呪物集めの美術商

原文ママ

三毛猫の剥製

 美術商をやっている私は、よく寂れた豪邸に入って一見ガラクタにも見えるような骨董物に目をやる。


 私は東北地方の、美術品を手放さねばならなくなった商家の倉に来ていた。

 

 家主は必死に美術品の肩書を語っていたが、私の目は一つの剥製に落ち着いていた。



 本物の芸術品など、名家の豪邸に一つあったら良い方というのが常だ。


 例え高名な画家の本物の作品であったとしても、それに値打ちがつくつかないは、芸術性と希少性によって決まる。


 芸術というものの大まかな定義は存在するが、人によってどこに重きを置くかは変わる。ある人は表現技法だと言ったり、またある人は表現内容だと言ったりする。


 つまり美術品は、芸術性という尺度に於いては、人によって値段の変わる代物になってしまうのだ。


 より手っ取り早い尺度は、その希少性の度合いである。それが芸術的かよりも、それが希少であるかどうかで芸術品を測るのだ。


 金や銀、アンティークコインやハイレートのトレーディングカードに至るまで、希少性は簡単に物体の価値を創造する。


 その根底にある心理は、希少性が幸運を意味するという考え方だろう。自分に関する何かが希少であればあるほど、自分は天から授かった特別なものを所有しており、その点において他者と差別化されると、人は考える。


 日本に於いてもそれは顕著である。


 とあるリンゴ農家が、台風によって収穫予定のりんごの9割が駄目になってしまい、廃業の危機に陥ったが、残った一割のりんごを十分の一の縁起物としてブランディングし、十倍の値段で売って難を逃れたという話もあるほどだ。


(だが基本的に)


 目の前の三毛猫の剥製に手を伸ばす。


 剥製は猫一匹が入るように調整されたガラスのケースに入っていた。この剥製自体はおそらく昔からあるものだが、現代の持ち主がガラスのケースに移したのだろう。四本脚で立って、のんびりと歩く成年の猫。それがガラスケースの中で時を止められているかのような、そんな剥製だった。


 家主は私が最早話を聞いていない事を悟り、じっと剥製のガラスケースを持ち上げた私の手を見つめていた。


(日本に於いては希少性がそのまま幸運を指し示すかはわからない)


 日本のおみくじで確率的に最も出にくいものは、実は大吉ではない。


 大凶である。そもそも、わざわざおみくじを引くために金を落としてくれる参拝者に、大凶など見せたくはないという心理が働くため、元から大凶など入れていない神社の方が多い。入れているにしても、大凶の確率は遥かに大吉より低い。


 その結果、大凶のおみくじは大吉よりもプレミアの深いアンラッキーアイテムとなってしまった。多くの人が大吉を引く代わりに、大凶を引く人間の瞬間的な絶望感は計り知れない。


 剥製の入ったガラスケースを横向きにして、三毛猫の股間を覗き込む。


 そこには猫特有の棘のついた男性器があった。


 家主はまだ気付いていなかった。希少性という観点においては、彼の所有するどの絵画も、どの彫刻も、この剥製には遠く及ばないという事実に。


 三毛猫は染色体異常でしかオスが産まれない。そのためその誕生する確率は三万分の一ほど、それがさらに完全な生殖能力を持って生育する確率はといえば...


「その剥製、値打ち物なんですか?」

家主が期待の籠もった声でおずおずと聞いてきた。


家主の方をちらりと見て、すぐに剥製に目を戻す。

「さぁ」

そんな、ある種テキトーにも聞こえるような返事を聞いて、家主は困惑したような顔をした。


 招き猫のモデルは三毛猫であることからも分かるように、三毛猫はその色合いや実用性から幸運の象徴と見なされてきた。


 そこにオスという希少性が加われば凄まじい縁起物になると、普通なら考える。


「この剥製はいつ入手したものですか?」

家主に問いかける。


「ああ確か、最近ですね」

家主は腕を組んで思い出すような仕草をする。

「事業がうまく行っていた時に、難病にかかって急遽お金が必要になった友達の手術費用を立替えた事があるのですが、その時にお礼といって寄越してきたものです、何なのかは話してくれませんでした」


 私は唐突に、その剥製の入ったガラスケースを床に叩きつけたい衝動に駆られた。


 希少性は時に強烈な不運を指し示す。何故なら、普遍的な幸運と一部の強烈な不運こそが望ましい現実だからだ。


 逆よりはいい。だから民主主義が生まれ、刑務所が生まれ、いじめが起こる。


 この剥製やそれにまつわる不運は、希少価値で言えば極端に跳ね上がる。

 

 美術商は稀にこのようなものに出会う、そして高値で売り渡す。

 

 だがこの家主が三毛猫の性別を知らないという事実が、この不運のタブーそのものを形容している。


 「買いましょう」


 そんな言葉が口をついて出てきた時には、私の心臓はポーカーのショーダウンの瞬間のような脈動を放っていた。


 タブーな行動、忌みモノ、呪物、そういったモノが実在することは知っている。ただし、それが不運を引き寄せるなど誰も知らない、あるのは不運という事実と、その更新だけ。


 しかし、その希少性を秘匿せねばならないほどの不運との関連性とその認識、過去の所有者のもった負の感情、その全てをコンテクストとして内包するこれは、間違いなく忌むべきものである。


 だが同時に、芸術でもある。それは巨匠の絵画のように傲慢で一方的な対話ではなく、人のむき出しの、飾らない負の感情の集積、それと対話する自分と、不運の一つとして刻まれ、後の所有者と対話する自分、この上なく開かれた、自由で永続的な対話。


 そんな芸術を求め、今日も私はタブーを犯したのである。

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