ワタリドリ

久原蒼羽

1.独白、そしてご都合主義の一日

 この街には、古くからの言い伝えがある。


 それは『幸せの渡り鳥』と呼ばれていた。


 その渡り鳥は、この街でもっとも不幸な人間に寄り添うと云われている。


 そして、それに魅入られたものは、他の誰よりも秀でた幸福を手にするのだ。


 しかし、その幸福には大きな代償が伴うのである。


 その人間はいつしか絶望することになるだろう。


 自らの幸福を呪うことになるだろう。


 そう、これはきっと呪いなのだ。


 どれだけの時を経ても終わることのない、そんな悲しい呪い。


 だけど、どうか挫けないでほしい。


 自分の信じたものを信じ続けてほしい。


 そして、その先に何が見えるのかを確かめてほしい。


 その時こそ、あなたは手にする。




 本当の幸福というものを────




    ◇




 幸福の総量は決まっている。俺はそのことを知っていた。特定の誰かには幸せが集まり、また一部の人間には途轍もない不幸が肩を組み寄りかかってくる。


 幸せというものは誰かの不幸を代償として成り立っているのだろうか。だとしたら、人類皆平等などという言葉は幸福に選ばれた者の戯言に過ぎない。


 いや、人類が平等であってほしいという理想については否定しない。そうであろうとすることは何一つ間違ったことなどではないからだ。


 しかし、俺は知ってしまった。


 知ってしまっていたのだ。


 人類に平等など訪れない。その理想には叶う道理がなかったということを。


 そんなこと、知らないほうがよかった。無知であるほうが幸せだった。だけど、俺はその道を選んでしまった。幸せを願ってしまったのだ。


 願わなければよかった。望まなければよかった。不幸になるのは俺だけでよかったというのに。


 今日もモノクロの世界が流れていく。そんな濁流めいたものの中に俺は取り残されていた。だから、俺は歩く。こんな濁流の中でも藻掻きあがく。


 それが、せめてもの贖いであると信じながら。




「────おおおおお客さん!? すげえ! すげえですよお客さん!」


 やれ騒がしい。そんな風に毒づきながらも、目の前にあるカウンターの奥に立っているチャラそうな茶髪の青年を半目に見る。


「いいいい一等っすよ一等! お客さん一等を当てたんっすよ! すごくないっすか、すごいっすよね、いやすごいんっすよ!」


「いや、なんで宝くじ当てた自分よりも歓喜に打ち奮えた挙句、奇妙な三段活用やってんですか。さては文系ですか?」


 学園の帰り道、なんとなく寄った宝くじ屋。誰もが一度は夢を見て、そして敗れ去ってきた儚き兵どもの墓場。俺はそこで隕石の直撃よりもレアケースだという宝くじ一等当選を果たしていたのだ。といっても、スクラッチだったのだが、その場合でも隕石(以下略)の確率になるのだろうか。生憎めったに宝くじを引くことはないので分からない。


「いやあ、ほんっとお客さんすごいっすねえ……。いったい前世でどんな徳を積んできたんすか? 一等が当たっちゃう確率だなんて小数第何位の世界だと思ってんすか? どんだけ試行回数積んでってもこんなこと早々起きないっすよ」


「理系かよ」


 この店員、まったくキャラが安定しない。俺がグロタンディーク素数とか言ったものなら鼻息を上げて興奮するに違いない。怖いな。


「とりあえずまあ、略してとりま……、こんだけの金になっちゃうとここでは渡せないっすねえ……。こういうときはどうするんだっけなっと──」


 そうぼやきながらも、店員はカウンター下から何かを探すような挙動をする。きっと、マニュアルめいたものを探しているのだろう。そして、その小さな予想は的中したらしく、店員は書類らしきものを手に持ってこちらに向き直る。


「えー、とりあえずお客さんにはこちらの銀行に行ってもらって────」


 そうして、その店員は手続きを行う場所、その方法などを事細かに話す。……この店員、見た目に似合わず勤務態度が物凄く良い。自分のバイトでの勤務態度を見直すべきだと改めて思わされた。


「ありがとうございやしたー! 大事に使ってやってくださいねー!」


 そんな威勢の良い声を聞きながらその場所を後にする。ちなみに、その後に立ち寄った銀行で俺の対応をしてくれた銀行員は、その宝くじの金額を見るなり、目を血走らせては涎を垂らすという人前には出せないような表情を作っていた。かなりの恐怖を感じた。




「さむっ……」


 バイト先の飲食店から出ると、あたりはもうすっかり暗くなっていた。息を吸い込めば、冷気に喉が焼けるような感覚が駆け巡り、外気に露出した両手は酷く悴む。今日は日中が暖かかったので、そこまでの厚着はしてきていなかったのだ。そのことを暫し後悔する。


「あ、そういえば」


 虚しい独言を零しながらも、俺はあることを思い出す。その記憶を頼りに肩にかけた通学カバンのチャックを開け、その中を漁ると、一着の上着が出てきた。今朝、近所のおばさんから「今日は寒くなるらしいから」と譲ってもらったものだ。それも、こんなにも不自然で出来すぎなタイミングで────である。それを袖に通し、ついでに貰っていた手袋を両手にはめて、バイト先を後にする。


 とぼとぼと歩く家路には、ほんのりとした月明りと淡い星のきらめきしか自然の明かりと呼べるものは存在しておらず、多少の建物の灯りと街頭が主な光源となっていた。


 手を温めるために、両の手を口の前に持ってきてから、口を輪の形にしてハァと息を吹きかける。手に多少のぬくもりを感じると同時に、煙のような息が黒い闇へと溶けていくのを見た。


 俺のバイト先は、運のいいことに俺の実家と近い。驚くことに徒歩五分だ。それに、あえて詳しくは言わないが給料的にかなり条件もいいのだ。それも出来すぎていると思うほどに。


 それに、俺が通っている学園も、徒歩八分ぐらいのところにある。何故か────それはもちろん、家から近いところを受験したからである。しかし、その学園というのはかなりの偏差値、もといレベルの高さを誇っていて、当時中学三年生だったころの自分の学力からすると、合格はかなり危ぶまれていた。しかし、俺は大した勉強もせずに入学した。いや、努力をしなかったというわけではないのだ。ただ、その学園を目指していた他の生徒と比べると、努力の量は少なかったという話だ。俺は、運よく難問に正答して、運よくこの学園に合格してしまったのだ。あまりにも出来すぎなくらいに。


 そう、出来すぎている。あまりにも出来すぎているのだ。ちょうど今日というタイミングで上着を貰ったことも、宝くじに当選したことも、良すぎるバイト先を見つけたことも、学園に入学できたことも、全てにおいてご都合主義が過ぎるのだ。


 俺の日常では、俺にとって都合の良いことばかりが起こってしまう。自分で一切の努力をしなくたって、欲しいものが手に入ってしまうのである。


 その奇怪な現象は呆れてしまうほど頻繁に起こってしまう。この世界に満ちる全ての幸せは、極端なまでに俺へと傾いてしまっているのだ。




 そんなこんなで、俺は自宅へと帰還した。玄関のドアを開ける。その先には生活の音と呼べるようなものはなく、当然ながら光も存在しない。ただただ、そんな静寂の大気に包まれていた。俺はそんな空気の中を無感情に進んでいく。


 俺は、いつしか一人になっていた。母親は数年前に家を出ていったきり、父親は毎日夜遅くまで働いている。これは俺の望んだことでも、ご都合主義なことでもない。


 静まり返った家で、俺は帰り道の途中にコンビニで買ってきた弁当を食べる。コンビニ弁当は安定してうまい。ちなみに今日はとんかつ弁当だ。昨日はサケ弁当だった。


 俺はそれをさっさと平らげ、歯を磨いたのちに床に就いた。


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