勧誘鳥
萌香
勧誘鳥
僕が窓際の机で宿題に取り組んでいると、すっかり暗くなった空から青い鳥がやってきて、言った。
「失礼いたします、青い鳥と申します。」
僕は鳥が喋るものだなんて思っていなかったのでたいそう驚いた。オウムが人の教え込んだ言葉を喋ったとか、チンパンジーが言葉を理解したとか、そういうのは聞いたことがあるけれど、鳥が敬語を使うとは知らなかった。
「よろしければこの網戸をお開けください。」青い鳥は窓のサッシに鋭い3本の爪を引っ掛けて、網戸にくちばしをはめ、そのまま横にスライドさせようとしていた。でもくちばしは網戸の隙間に比べて大きすぎたし、それをスライドさせるには彼はあまりにも非力だった。見かねた僕は、
「君が入ったら閉めるけど、いい?僕、虫が苦手なんだ。」と言った。
「そりゃもう、どうぞ。私も用が終わればすぐに帰りますから。」
網戸をあけると、青い鳥はその小さな足を使ってぴょんっと机の上に飛び乗った。散らばっていた消しカスの一つが爪にくっついたらしく、一瞬顔をしかめながらも丁寧にもう一方の足の爪で落とす。ふっくらとしたそのフォルムはとても可愛らしくて、手のひらにすっぽりと収まりそうなサイズだ。水色に近いような青い羽が、机のライトに照らされてやけにきれいに見えた。
「何をしに来たの」網戸をしめながら僕は聞いた。この宿題は明日までなんだよ、だからなるべく早く帰ってほしい、とは言わなかった。すると青い鳥はよくぞ聞いてくれましたという誇らしげな顔をして、
「私、皆様の個人的ニュースを集めている鳥でございまして、今日はその勧誘に」と言いながらくちばしをふさふさの体の中につっこみ、とても小さな羽を取り出して、渡してきた。何か書いてある。
「小さすぎて読めない…」
「私の個鳥IDが書いてあるんです。後で虫眼鏡でも使って見てください。30985jpです。」
「jpってジャパンってこと?」
「坊っちゃんは察しがよろしいですね、そうです、私日本で働いている青い鳥ですから。」
「全部でどれくらいいるの?」
「世界中の社鳥は数え切れませんが、日本ではおおよそ100万鳥が働いております。」
「ふーん、そうなんだ。」と答えながら、納得はしていなかった。全く実感がわかない。僕だって一応12年間生きてきたけど、そんな話は聞いたことがないのだ。怪しげな勧誘?騙されている?大金請求?
すると僕の気持ちを読み取ったのか、青い鳥は
「坊っちゃん、そんな怪訝な顔はしないでください、大丈夫です、大人たちは黙っているだけ。中学生になられますと多くのお宅に青い鳥がお邪魔することになっているんです。」と、近所の駄菓子屋のおばちゃんが特別にアイスをくれるときみたいなひそひそした話し方をした。でもあのおばちゃんは最近よく意味不明なことを言っていて会話が成り立たないので、もうアイスはくれないだろうなと一瞬寂しい気持ちになる。
「じゃあ僕の両親は君のことを知っているの?」
「おそらく知ってはいると思いますよ、ご利用はしていないにしろ。」
「ご利用?ご利用って何のこと?」
「ですから先ほど申し上げた通りですよ、私は皆様の個人的ニュースを聞くんです。そしてまた他の皆様の個人的ニュースを伝える。安心してくださいね、誰に何を伝えてもいいかは私に仰ってくだされば秘密は必ずお守りいたします。とにかく、そのニュースを気軽に吐き出してもらおうというサービスです。ほら、人間、何か大きなイベントのときは写真をバシャバシャ撮ったりして記録を残すけれど、日常のささいな喜び悲しみは日々抜け落ちていくでしょう?今どき日記を書いている人なんてそうそういませんよ。でも、本当に大切なのはその毎日じゃないですか。長い人生、イベントだけ切り取られて彼はこんな人でしたなんて具合にくくられたら困りますよね。」
気持ちよさそうにつらつらと文章を並べる様を見て、随分と饒舌だなあと思いながらも話を聞く。彼の言っていることには一理あるように思えた。確かに、運動会と遠足の写真だけで僕のことを分かったフリされるのは気に食わない。でもそんな風に誰かにくくられることってあるのだろうか?
「皆様、話したいことはたくさんあっても、話す相手が足りていないんです。毎日本当に様々なことが起こります。どんなに小さなことでも、くだらないことでも、構いません。青い鳥に話すだけでスッキリすることってありますよ?どうです、早速本日から体験だけでも。今日は何がありました?」だんだんと勢いを増す青い鳥。対する僕は若干押され気味だった。
「うーん、なんだろう、ああそうだ、学校で担任が突然めちゃくちゃなことを言って、怒って教室を出ていって、それっきり帰ってこなかった。」
これじゃ話をまとめすぎて何が何だか分からないだろうなと喋りながら反省したけど、青い鳥はなぜだかむしろ感心したようで
「おおお、坊っちゃん、もっとラフな感じで良いんですよ、担任だりいーとかで大丈夫です。」
と言うので、僕は一瞬驚いて固まってしまった。
「え、待って、それじゃ全然何言ってんのかわかんないよ?」
「皆様何を仰っているのか分かりませんから。」
間髪いれず冷たい答えが返ってくるので、その機械的な喋り方に驚き、何か触れてはいけないものに触れたのではないかという恐ろしさで寒気を覚える。彼の目の奥を見られたとしたら、そこは底なし沼みたいに何でもズブズブと飲み込んでいく闇なのではないかとふと思ってしまったほどだ。
「最初あんなに熱込めて喋ってた日常の思い出残そうみたいな話は…」
「坊っちゃん、次行きましょう、他には?」青い鳥は語気まで強くなってきた。最初の礼儀正しさはどこに行ってしまったのだろう。
「他?ええー、えー、なんだろう、明日までの数学の宿題が難しくて面倒くさい」
「いいですね、宿題だりいー、素晴らしいニュースです。」
「ねえまとめすぎだよ、しかも僕は面倒くさいって言ったんだ、だりいなんて一言も」
「他!」
突然の大きな声にびっくりする。青い鳥なのにその怒った声色のせいで赤い顔に見えてきた。いや、おかしいな、本当に色が変わっている。赤だけではない。いろんな色が混ざってどんどんと混濁していっている。ビビットなピンク、山吹色っぽい黄色、深緑、それらはマーブル模様みたいに混ざりあっておぞましいような焦げ茶が顔中で渦を巻く。なんだ、なんなんだこの鳥は。やっぱり僕は得体の知れない何かの標的にされたに違いない。一刻でも早くこの不気味な鳥と別れて平穏を取り戻したかった。少なくとも両親との日常は平穏なのだ。
「悪いけど出てってくれ、こんなサービスまっぴらだ!勝手に僕の言葉を君の言葉で置き換えられるわけにはいかないんだよ、意味が違ってくるじゃないか。」
「皆様最初はそう仰るんです、でも大丈夫、続けていれば気が付きます。言葉が減る分、全てが楽になります。何も考えなくていい。」いかにも怪しげな話し方はまるで催眠術師だ。あるいは家庭科の授業で見させられた動画の悪徳商法のオジサン。そこでピンと来た。そうか、取引だ。ただの鳥が何もせずに言葉を話せるわけないじゃないか。
「分かったぞ、お前らはそうやって僕たちの言葉を盗んでいくんだ、逆に僕たちはお前らが乱暴にくくった言葉しか使えなくなっていく。違うか?」
僕にしては相当声を張ったと思う。でも鳥はまるで海底からゆっくりと小刻みに震えながらのし上がってきて、地上を轟音と共に破壊、それでも飽き足らずに周りの建物をなぎ倒すかのような勢いで怒号を飛ばしたのだった。
「これだから察しの良いガキは嫌いなんだよおおお、うるさい、うるさい、きいいいいい!!」
もうそれは鳥じゃなかった。それは真っ黒な綿毛をぎゅうっと丸めただけみたいな形をして、机から3センチくらいのところに浮いていた。その身体のどこに生命があるのかもなんだかよく分からなかった。周りから湯気みたいなものがもくもくと出ていて、確かに聞こえる荒々しい息遣いは僕の心臓を十分に跳ねさせた。僕は怖くて怖くて泣きそうになりながらそのもじゃもじゃしたものを手で掴んで、網戸をあけて放り投げた。見た目より重たかった。すぐさま震える手で網戸と窓を閉める。深呼吸を何度も繰り返し、これは大変なことになっているぞと目を見開きながら、もらった美しい青い羽を手に取った。
日本だけでもあと100万…
勧誘鳥 萌香 @moka_0826
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