6章(5)

 二人が突然、貧民窟から姿を消した後。ミハイは毒師に、ミライは情報屋兼用心棒になったと聞いて、メルフェリーゼは彼らがメルフェリーゼの手も届かないほど大人になったことを悟った。

 メルフェリーゼが貧民窟で貧しくもなんとか生きて、アウストルに嫁入りすることが決まっている間に、二人は故郷を飛び出して自らの手で稼ぎを生み出せるようになったのだ。二人とも今は十六歳になったはずだが、そのどっしりと構えて落ち着きを払った様子は、年齢よりもはるかに大人びて見えた。


 再会の喜びも束の間、メルフェリーゼは食堂に通された。テーブルの上にはパンや野菜を煮込んだスープなどが並べられ、空腹を思い出したようにメルフェリーゼの腹が情けない音で鳴る。

 厨房からひょっこりと顔を出した黒髪のおさげ姿に、メルフェリーゼは目をまん丸に見開いた。


「ハナ……?」


 メルフェリーゼに名前を呼ばれ、ハナが駆けてくる。最後に会ったのは、メルフェリーゼがアウストルに毒を盛り、城を出た日の朝である。顔を見ない間に季節が巡り、メルフェリーゼはハナの成長に驚いた。


「見ない間に、背が伸びたのね」


 城にいた頃は胸の辺りにあったはずのハナの頭が、今ではメルフェリーゼの肩と同じ高さまできている。あと数年もすれば、メルフェリーゼの背を追い越してしまうかもしれない。

 ハナはメルフェリーゼの顔を見てにっこりと微笑むと、城にいた時と変わらない恭しい手つきでメルフェリーゼの着ている外套を脱がせ、椅子を引いて座らせた。


「またメルフェリーゼ様にお会いできて、嬉しいです!」


 ハナの弾けるような笑顔に心が痛む。ハナは知っているのだろうか。メルフェリーゼがアウストルを殺そうとしたこと、城での暮らしを忘れてカイリエンと一緒にいたこと。

 メルフェリーゼがしたことを知れば、ハナは幻滅するのではないか。こんなふうに笑顔を向けてくれるのも、なにも知らないからでは――。


「ハナは全部知ってる。俺から話した」


 メルフェリーゼの隣に腰を下ろしたミハイが、あっさりと言う。驚いてハナを見ると、ハナもはにかむような笑みを見せて、こくんとうなずいた。


「ついでに、ハナを侍女扱いすんのはやめたほうがいいかも」


 ミハイがパンに手を伸ばしながら、ハナに向かって「早く座りなよ」と促す。ハナはちらりとメルフェリーゼを見たが、大人しくテーブルについた。

 メルフェリーゼの視線に気づいたハナが、言いにくそうに口を開く。


「わたしもどういうことか分かっていないのですが……実はわたし、マーリンド様とロワディナ様の間の子どもらしいのです」


 言葉の意味を飲み込めず、食堂内に沈黙が広がる。


「ちょ、ちょっと待って……城の外に捨てられていたのを侍従長の奥様が拾った、って話だったわよね?」

「はい、わたしもそう聞かされていました」


 マーリンドとロワディナの間には、三人の娘がいると聞いている。しかし考えてみれば、メルフェリーゼは二年間もユルハ城にいながら三人の娘を一目も見たことがないのだった。

 マーリンドからも、ロワディナからも、娘の話は聞いたことがない。次は男児が欲しいと言っているのを耳にしたことがあるだけだ。


「ミライが拾ってきた話だろ、ちゃんと説明してやれよ」


 ミハイがスープの中の野菜を器用にスプーンでより分けながら、ミライに話を振る。ミハイの向かいに腰を下ろしていたミライは、パンに伸ばしかけていた手を止めて、メルフェリーゼのほうを向いた。


「ハナはマーリンド王子の第一子だと思われる。この第一子は女の子で王位継承者にはなれないため、生後すぐにマーリンド王子の指示で城の外へ捨てられたようだ。その後の第二子の女の子は公爵家へ養子に出され、三人目の女児は行方知らずだ」

「アウストル王子なら、ハナが産まれた時のことも知ってんじゃないかな」


 にわかには信じられない話だが、ミハイやミライが嘘をつく理由も見当たらない。それにメルフェリーゼが一度も城の中でロワディナの三人の娘を見たことがないのも、彼らの話を補強するだろう。


「本来なら王女として育てられるはずだったのね……」


 壁に身体をもたせかけて話を聞いていたカイリエンが苦々しい顔をする。


「あいつ……実の娘をアウストル王子の毒殺計画に加担させてたのか」


 メルフェリーゼはこの時はじめて、自分が渡された毒の小瓶は毒師のミハイが作ったものだったこと、ミハイの元まで小瓶を取りに行かされたのがハナだったことを知った。

 ハナはマーリンドに、どうしても必要な薬だと称して毒の小瓶を取りに行かされたという。巡り巡ってハナまで巻き込んでしまったことを、メルフェリーゼは深く後悔した。


「そうだ、なんなら証拠隠滅のためにハナを殺そうとまでしている」


 マーリンドはアウストルだけでなく、アウストルの毒殺計画に関わった人間をすべて殺そうとしているらしい。そこには最初にマーリンドから計画を持ちかけられたカイリエンだけでなく、実際に毒物を運搬したハナも含まれていた。


「でもどうして、ハナがここにいるの?」

「俺らが匿ってるからに決まってるじゃん」

「そういうことじゃなくて……」


 なぜミハイとミライがハナを匿うことにしたのか。毒師であり、実際にマーリンドの依頼によって毒物を渡したミハイは、客観的に見ればマーリンドの味方であるはずだ。

 それがこうしてハナを匿い、マーリンドの魔の手から逃れてきたカイリエンやメルフェリーゼを屋敷に上げている。

 わけが分からずに戸惑っているメルフェリーゼを黄金の瞳が射抜く。


「俺らはね、メル」


 ミハイがいつもの軽快な調子を押し隠し、真剣な表情でメルフェリーゼを見る。


「メルのためだったらなんでもできる。アウストル王子を毒殺してメルが幸せになるならそうする。メルがアウストル王子を助けて欲しいって言うならそうする。俺らの意思は、常にメルのためにあるんだ」

「なんで、そんな……」


 黄金に輝く四つの瞳が、メルフェリーゼを見つめる。

 ミライが言葉少なに呟く。


「十年前、メルに命を救われて決めた――」

「俺らの命も、知恵も力も、全部メルのために使おうってな」

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