第22話:言いたくても言えないこと

「いってきます」


 誰に向けたわけでもない挨拶を告げ、家を出る。

 この辺りは冬はだいたい晴れていて、空が高くて気持ちがいい。

 今日は大丈夫だけど、風がめちゃくちゃ強いということを除けば…………。


(自転車直したいけど、季節的に全然良くないんだよなぁ。寒いし、風強いし、でもそんなこと言ってたらいつまでたっても自転車問題解決しないよね)

(今度の休みに自転車屋さん行くか)


 ずっと何とも思ってなかったことだけど、重い腰を上げることを決めると、少しウキウキしてきた。

 これで、行動範囲が広がるし、何よりも休みの日に自転車で日和の家に行ける。

 

 目的が、私の家にある私のものを日和の家に置かせてもらうってことなのが少し残念というか、悲しいというか、私のためなんかで本当に申し訳ないと思うけど、好きな子の家に行ける口実があるってだけで、幸せな気持ちが次々に湧いてくる。


「ふふっ、幸せスパイラルだ!」

 

 ちなみに昨日、日和からお土産でもらったケーキを「お土産」と言って渡すと、母親は少し驚いた顔をしたが「ありがと」と言って受け取った。

 朝、少し早く目が覚めたので冷蔵庫を確認すると、ケーキが二つ減っていたので、母親と父親、もしくはどちらかが食べたのだろう。

 

 学校に行く前に顔を合わせた特に何も言われなかったので詳細はわからないが、せっかく日和の家の美味しいをケーキ食べたのだから、何か感想くらい言ってもいい気がする。


「まー、別にいいけど…………」


 以前だったら、湧き上がる嫌悪感を抑えきれなくなっていたと思うが、今は不思議とそこまで嫌な気持ちにならず、むしろ『まぁ、いっか』と気持ちを切り替えることができている。

 いや、むしろ『どうでもいい気分』という表現が正しいだろうか。

 今日帰った時にまだ残ってれば、シュークリームかアップルパイが食べたい。


 家に帰ることが楽しみになるなんて、初めてだった。


「みーおー! おはよう!」

「うあぁ。びっくりしたー」


 学校に近づいたところで、後ろから大声で呼ばれて思わず声が出ててしまい、突然の大声に驚いた周りにいた人たちからの注目を浴び、恥ずかしくて固まる。


「お、おはよう。ちひろ、もう、驚かせないでよ」

「ごめんごめん。…………あの、みお、昨日、ごめんね。せっかく誘ってもらったのに、いきなりキャンセルしちゃって・・・」

「うん。でも用事だったんでしょ? 仕方ないよ。大丈夫だった?」

「うん。おかげさまで……」


 おはようの挨拶の時はあんなに元気だったのに、昨日のことになると途端に元気がなくなってしまった。

 なんだか元気の無いひまわりのようで、少し悲しい気持ちになる。


「よかった。昨日はイルミネーション見に行かなかったから、また三人で予定調整して行こっか」

「え、そうなの? なんで…………。でも、それじゃぁ日和ちゃんにも悪いことしちゃった」

「ううん。大丈夫。やっぱり3人で行った方が楽しいと思うし。日和も気にしてないと思うよ。でも、昨日はその代わりに日和とカフェに行ったんだ。そうだ、ちひろ、3Dラテアートって知ってる? 泡で作ったネコがこう立体になってカップからこっちを覗いてるんだけどすっごく可愛いんだよ。待って、今、写真見せるから」


 ポケットからスマホを取り出し、写真を表示してちひろに渡すと、ちひろは暗かった表情を一変させて、3Dラテアートのネコに目を輝かせる。


「すっごい! 初めて見た!」

 

(やっぱりちひろはこういう顔が似合うよね)

 

「みお、これめちゃくちゃカワイイね。いいなーいいなー! 私も行きたい! 連れてってよ」

「そうだね。今度行こっか」

「やったー!」


 先程までの顔がどこへやら、ちひろは大袈裟に飛び上がり喜んだ。


 

「なーに二人で話してるのかな? 朝から元気だねー。おはよー」


 自転車が私とちひろの横に止まり、日和が朝の挨拶をしてくる。

 

「あ、日和おはよう! 昨日はありがとう!」

「日和ちゃん、お、おはよう。あの、昨日はごめんね」

「おはよー。ん、いいよいいよ。大変だったね。用事は大丈夫だった? 今度また遊ぼうね」

「うん……ありがとう」


 ちひろの顔が再び曇る。笑顔もぎこちない気がするのは…………気のせいじゃないと思う。


 日和がそれに気がついたかは分からなかったけど、「それじゃーまた教室でねー」と言うと、日和は手をヒラヒラ振りながら、行ってしまった。


「自転車やっぱりいいよね。自分の直すか新しいの買うか…………いや、お金がなぁ。って違う違う」

「ちひろ、何か困ってることある? 何だか元気ないように見えるけど」

 

「ん? そ、そんなことないよ…………」

「うーそ。そんなこと言っても分かるんだからね。私にできることない? 家のこと?」

「いや、ちがっ、みお…………あの……ひよりちゃ…………」

「私? 日和?」

「…………なんでもない」


 そう言うと、ちひろは黙って俯いてしまった。

 両手でスカートを掴み、何かを必死に我慢しているようにも見える。

 

「ちひろ、私、また何かしちゃった?」


 ちひろは俯いたまま、首を横に振る。


「日和のこと?」


 ちひろはまた、首を横に振る。


「今は、言いたくないこと?」


 ちひろは少し間をおいて、ゆっくりと首を縦に振った。


「そっか…………。私、ちひろのそばにいて大丈夫?」


 そう聞くと、ちひろは顔をあげてくれた。

 ただ、目には涙が溜まっていて、泣くのを必死に堪えているように見える。


「ちひろ?」


 ちひろは私の顔を見つめ微かに声を発するが、言葉として伝わってこず、その後も何度か何か言おうとするが、言葉がまとまらない様子で言い淀むことを繰り返した。

 私は、優しくちひろの両手をとり話しかける。


「ちひろ、落ち着いて、ゆっくりで大丈夫だよ」

「………………うん」


 ちひろは、ゆっくりと息を整えてから、絞るように話し始めた。

 

「あのね、うまく、言葉にできなくて…………でも、みおのせいとかじゃ、なくて」


 言葉を選ぶようにして話を続ける。


「私の中で、こう…………整理がついてないことがあって、みおとか、日和ちゃんと関係ないわけじゃないんだけど…………」

「そっか、ごめんね」

「みお、あやまらないで。私が悪いんだから…………」

「………………」

 

「いつか、ちゃんと言う。みおに。だから、少し待ってて欲しい」


 少し前に、ちひろは私の代わりに私の母親のことで怒ってくれた。

 その時も、辛そうな顔をしていたけど、今は内面的なことでもっと辛そうに見える。

 そんなちひろのために何もできないということが、歯痒くて仕方ない。

 

「わかった…………。でもちひろ、私にできることあったら、なんでも言ってね」


 ちひろは少し目をそらすと小さな声で「うん」と返事をした。


「それじゃー、学校いこっか、遅れちゃうよ」

「うんっ」


 今度はさっきよりも少し大きな声だったので、少し安心した。

 

 でもちひろは何に悩んでいるのだろうか。


 ちひろは、私と日和に関係ないわけではないと言った。

 

 昨日、遊びに誘ったこと、もしくは急にできた用事に何か関係があるのだろうか。


 心当たりがないのがモヤモヤするけど、今、根掘り葉掘り聞かれることをちひろは良しとしないことは明らかだった。

 待つしかないのだけど、それでも、何か私にできることがある気がする。


 少しずつでもいい。

 ちひろのことも、もっと知りたい。

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