陰陽スイッチ戦争

蛙鳴未明

陰陽スイッチ戦争

 地上を歩く人間たちのはるか上方、天空に置かれたソファで兄弟がだらけていました。ピピルは本を読んでいます。ププルはぼんやりバーベルを上げ下げしながら、箱から飛び出たリモコンに手を伸ばします。

「なんか暑くね?」

 そう言いながらスイッチを押すと、たちまち夜空が広がってテラリウムに雪が降り始めます。ピピルが身震いして本からがばっと顔をあげました。箱に戻されたリモコンをひったくってププルをにらみます。スイッチを押すと紺の空が晴れて太陽が輝き始めます。

「なにすんだよ今いいとこだったのに」

「いいだろ別に。どうせ大したこと書いてないんだから」

 ププルはうるさそうに顔をしかめて、ピピルの手からリモコンをもぎとります。また夜空が広がり、ピピルは顔を真っ赤にしてププルに掴みかかります。

「よこせよ!」

「とれるもんなら取ってみろ」

 背の高いププルにリモコンを高く上げられると、もうピピルには手の出しようがありません。歯ぎしりしながらソファに座り直して、箱からゲーム機を引っ張り出します。

「お? もう降参か?」

 リモコンをひらひらと頭上で振るププルを無視して、ピピルはゲームをやり始めます。ププルは面白くなさそうに唇を尖らせました。

「……ちぇっ」

 それからしばらく二人は黙ったままゲームをしていましたが、やがてププルがゲーム機を置きました。

「寒いな……」

 呟いて手を伸ばした先はもぬけの殻。ピピルがにやにやしながらリモコンを振っています。

「かせよ」

「やーだね。僕は快適だもん」

 ププルの舌打ちが響きます。

「ごめんて。さっきのことは悪かったから――」

「土下座したら返してあげてもいいよ」

「はあ……?」

「ほらしなよ早く、寒いんでしょ?」

 悪役みたいに笑うピピルに、ププルの青筋がカチンと鳴ります。

「お前なあ! そういうことするから彼女いないし友達もいないんだぞ」

「なっ!? なんでそんなこと言うのさ!」

 思わず取り落としたリモコンを素早く捕まえて、ププルはにんまり笑います。半月が太陽に変わり、うららかな日差しがテラリウムに積もった雪を溶かして、立ち並ぶビルを銀に照らします。それを眼鏡に反射させ、ピピルは悔しそうに言いました。

「兄ちゃんだって七人連続振られてるくせに……」

「おまっ……」

 ププルは目をまん丸くして金魚のように口を開け閉めします。緩んだ手からリモコンを抜き取り、ピピルは勝ち誇ったように笑います。

「あはは、ずいぶん気にしてたんだ。そうだよね。兄さん自己中のナルシストだもんね。いっつも鏡で自分の筋肉ばっか見てさ。俺についてこい、の一点張り。そりゃ彼女できる訳無いよね~」

 銀のビル群に霜が降り、夏服姿の人間たちが超高速で逃げまどっています。月がどんどん欠けていきます。やられっぱなしでいる訳にはいきません。ププルも一瞬のスキを突いてリモコンを奪い、声を張り上げます。

「自分ばっかなのはお前もだろ!? 誰彼構わずマイナーなゲームの話しかしないで! あんなん誰も知らねーんだよ!」

 太陽がナイフのように輝き、ビル群にかげろうが立って、そばの山がくすぶり始めます。

「知ってるよ! 有名ゲームだよ! 義務教育だよ!」

 言い返しながらリモコンを引っ張るピピルですが、ププルの握力に勝てません。それでもスイッチを押すことはできました。また夜が来ます。ドカ雪が降ります。それも束の間太陽光線に蒸発し、逃げまどう矮小な人間共の服が火を噴きます。

「どこの義務教育だよ! ネットのか!? 現実からズレてんのを知れよ! だから友達が――」

「友達友達うっさいなあ! いるわ友達! リアルで会って話すくらい仲いい友達がいるわ! 言っとくけどネットだって現実だかんな?」

「何人いるってんだよ。俺は軽く千人いるけどな。なんせおめえと違って引きこもってねえから! 顔広えから!」

「はいはいご立派な友達カードデッキですね。じゃあそのうち深い話できるの何人いるんですか。夜通し一緒にゲームできて、一緒に攻略同人誌作れるような友達は何人いるんですか~。中身ない奴が数を誇るんです~」

「数がなきゃ中身も伴わないんだよ。それとも何か? お前は友達がいないんじゃなくて、作らないだけか? なら仕方ねえなあ。無理に増やす必要もないし。でもそんなこと続けてると、一生独り身で死ぬぞ? 寂しい人生だもんなぁ」

「寂しい人生なのはお前だろ失恋の金字塔」

「うるせえ! 俺は仲間と一緒にバーベキューすっから寂しくねえの!」

「ススまみれの肉食べて何が楽しいの?」

「ああ言えばこう言うなほんとに!」

「そっちこそ!」

 昼とも夜ともつかない灰色の中、二人はぜーはー肩で息をしながら睨み合います。そうこうしているうちに、激しく入れ替わる寒暖が災いして銀のビル群は瓦礫の山となり、テラリウムの大半がはげ山になっています。海や川は逃げてきた人間たちでいっぱいになり、黒と赤が入り交じって凄いことになっています。喧嘩に夢中なきょうだいは気付いていません。ププルはため息をつきました。片手でスイッチを連打しつつ、もう片方の手でピピルの両手をリモコンから引き剥がしにかかります。

「お前とりあえずあれだ、ちゃんとしたとこで髪切れ。いっつも変だから」

「はい出た困ったら髪の話~! 兄さんもその変な髪形やめなよ。はやりだか何だか知らないけど絶望的に似合ってないよ? もっと自分らしくさあ――」

「自分らしくとか言って本当は初対面とまともに喋れねえだけだろ。妥協の自分らしさで満足してんじゃねえよ」

「なん――だとおっ!」

 怒りの馬鹿力。ピピルは渾身の力でリモコンを引き抜き、兄の顔に投げつけました。意表を突かれたププルの額にクリーンヒット。スイッチが切り替わり、満天の星空が広がります。大吹雪がテラリウムを吹き荒れます。くるくると宙を舞うリモコンをププルがキャッチ。

「お前そりゃなしだろおっ!」

 怒声と共にリモコンが第二宇宙速度でピピルの眼鏡に激突します。今度はテラリウムの海氷が一瞬で溶けて沸騰しはじめ、火山がポップコーンのように爆発しましす。リモコンが二人の間を飛び交い始めます。

「この――オタクを迫害すんな!」

「そう言やウケると思うなよ単なるインドア派!」

「うるさいヤンキー! ノリを免罪符だと思って生きてる連中め!」

「内輪ネタでしか会話できない奴に言われたかねえ!」

 くんずほぐれつ大合戦。巻き込まれたリモコンは次々と昼夜を切り替えます。空は青と紺に目まぐるしく同心円状に色を変えて、まるで弓道の的のようです。日に焼かれて地面がぐずりと融け、かと思えば急激に冷えてひび割れ棚氷に覆われて、次の瞬間にはマグマを噴き上げて大陸を動かします。テラリウムの天変地異は留まることを知りません。もうビル群など影も形もなく、あんなに沢山いた人間たちはごま塩のようになって天地に翻弄されています。喧嘩はばき、という音でやっと止まりました。兄弟の足に同時に踏みつぶされ、リモコンがひしゃげてしまった音でした。太陽と月が重なり合い、半透明の星が空を埋め、世界は灰色に染まります。

「……あ」

「……」

 ププルがリモコンを取り上げ、昼夜のスイッチを押してみますが、空はさっぱり動きません。ソファに沈み込んで、まだ荒い呼吸を繰り返しているピピルと顔を見合わせます。

「やらかした?」

「ああやらかした」

「うっわどうしよう」

「どうするもこうするも――まずいことになっちまうよ」

 丁度その時、ただいま、の声が飛び込んできて、二人は顔面蒼白になりました。空の尽きるところから帰ってきたのはハハルとパパル、二人の両親です。

「うわ、どうなってんんのこれ。あー! リモコン壊れてる!」

「テラリウムも酷いことになってるぞ。あんなに苦労して作り上げたというのに……何があったんだ? 二人とも」

 傷だらけの二人は互いにそっぽを向いています。ププルがやっと口を開きます。

「……テラリウムは勝手に壊れてました」

「リモコンは兄さんが壊しました」

「はあ!? お前が踏みつぶしたんだろ!?」

「兄さんが先に踏んだんだ――」

「いい加減にしろ!」

 パパルに一喝されては、二人とも黙って俯くしかありません。パパルは腕組みして言い渡します。

「これは二人ともの責任だ。二人で元通りにすること」

 二人はいっせいに不平の声をあげます。ハハルが長いため息をついて言いました。

「二人とも大人になってどれだけ経つの? そろそろ落ち着いてちょうだい」

 二人は静まり返ります。パパルが思い出したように言いました

「そういえば新しくいい物件を見つけたから父さん達はそっちに引っ越す。お前たちはここで達者に暮らせ」

 パパルとハハルは出て行きました。二人は顔を見合わせました。

「やっちまったな」

「やっちまったね」

 二人はテラリウムをのぞき込みます。何かが動いたような気がします。よくよく見てみると、小さな潮溜まりが、テラリウムの端に引っかかっていました。二人は空に潜り、かつていた人間ほどの大きさになってテラリウムに降り立ちました。

「なにかいる?」

「しっ、静かに」

 二人して水溜まりにうんと顔を近づけてみると……なんと小さな生物が動き回っています。それも今までに無い形と構造をしています。

「ピピル、これなんだろうな」

「生物だよ。きっと昼夜が激しく切り替わったのに刺激されてできたんだ!」

 ピピルが分子の一つ一つを撫でまわしながら言いました。二人は顔を見合わせます。

「じゃあ俺たちは――」

「案外やらかしてばかりでもなかった!」


 二人はたいそう喜び、この小さな命を観察していくことにしました。潮溜まりがテラリウムから落っこちないよう、テラリウム自体を捏ねて丸く固め、テラと名付け直しました。水をやると潮溜まりはあっという間に広がりました。全面によく日が当たるように、回転させながら太陽の周りを回らせました。はじめは楽しく観察していましたが、生物の姿がどれも同じでつまらなく、しばらくすると飽きてしまいました。夜も味合わせてやろう、とふと思い立って、月をテラの周りに走らせました。すると何という事でしょう、あっという間に生物の形が変わっていくではありませんか。爆発的に種類を増し、日々変化していく生物達の様子を二人で楽しむ中、ピピルが思いつきました。

「ねえ兄さん、夜を伸ばしてテラを冷やしてみない?」

「バカ言うな。そんなめんどくさいことやるか」

「めんどくさくないよ。このボタンを押すだけなんだから」

 リモコンを得意げに掲げるピピルを、鬱陶しそうにププルが見上げます。ピピルはいつの間にあの悪夢のリモコンを直していたのでしょう。

「……俺は昼がいーの」

「なんでよ。前は夜にしたがってたじゃん」

「そりゃ昔の話だろ。いいからそれ貸せ、壊してやるから」

「やーだね」

 止める間もなくピピルがボタンを押します。あっという間に全休凍結する地球。

「てめっ――何やってんだよ!」

「へへーん、昼にしたいなら取ってみな」

「運動不足のお前に負けるか!」

 陰陽スイッチ戦争はこれからも繰り返されそうです。

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