第6話 星守の神子
呆然とその光景を眺める。それは、スカートから飛び出した影のように見えた。真っ黒な糸のように化け物たちをからめとり、縦横無尽に動き回るそれは、触手のようにも長い髪のようにも見える。だが、それは、一切の光沢を持たない、闇の一部のようだった。
ヨナのスカートから飛び出した影は、次々と化け物を切り刻んで行った。切り刻まれた化け物は、ベチャリと音を立てながら液状になってあたりに飛び散る。ヨナは顔色一つ変えずに、向かって来る化け物たちを薙ぎ払って行った。
「……なん……だよ……これ……」
目の前の光景が信じられない。いや、いままでずっと信じられないことの連続だ。それがすべて自分の身に起っていて、現実についていけない。フラリと立ち上がるが、身体に力が入らなかった。
その瞬間、俺に向かって飛び掛かって来た化け物に、ヨナが回し蹴りをくらわせて、化け物がビチャッと弾け飛んだ。
「化け物が狙っているのはあなたよ、夜太郎」
「そ、そんなこと言われたって……‼」
抵抗するすべを持たない俺は、ヨナの後ろで呆然としているしかない。そもそも、ヨナは何者だ。その力は何なんだ。
頭の中がグルグルと混乱する中、影に蹴散らされていく化け物たちは次第にヨナに怯えるように後ずさり、なにを思ったのか闇の中に隠れるように一か所に集まり始めた。
「⁈ しゅ、集合⁈ 集合してる⁈」
一か所に集まった化け物たちは集合し、融合し始めた。ウゴウゴと蠢く深い闇のような身体が大きくなり、一つになっていく。
「少し狭いわね」
目の前の異様な光景にたいして驚く素振りも見せず、ヨナは化け物に背を向けると、崩れ落ちた廃ビルの地面の端へと歩いていった。
「え」
唐突にヨナの姿が消える。一瞬、落ちてしまったのかと思ったが違った。ヨナは大きく飛び上がり、ビルの屋上に登ったのだ。
後ろで蠢く化け物に怯えつつ、大慌てでヨナがついさっきまで立っていた地面の端までたどり着く。崩れかけの地面は少し重心をずらしてしまえば崩れ落ちてしまいそうで恐ろしい。ビルの二階。そこまでの高さはないが、落ちればひとたまりもないだろう。
ヨナの姿を追おうと上を見たその時、俺の足は地面から離れていた。
「ぎゃあああ⁈」
身体が宙に浮かび、外に投げ出される。落ちる。と思ったが、俺の身体は落ちることはなく、グンッと上に引き上げられた。
外に投げ出された俺は、廃ビルの屋上よりも高い位置に飛び出した。ハッとして下を見ると、崩れかけた屋上に立つヨナが見える。ヨナのスカートから伸びた影が俺の身体に巻き付き、俺の身体を下の階から引き上げたようだ。
「うわ⁈」
グンッとまた身体が引かれ、俺の身体がビルの屋上へと引き寄せられる。そのまま屋上に叩きつけられた。
「いったぁ⁈」
身体を強く打ちつけ、激痛が走る。顔を上げると、俺のすぐ隣にヨナが立っていた。冷たい瞳で俺を見下ろしている。
「も、もうちょっと優しく……」
打ちつけた身体の痛みに涙が滲む。ヨナはフイッと俺から顔を逸らし、前を見た。
下の階から這い出してきた、巨大な化け物の姿が視界に映った。
一つに集まり、巨大な蛙のように姿を変えた化け物は、下の階から巨大な手の伸ばし、屋上へと這い出して来る。あまりにも恐ろしい光景に腰が抜け、立ち上がることすらままならない。あんなの、どうするって言うんだ。
「一つに集まってくれるなら好都合」
俺の隣に立つヨナが言う。
「近づかないで。汚らわしい」
凍り付くような冷たい声で言ったヨナのスカートからドッと影が飛び出す。影は化け物に襲い掛かると、大きく、大きく姿を変えて巨大な口のようになり、化け物が何と言っているのか聞き取れない奇声のようなものを上げたかと思うと、バクンと影が化け物を呑み込んだ。
それはあまりにも一瞬の出来事で、自分の目を疑うことすら出来ないほどだった。
化け物を呑み込んだ影が、ズルズルとヨナのスカートの中に戻っていく。その光景を見ながら呆然としていた俺は、カツンというなにかがすぐそばで落ちる音に我に返った。何だろうと見てみると、すぐそばに、手の平に収まるぐらいの小さな矢の形をしたキーホルダーが落ちていた。
『怖いことがあったらね、これをギュッと握ればいいんだよ』
それは、小さい頃、お守りだと言って祖母からもらったキーホルダー。
『そしたらね、お星さまが守ってくれるからね』
星が好きだった祖母は、よく、俺のことを星が良く見える場所に連れ出して、星の名前を教えてくれた。肌身離さず大切に持っていた、俺が高校に上がる頃、持病を悪化させて亡くなってしまった祖母の遺品が、なぜこのタイミングで上着のポケットから転がり落ちたのだろう。
「いつまで座り込んでいるの?」
聞こえた声にハッと前を向くと、目の前にヨナが立っていた。その手には、聖星石の欠片が握られている。俺の胸元は相も変わらず光を放っていた。
「それ……」
ヨナが俺のそばに落ちているキーホルダーに気が付いた。身体が咄嗟に動いて、キーホルダーを掴み、守るように握りしめる。なぜそんな行動をしたのかはわからない。反射的に、動いていた。ヨナが怪訝そうに俺を見る。
「……ヨナは……人間……?」
口からこぼれだしたのはそんな言葉だった。圧倒的な身体能力に、不思議な力。人間離れした美しさを持っているヨナは、どこか化け物じみて見えて、目の前の少女が人ではないのではないかと疑ってしまう。
ヨナがじっと俺を見つめる。その瞳に吸い込まれそうで、目を逸らそうにも逸らせなかった。
「……私は、
「え……むっ⁈」
俺の前でしゃがみ込んだヨナが、俺の口の中に聖星石の欠片をねじ込む。欠片を呑み込むと、俺の身体は発光するのを止めた。ヨナの指先の冷たさが唇に伝わる。
「聖星石を守り、空の星を守る一族。それが星守の神子」
ヨナが俺の手を引き、立ち上がらせる。その力は少女の力だとは思えなかった。
「聖星石の欠片を探しましょう、夜太郎。もう一度、空に星が浮かぶように」
夜の闇の中、長い髪をなびかせるヨナは天女のように美しくて、心臓の音がうるさかった。ヨナに握られた手から伝わる体温は、俺とは対照的にとても冷たい。
夜風が頬を撫で、その冷たさが心地よかった。夜の闇の中で化け物たちが蠢いている。
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