『真夏の狂気』

やましん(テンパー)

『真夏の狂気』


 『これは、ホラーという程ではないけど、ほら、です。』


      🦀………



 ぼくは、アマチュアで音楽をやっている。


 合唱団や、さらにフルートで、オーケストラに在籍もしていたが、どちらも、所謂第二軍であり、演奏会に出ることはまれで、出ても、易しい二番パートで、ちょっと音を出す程度だった。それでも、楽しかったが。


 奥さまは、ぼくには勿体ないほどの美女で、音大出で、アマチュアとは言いながら、半プロだから、合唱団のスターだった。普段は、ピアノの先生をしている。なんで、結婚したのかは、まあ、それは、かなり神秘なことだったのだ。そうしたものである。



 我が家は、父譲りの貸ビル業をしていて、自宅のあるビルには、いまは、ある新進の設計事務所が入っていた。


 所長さんは、京東大学卒の秀才で、かなり二枚目だったが、良いやつではあった。


 しかし、こやつと、奥さんが出来ていることは、ぼくは知ってはいたが、見て見ぬふりをするしかなかったのだ。


 追い出されないためにも。



 ある夕方、今夜使う、合唱団用の楽譜をコピーしてもらいたいと、所長さんに頼んだ。


 しばらく休んでいたから、楽譜を奥さんに借りたのである。


 奥さんは、『ここは業務用よ。外でしなさい。』


 と、自分の事務所みたいに言い捨てて、さっさと合唱団の練習場に行ってしまった。


 所長は、にこやかに『いいですよ。』と言う。


 コピーすべき楽譜は、二枚だけだった。


 モーツアルトさんである。


 しかし、その最新型のコピー装置は、扱い方が、ぼくには難しすぎたのだ。


 沢山並ぶスイッチを間違えたらしい。


 なにやら、訳の判らない設計図みたいなものが、あっという間に、大量に印刷されてしまった。


 『あー、あー。こりゃ、かなりの損失だなあ。』


 所長は、にが笑いしながら言った。


 『すいません、弁償します。弁当2週間分。』


 『いいでしょう。奥さんに免じて。』


 ぼくは、いっしょに、苦笑いした。



   🐹🐰🐰🐰🐼🐵

 

 

 次の土曜日、ぼくは知人の、和さんと、さらに、こちらも知人の安さんのやってる食堂に食事に行った。


 三人は、まあ、仲良しではあるが、お互いに計りがたいくらいの微妙なとこはあった。


 安さんは、しかし、裏表の無いストレートな人だ。料理も上手い。


 『あんた、奥さんとうまくいってるかい?』


 安さんは心配そうに言う。


 『まあね。先日、コピーでしくじったけどね。』


 ぼくは、その話をした。


 『まあ、そういうのは、金で片付くがなあ。あのなあ。奥さんと、あんたのビルの事務所の所長、噂になってるの、知ってるよな。』


 『まあね。』


 『ほっとくのかい?』


 『だって、どうするの。あの事務所からの収入でぼくは、生きてるんだ。』


 『うん、あのな、ふたりで、ビルの全体的な乗っ取り企んでるって噂がある。』


 『噂だよ。うわさ。』


 『そうか。気を付けた方がいいぜ。世の中、あんたが思うより残酷だからなあ。最近は、異常気象のせいか、危ない魚もいるし。』


 安さんは、見たことのない魚をさばきながら、そう言った。


 和さんは、しかし、口を挟まなかったが。


 『おまかせ魚料理定食』、で食事のあと、ぼくは、和さんの、ちょっとでかいバンで、久しぶりに海岸沿いを走った。


 真夏の太陽が降り注ぎ、海は青く輝いている。


 引き潮で、あちこちに池みたいな場所ができていたが、なんと、見たこともないような、巨大な、まるで鯉みたいな鮮やかな魚たちが泳いでいる。しかも、ぼくよりも大きい。


 『すごいなあ、なんだ、あれは?』


 『最近、この沿岸で、ああいうのが多発してるんだ。ヒトクイ海鯉とか言われてる。どこから来たのか、また、その原因は不明らしい。実際に、人を襲った例がある。歯が凄く強いんだ。しかし、食べてみると、かなり、美味らしいから、食材にはなるとか。ま、最終的には、やはり人間には敵わないさ。でも、まだ、うまい対策がたたない。人を食べたやつは、食べられないしな。また、あまりにやってくる数が多いとか。どこかの深海から来るらしいが、浅い海でも平気とか。海の中は、まだまだ、よく判らないんだよ。』


 実際に、それは、何処にもかしこにもいる。


 しかし。さらに、ぼくは、恐ろしい生き物を見つけた。


 海老か、蟹のでかいやつだ。


 これまた、大量にいた。


 『あれは、もはや、怪獣だね。』


 『ああ。あれは、更に危険らしい。やはり、突然現れた。ヤシがにの変種じゃないかとかも言われるが、陸上性でもないらしいしから、まだ正体が判らないとか。沿岸では、夜中に食い殺された人もいるとかだ。今は、近づかないのが対策とか。でも、近寄らなくても、むこうからやってくるみたいなんだ。安さんの言うように、異常気象の一環らしいがな。あ、ちょっと、自販機に寄るから。君も出てみるかい? 気持ちいいよ。』


 和さんは、クルマを止めた。


 しかし、ぼくは、実際には外に出なかったのだ。


 すると、やがて和さんは缶ジュースを二本買ってきて、一本をくれた。


 しかし、ぼくは、そのでかい、不気味な蟹か海老かが、クルマに這い上がってきたのをみた。


 一匹ではない。


 沢山である。


 『か、かずさん、あれ、あれ。』


 しかし、和さんは、ドアを開けたままにしていた。


 その軍勢は、もう、クルマに入り込んでいて、すでに、何匹かが、和さんの頭に足を突き立てている。

 

 和さんの頭は、血を噴き出していた。


 それは、前のシートから、ぼくのいる、後ろのシートにも、じりじりと迫ってきていた。


 なにしろ、大量だからね。


 非常にまずい状況にある、と、見た!


 後部座席に転がっていた、バットを取り上げてぶん殴った。


 しかし、次から次に現れるし、クルマの回りも、すでに一杯に取り囲まれていた。


 出るに出られない。


 和さんはもう、まったく動かない。


 ぼくは、ドアを閉めようとしていたが、後ろからは、なかなか、上手く閉められない。


 『わああ、来るな。触るなあ!』


 しかし、話が通じる相手でもない。


 『これは、絶体絶命だなあ。』


 と、諦めかけたところに、数人のごっつい男たちが乗った小型バスが、猛スピードで、やって来て、すぐ後ろに、ききっと、停車したのだ。


 運転していた、安さんが見えた。


 なんだか、やたら、痛い。


 もしかしたら、すでに、食べられているかしら。



   🐚🐡🐡🐙🐳

  


 ぼくは、病院にいた。


 安さんが付いてくれていたが、やはり、奥さんはいなかった。


 『店は、息子に任せてある。奥さんは、行方不明だよ。事務所長は海外に出張した。警察が追っているよ。まあ、いっしょにいるんだろうな。和さんは、だめだった。ひとくい蟹にやられた。まだ、よく判らないが、あのふたりが、君の始末を安さんに頼んだのではないか、と。かなり、所長に借金していたらしいし、家族が危機にあったんだろう。あの後、すぐに仲間から電話があった。不思議なんだが、君が海で危ない、という通報があったらしいんだ。だれからかは判らない。でも、漁師仲間と直行したよ。しかし、思うに、和さんは、かなり、ためらったんだろうなあ。ある意味、自殺みたいなものかもしれないが、君とふたりで、自決する気だったのかどうかはわからないんだ。あ、きみたち、うちで食べたのは、あそこの、ひとくい海鯉だよ。うまかったろ。』



     🐠


 


 

 


 

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『真夏の狂気』 やましん(テンパー) @yamashin-2

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