7章(1)

 城下広場は第二王子の処刑を一目見ようと、人でごった返していた。

 国を挙げての国葬まで執り行ったアウストル第二王子が実はひっそりと生きており、王位を狙ってマーリンド第一王子を暗殺しようとしたという話は、またたく間にユルハ中を駆け巡った。

 捕らえられてからわずか三日という短さにも関わらず、多くのユルハ国民が処刑の話を知り、広場に詰めかけている。

 初夏のぬるい風に乗って、雨粒が飛ぶ。処刑の日は、朝から霧雨が降っていた。広場から見上げるユルハ城の尖塔も、雨でけぶってぼんやりと見える。


 アウストルは後ろ手に鉄製の手枷を嵌められ、両脇を兵士に固められて広場に特設された演台の上に跪いていた。後ろには高くそびえる処刑台の階段がある。演台の端にはマーリンドがわざわざ城から持ち出した豪奢なソファーに身を預けていた。

 指は曲がり、どす黒く変色している。アウストルの彫像のように美しかった顔は、今や見る影もない。殴打痕や切り傷が痛々しく残り、片目のまぶたは赤黒く腫れ上がって翡翠色の瞳を覆い隠していた。


 その変わり果てた姿に、集まった民衆はあれが本当にアウストル第二王子なのか、と疑う者までいた。そして同時に、彼の犯した罪の重さを知ることになる。

 王族の暗殺は計画しただけでも縛り首となる重罪だ。たとえ企図したのが同じ王族であったとしても、一切の情け容赦なく裁かれる。アウストルは第二王子ということもあって、苦痛の長い縛り首は免れ、斬首刑が執行されることになった。


「これより、ユルハ王国第二王子アウストルの斬首刑を執行する!」


 執行人が声高に叫び、民衆のざわめきが波を引くように収まっていく。


「かの者は卑しくも王位を求め、ユルハ王国第一王子マーリンドの暗殺を企図し、自らの死を偽って暗殺の機会を窺っていた! 王族であろうと、年長である兄に手をかけようなどと企図することは、重罪である!」


 アウストルは頭を垂れたまま、微動だにしない。霧雨が乾いた唇に当たるたびに、アウストルは舐め取って喉の乾きを癒やしたい気持ちをぐっとこらえた。

 もう三日も飲まず食わずで、ろくに眠ってもいない。とっくに精神は焼き切れて、なにも考えることができない。アウストルの頭の中を占めているのは、強烈な飢えと乾きだけである。


 なんでもいいから口にしたい。それができないのなら、もういっそ早く首を落としてくれたほうがいい。死ねば飢えや乾きから解放される。どうせ生き延びたとしても、指は使いものにならない。ユルハ城に、自分の居場所はない。どうせ殺されるのなら、あの時メルフェリーゼに――。


「異論のある者は手を挙げよ! しかし重罪人を庇うこと、これすなわち自身の命を捨てたものと心得よ!」


 民衆のざわめきがうねりのようになってアウストルの耳に届く。異論のある者など、いるわけがない。王子が暗殺されようが、誰かが処刑されようが民には関係ないことだ。自分の生活が変わらないのなら、なにがどうなろうと知ったことではない。あくまで彼らは、処刑見物という娯楽のためにここまでのこのこやってきているだけである。


 執行人が読み上げた巻紙を元に戻し、アウストルの両脇を固める兵士に目配せをした。

 痛む身体を無理やり引き起こされて、アウストルは引きずられるようにして処刑台への階段を登る。


「そこに頭を載せろ」


 兵士が言いながら、アウストルの髪を乱暴に掴む。突き出した首に、木製の首枷がしっかりと嵌められた。ささくれだった木の破片が首に刺さるが、些細な痛みだ。

 うっそりと視線を上げると、処刑台の真下にマーリンドの顔があった。何度も目にしてきた、勝ち誇ったような笑み。隣にロワディナの姿はない。彼女はまだ、寝室に監禁されているのだろうか。


「いい眺めだな、アウストルよ」


 マーリンドが下からアウストルに声をかけてくる。


「最期に、なにか言いたいことはあるか?」


 最期。そうか、最期か。走馬灯なんてものは見えない。振り返りたい思い出も、ない。ただぼんやりと、メルフェリーゼは今頃どうしているだろうと思っただけだ。

 こんなことになるならば、もっと彼女を大切にしてやればよかった。自分のくだらない決意で、彼女を傷つけたりなんてしなければよかった。もっと覚悟を持って、彼女を愛してあげられたらよかった。

 ロワディナの言っていたことが本当なら。マーリンドは今もメルフェリーゼを捜しているのだろうか? もしかすると、もうすでに捕らえられているのかもしれない。


「メル、フェリーゼは……どうなったっ……」


 マーリンドの顔が、一瞬ぐにゃりと歪んだ。たしかな嫌悪がそこにはあった。しかしすぐに取り繕ったような笑みを見せて、アウストルを見上げ、鷹揚にうなずく。


「心配するな。私が必ず捜し出して、大切に扱ってやる」


 まだ、捕まっていないのか。それならよかった。メルフェリーゼにはカイリエンという男がいる。彼がもしマーリンドの手先でないのなら、メルフェリーゼのことを助けてくれるだろう。


「執行人、前へ!」


 号令がかかり、誰かが処刑台を登ってくる足音がする。

 アウストルはわずかに開いていた目を閉じた。思い残すことがないといえば嘘になるが、ようやく母に会いに行けるという安堵もあった。


 もし、生まれ変わったら。またメルフェリーゼに会えるだろうか。今度こそ、彼女を悲しませないような男に――。



「お待ちください!」


 民衆の期待のざわめきを切り裂く、凛とした声。

 アウストルは閉じていた目をこじ開け、首枷で不自由な頭をめいいっぱい持ち上げた。


 民衆をかき分けて、黒の丈の長いワンピースに白いエプロン姿の女性が処刑台に向かってきている。綺麗なブロンドの髪は肩のあたりでざっくりと切られ、格好も侍女そのものだ。

 でも、見間違えるはずがない。意思の強そうな、はっきりとしたきらめきを持った瞳が、アウストルを射抜く。喉が震え、嗚咽が漏れそうになるのをすんでのところで止める。

 彼女は後ろを追ってきた隻眼の男の膝に片足を乗せると、勢いそのままに演台の縁に指をかけてよじ登ってきた。咄嗟の出来事に兵士たちも狼狽え、剣を抜くのが精いっぱいで、誰も彼女を落とすところまではいかない。乱入者の存在に気づいた民衆のざわめきが大きくなる。


「お久しぶりです、マーリンド様」


 見た目は侍女でも、メルフェリーゼは王族らしい所作でマーリンドに深く礼をする。


「自分から、ここまで来るとは……」


 マーリンドが一歩、二歩とメルフェリーゼに近づく。周りを固めていた兵士が、じりじりと包囲網を狭めていく。

 アウストルは叫び出したかった。このままでは、あの時と同じだ! 彼女はまた、自分の身を犠牲にして、人を救おうとしている。止めなければ、止めなければ彼女は、今度こそマーリンドの手に落ちる。

 その時、アウストルの目の端をなにかが通り抜けた。黒い風のような。まるで、森を疾走する狼のような姿が。


「全員、その場から動くな」


 マーリンドの首筋に、ぴたりと短剣の刃が押し当てられている。マーリンドの背後で、蜂蜜色の瞳が周囲を見回す。左目は引きつれた傷が残り、まぶたは固く閉ざされている。

 カイリエンに拘束されたマーリンドに向かい、メルフェリーゼは落ち着きを払った様子で切り出した。


「アウストル様の無実を晴らすために、私は……私と、マーリンド様の罪を告発しに参りました」

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