第3話 港町 ~奴隷少女と魔法使いの少女~

『ドン!!』


 大きな音とともに、市民の歓声が上がる。

 魚屋の店主が、新鮮な魚を、包丁で勢いよくさばいているようだ。

 ベリーポートという名の港町は、帝国領の南部に位置する活気のある都市だ。

 暑い夏の日差しにもかかわらず、市場の一角では冷たい風が周囲に吹き、涼しげな空気が満ちている。

 多くの客が足を止めているのは、魚の解体を見るだけではあるまい。

 事実、足をとめているこの若者も、その一人だ。


 魚屋の店主が、切り落とした魚の頭を掲げる。

 店主が「ふぅー」と大げさに息を吹きかけると、魚は氷漬けになった。

「ワーッ」と客から歓声があがる。手をたたいて口笛を吹く者までいる。

 魚屋は、大げさな動きで魚の切り身を凍らせては、その場で値をつけて売っていった。威勢の良い店主の掛け声に、客は次々と手を上げ、買っていく。


 魚を凍らせているのは、もちろん店主本人ではない。

 恐らく、魚売りの裏側に、冷気を操る魔術師がいるのだろう。

 小さな目標に対して正確に氷魔法を命中させている。

 魚が積まれた棚の影で、一生懸命、呪文を詠唱しているのか。

 魚を凍らしながら、周辺の空気を、通行人が快適に感じる温度に保っている。

 いったいどういう仕組みなんだ?

 目をこらすと、霧状に出された水が凍って、心地よい冷たい風に転じている。

 さぞ加減が難しいだろう。ご苦労なことだ。


 若者は、フッと笑い、まくっていた服の袖を伸ばした。

 急に寒すぎるのも問題かな、風邪をひいてしまう。

 まあじきに、冷気の魔力も尽き、この見世物も終わるだろう。

 それまで、ここで涼んでいくのもいい。

 巡回の兵士達が、雑談しながらゆっくりと通り過ぎているのが、視界の端に映る。


 店主には悪いが、若者は、ぜいたくな生魚よりも、干物が好きなのだ。

 余裕があるし、いくつか買っておこうか?

 ふと、若者は露店の樽の後ろには、誰がいるのか気になった。

 どんな魔法使いだろう?知っている者ではないか?


 かつて、若者も魔法を学んでいた。剣を振るうより、魔法の才があると両親が判断し、高い学費を払い、親戚が勤める大学に入れてくれたのだ。

 道半ばで諦めることになったとはいえ、同じ年ごろの男女と過ごした楽しい思い出が、胸によみがえる。あのころは、すべてが輝き、未来は希望に満ちていた。


 この地方で魔法を学べる場所はそう多くない。知った者だといいのだが。

 大学の風は、ここの風と同じで、涼しく透き通るようだった。

 同じ学校で学んだ仲間たちの顔を思い出し、冷気が得意なやつはいたかな、と記憶をたどる。

 案外、見知った顔のあいつが、どこかの商会で働くことになったのかもしれない。

 冷気と冷風を複数同時に操るとは、なかなかのものだ。

 手放しで称賛できる技術だ。魔法使いギルドに、所属している者だろう。

 かなり高度な詠唱か練成陣が必要なので、使い手は少ない。

 この世は、縁だ。コネが全てだ。顔つなぎをしておく事は、損になるまい。


 そういえば、学校に行くきっかけとなった教授は元気にしているだろうか?

 親戚に学校の教授がいるといのは、大きなコネだった。約束された未来!!

 だが、青春の終わりは、ほろ苦いものだった。元々は、違う世界だったのだ。

 貴族の縁故だけでなく、財力、何より才能が必要だった。

 若者は、胸に入れた財布を触り、ギュッと握りしめる。ずっしりとして、重い。

 硬貨の感触が、布ごしにはっきりと伝わる。

 思いもかけず得た、この金貨は、無限の可能性を秘めている。

 今は、全てをやりなおすチャンスなんだ。若者は物思いにふけった。

 

 解体ショーは終わったのだろう。魚屋の売り子が、氷の入った樽から、魚を取り出し、呼び込みをはじめた。

 夕飯の買い出しの時間だからか、若者や主婦たちが競うように集まっていく。


 なるほど、飛ぶように売れていく。だが、全ての者が買えるわけではないようだ。

 首輪をつけた美しい亜人が、財布を持ち、懸命に手を伸ばすが、周囲の人間に押しのけられた。売り子も、奴隷を見ようとしない。何度も同じやりとりが続く。

 あの奴隷は、なぜ、この店にこだわるんだ?

 主人に買うよう言いつけられているのか?買えなかったら、帰宅後どんな仕打ちを受けるのだろう。鞭で打たれるのだろうか?怒鳴られるだけで済めばよいが。

 あきらめて別の店で買っても良いのではないか?観光客向けの店は高いものだ。


「あの亜人にも、魚を売ってやらないのかい?金も持っているようだよ。」

 若者は、財布を出しながら、魚屋の一人に声をかけた。

「あれは、”インス”だから、後でいいんだよ。一番最後でいいんだ。奴は亜人の”インス”なんだから!」

「そうかい。ああ、僕も買うよ」若者は、一尾の魚を買う。

「毎度あり!旦那は観光かい?もう一尾、おまけしとくよ!」気前の良い魚屋だ。


 亜人は、こちらを物欲しそうに見ていたが、あきらめて去っていこうとする。

 若者は、美しい亜人の服を引きとめると、笑顔を浮かべながら、ゆっくりとした口調で声をかける。

「僕は、生の魚は嫌いなんだ。良かったら貰ってくれないか?」

 魚の入った包を無理やり、驚く亜人の胸に押し付ける。


 何事かと恐怖に顔が歪んでいた奴隷は、困惑した様子だったが、魚を受け取り、何度もお礼を言うと卑屈な笑みを浮かべて去っていった。


 案外、目立っているらしい。

「”インス”に施しをするなんて!もの好きがいるもんだ!」「よそ者はこれだから。」「金持ちの道楽かな?」周囲の聞こえがよしの言葉を、若者は無視する。


 この町は、他の帝国領の町と同じく、亜人へ良い感情を持っていないようだ。

 それにしては、特定の亜人に対して当たりが強いようだが、理由は何だ?

 

 少しづつ日が傾き、客も少なくなった。やはり、この魚屋は何か気になるのだ。

 特に樽が気になる。どうしても知りたくて、この時間まで粘ってしまった。

 遠巻きに見ていた若者は群衆から少し離れて、樽が積まれた裏に近づいた。


「あっ!ロードレックの坊ちゃん!」

 明るい声が響き、三角の黒い帽子が、樽の向こうで動く。

 黒いマントに身を包んだ、小柄で赤毛の若い女性と視線が合う。

 やはり、見知った顔だった。それも最近、雇ったばかりの護衛の一人だ。

 赤い服からのぞく、首元の鎖骨が美しい女性だ。若者は笑顔で語りかけた。


「フィーナさん!水と氷の2重属性を操るなんて、さすがです。すごいですね!」

 そばかす顔のフィーナは、うれしそうにほほ笑んだ。

「ううん、氷だけ。どう?私の氷魔法は?」

「いいと思います。特に、店の周囲にある透明な陣が、用水路の水を運び、冷気に変え、少量のマナで長時間の放射を可能にしていますね?これは、非常に効率的な、練成陣です。魚屋さんは冷気の結界で守られていると言ってもいい。それに、周囲に聞こえない声量で、瞬時に氷魔法を詠唱できるのは、私の知る限りフィーナさんだけです。」

「ふふっ。名門ミストニック大学の魔法使いに褒めてもらえるなんて、とてもうれしいわ。」フィーナは嫌味ではなく、喜んでいる。若者は、少しだけ顔をしかめた。


 赤毛の彼女は、前日も同じようなことをしていた。広場で氷の彫刻を作って見せる大道芸だ。イルカや魚、タコ、イカを模して次々と作り、かなり人目を引いていた。

 イカやタコが人気だったのは、その彫刻の精密さゆえだろうか。

 首輪をつけた奴隷の小間使い達ですら、くすんだ硬貨を氷像に捧げていた。

 おひねりは、十分に稼げていたと思う。

 金に困っている様子はないが、今日は、市場で小遣い稼ぎをしていたのか。


 フィーナは、『時の猟犬団』という聞かない名前のパーティの一員だが、シルバー級の冒険者だけのことはある。幼さを感じる容姿のフィーナは、その実、かなりの魔法の使い手であることは間違いない。氷使いと仲良くしておいた方が、暑い馬車の旅もより快適になるはずた。

 ロートレックと呼ばれた若者は笑顔で、魔法回復薬を差し出す。

「まあ、そんな高価な回復薬はいただけないわよ。」フィーナは、はにかみながら、遠慮している。

「素晴らしいショーのお礼ですよ。」若者は、さきほど魚屋の店主がやったように、回復薬に息を吹きかけるしぐさを見せ、ニヤリと笑った。「よく冷えておいしいですよ。」フィーナは苦笑しながら、受け取った。

「高価な回復薬をありがとう、坊ちゃん!」

 フィーナは、額の汗をぬぐい、ゆっくり飲み干した。おいしそうに薬を飲む度に、彼女の美しい首筋が上下する。ああ、鎖骨!鎖骨!


 フィーナは、片手に持った杖を軽く振りながら、背伸びをして息を吐きだし、深く深呼吸している。軽く休憩できただろうか?あの魚屋や亜人について、彼女が知っていることを深く聞いてみたいが、その前に、彼女には念を押しておく必要がある。


 フィーナが一息いれた頃合いを見計らい、若者は小声で、ささやく。

「ああ、それと、お気づきだと思いますが、僕のことはジョンと呼んでください。それに僕は、もう魔法使いではありません。魔法のことは、ほとんど覚えていないんです。今は、あなたと同じ、ただの冒険者ですよ?アイアン級ですがね。」

 

 ジョンと名乗った若者は、いたずらっぽく笑った。

 首からさげた冒険者の証である鉄製の“プレート”を見せようとしたが、今は亡き、少女の乾いた血がうっすらと赤いシミのように付いて、汚れていることに気づき、慌てて引っ込める。


「そうだったわね。ごめんなさい。ああ、忘れていたわ。」


「どうしてこんな、大事なことを、忘れていたのかしら。」

 申し訳なさそうに謝っていたフィーナは、急に真剣な表情で、こちらの顔を覗き込む。赤銅色の瞳を見開き、ジョンの目をまっすぐに見つめている。


 その時、ジョンは悟った。

 ああ、全てを彼女は、お見通しだ。“真実”を、彼女に伝えなければならない。


「ところで、ティンはどこ? 貴方は、彼女に、何をしたの?」


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