ガラクタと遺産.2
三人が降車し、ヴァンダは足を引き摺りながら後に続いた。ロブが老人の肩に手を添える。
「瓦礫があるから危ないっすよ」
礼拝堂の奥から冷気が流れ出した。青い髪の女が身を震わせる。
「怖いのか?」
刺青の男が歯を見せた。
「馬鹿ね。臆病と慎重は違うわ。中にはまだ魔族がいるんだから」
ヴァンダを導きながら男女に追いついたロブが言う。
「そうっすよ。ここは
「詳しいな」
「僕も殺し屋っすから。中には人間に擬態する魔族もいるらしいっすよ。
「やっぱり爺さんは置いてった方がいいんじゃない」
ヴァンダは首を横に振った。
「老いぼれでも手前の身ぐらい守れるさ」
ヴァンダはふらつきつつも迷いなく歩み出した。刺青の男が女の肩を叩く。
「囮くらいにはなるだろ」
三人は老人を追って、ダンジョンへ向かった。
腐った扉を押すと、一瞬で辺りが闇に包まれた。
黴の匂いと腐臭が押し寄せる。ロブが細くえづく声が漏れた。
女がライトを点けると、巨大な動物の喉に飲まれたような凹凸の道が現れた。瓦礫に埋もれた床に正方形の穴がある。奥には崩れかけの石段が地下へと続いていた。
刺青の男がスーツの下から斧を取り出す。
「行くぞ」
暗闇に苔むした石段を踏みしめながら進む四人の足音が響いた。女が手にしたライトが揺れるたび、壁についた血糊や毛髪のような塊がチラついた。
「雰囲気ヤバいっすね。ヴァンダさん、足元気をつけてくださいね」
「本当に≪勇者の血≫があるんでしょうね。罠じゃないの」
「妙なこと言うなよ。確かな情報だ」
「その情報の出処は何処なのよ。屍魔が襲ってきて横取りされるなんて御免だから」
石段が終わり、四人は地下に降り立つ。先頭の男が呻いた。
「お前が変なこと言うから……」
一条の光の帯の先で何かが蠢く。腐臭が濃くなった。人型の影が地下道を埋め尽くしている。
闇に慣れた四人の目が影は輪郭を捉えた。人間に見えたそれらは腕や脚が欠け、赤錆のような死斑に覆われていた。
頭蓋から白濁したものを零し、空洞の眼窩に蠅をたからせ、まろび出た腸をぶらつかせながら揺れている。
男が震える声で言った。
「屍魔だ……」
女が素早くライトを口に咥え、両手でボウガンを構えた。風を切って放たれた矢は一体の屍魔の腹に突き刺さる。骸は倒れることもなく、腹に矢を生やしたままこちらを向いた。
「くそっ、気づきやがった」
男が斧を構える。無数の屍魔が一斉に歩き出す。ロブはヴァンダの袖を引いた。
「ヤバいっすよ。僕の後ろに隠れてください!」
「その前に、クスリ飲ませてくれ」
老人はスーツのポケットから錠剤を取り出し、水もなしに口に含んだ。
「今そんなことしてる場合じゃ……」
老人の目が赤く光った。ヴァンダは二対の山刀を握り、重心を低く構える。
「ちょっと、爺さん何して……」
声を上げる女の横を、疾風が駆け抜けた。
ヴァンダは目前に迫ったグールの腹に肘を打ち込んで弾き、山刀の鞘を抜き放った。脆い天井が砕ける。
降り注いだ破片に気を取られた屍魔の頭蓋を山刀の一撃が割った。
血と脳症が散る中、ヴァンダは地面に倒れ込むように前傾した。獲物を見失って狼狽える屍魔を山刀が次々と切り裂く。
男は斧を構えたまま叫んだ。
「あの爺さん何やったんだ!?」
「魔薬っすよ! すごい副作用の代わりに身体能力を爆上げする大昔のヤバい薬っす! まだ流通してたんすね!」
脚が、腕が、腐りかけの頭部が宙を舞う。屍魔を切り刻むヴァンダの背後に影が迫った。
「ヴァンダさん、後ろ!」
ロブの声と同時に、白の死装束を纏った屍魔の爪が彼を襲った。ヴァンダは魔物の膝に脚をかける。山刀が一閃され、仰け反った屍魔の首から上が切り離された。
ヴァンダは身を翻し、残る一体の屍魔を正面から刺突する。魔物の胸を刃が貫き、背面から色褪せた心臓が零れ落ちた。
後にはただの骸に戻った屍魔が散らばっていた。
「すげえ……」
三人が嘆息する。ロブが死体を蹴散らしながら駆け寄った。
「マジですごいじゃないっすか! 老いぼれなんて全然そんな……」
突然、ヴァンダは身を折って咳き込んだ。口元を抑えた指の隙間から暗褐色の血が溢れ出す。
「大丈夫っすか!?」
「……たぶんこの仕事が最後だな。やり切るまでは死なねえよ」
ヴァンダは血をシャツで拭う。ロブはバンダナを解いて彼に突き出した。
「これ使ってください」
「やめな。勇者の赤は血で汚れちゃ終わりだ」
ヴァンダは目尻に皺を寄せて、ふらふらと歩き出す。ロブはバンダナを握りしめ、彼の後を追った。
先行するふたりの背後に男女が続いた。
ライトを揺らしながら女が呟く。
「屍魔はもういないみたいね」
「あの爺さんが全部片付けたな。簡単な仕事だった」
光の先に開けた空間が覗いた。ロブが指をさす。
「あれ、そうじゃないっすか!」
仄暗い空洞に棺のような銀の箱が置かれていた。足を止めたヴァンダを余所に、三人は箱に駆け寄る。
細かな調度が施された箱の縁には錆びた鍵がかけられていた。
「確かめようぜ」
男が刺青まみれの指で箱の蓋に触れた。
「あんた開けられるの?」
「俺の
男が蝶番をなぞると、バラリと音を立てて鍵が外れた。
「よし、お前らも手伝え」
三人がかりで押すと、ようやく箱の蓋が開いた。濛々と煙が立ち上り、霞の中から仄かな輝きが漏れる。埃にまみれた透明なガラス瓶に、紅玉に似た輝きの赤い液体が満ちていた。
「≪勇者の血≫だ……」
三人が歓声を上げる。
「本物の≪勇者の欠片≫っすよ!」
「俺も初めて見た!」
「これ、どうする気?」
遠巻きに三人を見ていたヴァンダが嗄れた声で言った。
「然るべき場所に預ける。それで終わりだ」
「そりゃないだろ。せっかくの武器だぜ」
「じゃあ、どうする」
「山分けして使うに決まってるだろ。これがあれば最強の殺し屋になれる」
「そうよ。私たち、魔王禍とこれからも戦わなきゃいけないのに」
「駄目だ。俺が引き取る」
ヴァンダは短く答えた。男がかぶりを振る。
「そりゃないだろ。爺さん、あんたには感謝してるけど……」
途端に、ロブが呻き声を上げた。ヴァンダが視線を動かす。
「どうした?」
ロブは腹を抑えながら蹲った。
「すいません……黙ってたんすけど、屍魔に腹引っ掻かれて……急に気分が……」
ヴァンダは山刀を置き、男女を押し退けてロブの元に歩み寄った。
「死体の毒に当たったな。傷口を絞るが、その場しのぎだ。早く戻って医者に見せろ」
「でも、≪勇者の欠片≫が……」
「後は俺がやる。早くダンジョンを抜けて––––」
ヴァンダの言葉は途切れた。乾いた唇から血が零れ落ちる。ヴァンダの胸を五本の黒い鉤爪が貫いていた。
「爺さん?」
「どうしたの?」
黒い閃光が二条走り、男女の身体が音もなく倒れる。切り離された首が遅れて転げた。
ヴァンダは激痛に呻きながら目を見開いた。
「ロブ、お前……」
「死期を早めたな、爺さん。まあ、≪勇者の欠片≫を譲ってくれたところで見逃すつもりもなかったが」
ロブは鉤爪をヴァンダの胸から引き抜き、唇を吊り上げた。
「屍魔を蹴散らしてくれて助かった。こっちも派閥争いが激しくてね」
ヴァンダはその場に崩れ落ちる。霞む視界に黒い影が広がった。
「人間に擬態……下級魔か!」
「古い伝説は終わりの時だ。地獄で勇者に会えるといいな」
ヴァンダは血の海に倒れ込んだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます