書いたお札を張り付けるとか、そういうんじゃないんスか?」

「それらはあくまで、成功率を上げるための細かなテクニックに過ぎない。だからそうだね、このトロッコ問題のは、呪詛のだけが剥き出しで置かれているようなものだよ」

「呪詛の……エッセンス……」

「さらにそれを、ネットなんて所で不特定多数を相手にばらまいてみろ。ある種の感受性の高い人はうっかりし、でも、雑にやって失敗した呪詛なんてのは、人を呪わば穴二つ、いつだって術者の身にものなんだ。出題者のつもりだった奴が食らったとしても驚きはしない」

「あー、それは怖い……」

「今日、私が出くわした事故。たぶん、まさにそういう奴だ。が、うっかり問われてしまって捕らわれた人なのか、それとも不用意に出題した馬鹿なのかは分からない。けれど、私が見た映像ヴィジョンからして……あの事故は、『トロッコ問題の呪い』なんだ。呪われた人が、巡り巡って問題の中の登場人物を演じることを強いられた格好なんだ」

 雪深ゆきみがキュッと蛇口を閉める。一通りの洗い物を済ませて、手をタオルで拭く。まだどこか釈然としていない表情だ。


「…………まあ、霊螺レイラさんがそう言うなら、そういうことなんでしょうね。ここはもう、そういうものなんだとして……その上で、ひとつ質問、いいっスか?」

「どうぞ、どうぞ」

「それで結局、霊螺レイラさんが遭遇したその事故……『呪いにかかっていた犠牲者』って、?」

 流石は雪深ゆきみだ。冴えている。


 そう、あの事故、登場人物は三種類いる。

 幼児たちと、それを連れたこども園の先生。

 トラックの運転手。

 私も顔も見ていない、原付を運転していた人。

 まあ子供たちは除外していいだろう、ネットでトロッコ問題を見て悩む年頃ではない、おそらくは人数合わせの純粋な巻き込まれ役だ。

 その中で。


「さて……誰だと思う?」

 私は静かに微笑んだ。

 世の中には、考えたって答えの出ない問題というのはあるのだ。


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