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野澤仭

第1話


「きれいな石だったね、母さん。宝石みたいだった。小さいのでいいから、お土産に1つもらって帰りたかったな」

「あなた、将来お父さんみたいな研究者になりたいんでしょう? そうしたら、あの石を毎日見たり触ったりできるわよ」

 家族のためにチャーターされた、小型機の機内。母と中1の娘は、すっかり女子同士の会話に花を咲かせている。

「父さんの仕事って、あんなきれいなものが見られるんだね。むずかしい研究ばっかりで大変そうって思ってたけど、余計に興味湧いちゃった」

「そうだ、あなたがお嫁さんになるとき、あの石を婚約指輪にしてもらったら?」

 お嫁さんになる、という母の一言を目敏く聞きつけ、後ろの座席にいる父がニヤニヤしながら横槍を刺してくる。

「何を言ってるんだ、お嫁になんか当分行かせないぞ。この子は、私のアイドルだからな」

 父の隣に座る小4の弟も、すかさず話題に乗ってくる。

「ぼくもあの石、すごくきれいだと思った。あれが無限のエネルギーを生むかもしれないなんて、夢があるよね。将来は昆虫の博士になりたかったけど、やっぱり石の研究にしようかなぁ」

「お? 絢哉じゅんやも、お姉ちゃんと2人で石の研究してくれるのか? そいつは頼もしい。私が歳取ってからも、将来安泰だな」

 父は自分にそっくりで利口そうな眼鏡の息子の頭を撫でながら、窓の外の何かに気づき視線を移す。

「おい、ちょっとあれを見てみろ。飛行機なのか、ヘリなのか……見たことのない機体だ」

 物識りの父が、遠くのほうで飛行している何らかの機体を見つけて指差す。弟も窓の外に目を遣り、双眼鏡を構えてすかさずそれに反応した。

「ほんとだ、国内の旅客機じゃないね。自衛隊機でもなさそう、……っていうか、機体に何も書かれてないんだ。父さん、あれ、なにか変だよ」

 弟がそう言っているうちに、正体のわからないその機体は家族の乗る小型機へと不自然に近づいてくる。

「ねえ父さん、これって……危ないやつじゃない?」

 姉がそう尋ね、父は額に脂汗を滲ませながら声を震わす。

「これは……。とうとう来たか、それもこんな時に!」

 そう父が言う間もなく、小型機を激しい衝撃と轟音が包む。正体不明のあの機体が、体当たりしてきたに違いない。何が起こったか窺い知る間もなく、4人はベルトを締めた座席の上でその混乱に翻弄される。

 やがて小型機は、レーダー誘導のお陰でどうにか墜落を免れ、近くの島の砂浜へ不時着した。翼を折られなかったことが、どうやら幸いしたようだった。

 乗っていた家族のうち、中1の姉はどうにか気を失わずにいた。しかし機内の照明はすべて落ちてしまい、周囲の様子がわからない。煙と煤の匂いのなか、手探りで席を離れた姉は、家族の所在を知るため声を出そうと試みた。

 手足の何箇所かが、激しく痺れて痛む。骨折しているのだろうと思ったが、それを案じるどころではない。

「父さん、母さん、絢哉!! どこにいるの!」

 そう彼女が声をあげた瞬間、小型機を再び爆音と振動が襲った。それと同時に、背中に鈍い衝撃と焼けるような激しい痛みを覚える。

 自らの生死の判断すらつかなくなった動物のように、断末魔の如き叫び声をあげて彼女はその場に倒れ、意識を失った。


 * * *


 地球上に恒久的にはたらく重力をコントロールする、倒置重力(リバースG)機構。その開発により、半永久的に稼働する発電システムを人類は手に入れていた。積年の悲願の末に実現した、画期的なエネルギー改革だった。

 わずか10年足らずで化石燃料は過去の遺産となり、国際社会の勢力図やマネーゲームの動向も大きく変化していった。そんななか日本は、リバースG発電技術のトップランナーとして世界でも頭ひとつ抜きん出た存在となっていく。

 それには、日本近海の深海底に大規模な鉱脈群を持つ「新たな鉱物」が大きく関わっていた。リバースG発電の成り立ちには、その鉱物が欠かせないというわけだ。

 そんな顛末で世界屈指のエネルギー資源保有国となった日本だが、国際社会や経済情勢とは一線を画した領域で、とある深刻な問題を抱えることになる──。




1. 堕ツ・アイドル(Datsu-Idol)


 一條ナナカ。

 アジアを代表するアイドルのひとりとして、頭角を今まさに顕そうとしている存在だった。

 しかしこのところは、来月分のスケジュールの先方都合による謎のキャンセルが相次いでいる状況だ。

 これまでは、目立ったトラブルなどなく順調に活動を続けられていた。出演番組やイベントなどの仕事にも、自分たちの都合で穴を開けたことはない。こちら側の不手際や落ち度で、仕事を断られるような心当たりは何ひとつなかった。

 別段不穏に感じるほどのことでもない。単なる偶然だろう。

 ナナカはそう思い、無用に神経質になるのはやめることにした。


 総勢23名から成るアイドルグループ『レディー・フォー・コンプリケーション(Ready for Complication、略称レディコン)』。一條ナナカは、そのフロントメンバーとしてこれまで4年半活動してきた。ファンも増えてテレビ出演の機会も多くなり、いわゆる「トップアイドル」と呼ばれる立ち位置への足掛かりはつかめたように思う。

 今年1月に18歳の誕生日を迎えたナナカは、グループ内でのキャリアも最長となった。そのためか、リーダー的な役割を任される機会も増えている。大学へ通いながら芸能活動を続けることを決め、これからますます多忙になることが確実だった。

 その、はずだった。


“ナナカちゃん、明日のお仕事の予定全バラシになったでしょ。ちょうど10時半から事務所に呼ばれてるから、明日は一緒に行きましょ”

 マネージャーのリリコちゃんが、メッセージアプリで連絡をくれた。リリコちゃんは元アイドルで25歳とまだ若く、今はレディコンの屋台骨として忙しく働いてくれている。

 最近までの忙しさで、ナナカ自身もテレビ出演やイベントの予定が押してしまっていた。そんなこんなで、事務所へ出向くのも2か月ぶりくらいだ。久々に事務所のスタッフたちに会えるのも楽しみだし、気分転換も兼ねて出かけよう。

 ──それに、久しぶりに寝坊できる!

 ここのところ、地方イベントで連日朝5時起きという日々が続いていた。遅くまで眠れることもあり、ナナカはその日ちょっとだけいい気分でもあった。


 翌朝。

「えっ、それっていつ載るんですか!?」

 ナナカは、思わず声を裏返らせながら訊く。事務所を訪ねるといきなり社長が現れ、これまたいきなり自分自身に関する記事の誌面のスクリーンショットを提示されたのだ。

「今週末に出る週刊誌に、これが掲載される……ということ、だそうだ」

 社長が出てくるというだけで大ごとだし、予告もなく何故そんな事態になっているのか、ナナカには見当がつかない。

 誌面には、ナナカが正月休みに同窓会に出向き、昔の級友たちと撮った写真が載せられている。──が、明らかに悪意で切り貼りしたとしか思えない、稚拙な捏造がされていた。

「ちょっと待ってください、何ですかこの熱愛スクープって。ありえないし完全に事実誤認、ってか写真に切り貼りしてるじゃないですか」

「分かってる。どう考えても素人が簡単に作れる雑なコラージュ並の出来だ。ただ、それが週刊誌に載ってしまえば読者は簡単に信用するんだよ」

 社長はかなり憔悴した表情をみせ、一息置いてまた続ける。

「……こんなことになるなら、同窓会への参加を申し出てくれた時点で予防線を張り、きみを守るべきだった。こちらの責任というほかない。本当に申し訳ない」

 自分の中で揉み消したはずの悪い予感が、一気にフラッシュバックする。仕事が立て続けにキャンセルされているのも、近々の撮影やロケの予定をバラすとの連絡が相次いでいるのも、

 これ、のせいかもしれない。

 隣に座っているリリコちゃんは、半べそをかいていた。

 これはもしかすると本当に、事実無根の捏造記事で自分のアイドル生命が危機にさらされようとしているのかも……。

 しかし、目の前で展開されている急転直下の事態を、ナナカは何故か他人事のような視点からとらえることしかできなかった。


 事務所の社長に、土下座をして謝罪された末の帰り道。隣を歩くマネージャーのリリコちゃんは、まだ目を真っ赤にしている。

「ねえリリコちゃん、私、アイドル辞めることになるのかな。そしたら、何したらいいのかな……」

「そんな、早まっちゃだめだよナナカちゃん! スキャンダル報道から復帰して活躍してるアイドルなんて、たくさんいるんだし!」

「でも、こうなった以上復帰はできても、あたしが目指してたアイドル像を貫き通すのは、きっと無理。純粋な夢を与えられる存在で居続けることは、もうできないと思うの」

 そもそも社長にも、リリコちゃんにも非はない。それに、みんな一生懸命やってきた。そう、レディコンをワールドクラスのアイドル集団にするために。

 それだけにナナカは、まだ志半ばであるメンバーみんなの道を、自分の都合だけで閉ざしたくなかった。

「リリコちゃん、私レディコン辞めるよ。恋愛禁止の掟を守ってたのに、それを破ったことにされていなくなるのは癪だけど……。先のことは、もっと時間をかけて考えてみる」


 記事は予告通り週刊誌に掲載され、その後のナナカの仕事は潮が引いていくように途絶えた。当然ナナカ本人は事実無根を主張し、それが各メディアのトップニュースにもなった。ファンによる、グループ脱退撤回を求める署名運動なども行われているらしい。しかし、一度付いた火は簡単には消えないし、火を付けられた事実は決してなかったことにはならない。

 そして当のナナカ本人は、依然としてこの騒ぎへの「他人事のような気分」が抜けていなかった。ネットやワイドショーでどんなに自身や事務所側の脇の甘さを批判されても、「ふーん、そうなんだ……」という程度の感想しか持てないのだ。

 事務所は、今後も全面的にナナカのバックアップを続けてくれるそうだ。裏方をめざすにせよ、アイドルとして再起を図るにせよ、十二分に協力体制を敷くと言ってくれた。

 しかしナナカ自身、それはなんとなく違うような気もしていたのだ。

 自分は長い間世話になってきた事務所に対して、まだなんの貢献もしていない。正直、何もかもこれから始まるはずのことだった。それに、レディコンはナナカ1人のためのグループではない。あと22人もメンバーがいて、彼女たちにも将来がある。自分1人がここで特別扱いされて持ち上げられることは、はっきり言うと本意ではなかった。

 

 結局、ナナカは先のスキャンダル報道が事実無根であることを強く主張したまま、グループ脱退を決意する。それでも事務所は、責任をもってナナカの住居や生活の世話を当面は無期限継続してくれると言ってくれた。しかしナナカはそれすら固辞し、半年後の契約満了をもっての退所を宣言することになる。


 * * *


 そして2か月が過ぎ──。

 ナナカは、まだ事務所が借りている都心のマンションに暮らしていた。次の一歩をどう踏み出すべきか、目下考えているところだ。アイドルになると決心した時点で、神奈川の実家を勘当されるように飛び出してきた以上、帰る気は毛頭ないと決めている。

 ──こういう思いをして、次に何をすべきか考えあぐねている芸能人など、おそらくは山のようにいる。自分だけが悲劇のヒロインのように振舞う由など、これっぽっちもないと思っていた。

 と、その日の昼過ぎに、珍しくマンションの住所宛てに封書が1通届く。事務所と役所関係以外にはまったく知らせていない住所なのに、不思議だった。

 届いた封書には「27エキップ」という団体名と、「面接案内在中」との記載がされている。今後のために事務所が気を回してくれたのかもしれないと思い、封筒を開けてみた。

 どうも、アイドルや俳優のオーディション案内ではないようだ。妙に文面がお役所的だし、人材を募集する目的もはっきりと記されていない。しかし、パンフの隅に記載されている一文に、ナナカの目はうっかり留まってしまった。

 “これはすべての人を、絶対的危機から救うお仕事に就くための人材セレクションです”

 ──は、はい? なんですか?

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