家庭2


 スタ吉がとっても可愛かった。

 そんな些細な感想ですらも自宅で口にすることは許されない。美月が駄々をこね、母に見下げられてしまうとわかっているからだ。


 だからこそ、家に帰ってもいつも通り過ごし、晩ご飯のときもハムスターの話題は持ち出さず、代わりに美月が大好きなアニメの話をしてあげた。その陽太の選択は間違っていなかったようで、食事の間も美月は無邪気に笑ってくれたし、母も兄妹が仲良く会話しているのを微笑ましそうに見つめてくれていた。


 うまく立ち回れたことを嬉しく思うものの、食事中にひとつだけつらいことがあった。今晩の献立がグラタンだったのだ。陽太はホワイトソースがあまり好きではなかったので、なかなか食が進まなかったのである。

 だが、そのこともやはり言葉にすることはできなかった。グラタンは美月のリクエストに応じ、母が作ったものだったからだ。


 思い返してみると、美月が言葉を覚え、意思疎通ができるようになってから、母が陽太に晩ご飯の希望を問うたことなんて誕生日のときくらいだった。

 ふと胸の内側から、どうしようもないやるせなさがせり上がってくる。陽太はそれを押し殺すかのようにグラタンをかき込んで完食すると、いそいそと席を外していた。

 その足で自分の部屋に入ると、勉強机の前に座ってほっと一息つく。


 あのままふたりの前にいたら、心の中に渦巻く感情を全部さらけ出してしまうところだった。陽太は、家の中に自分ひとりになれる場所があったことに心から感謝していた。

 ただ、もとはというとこの部屋は陽太の部屋というより、子供部屋だった。つまりは陽太と美月、ふたりの部屋だったのである。兄妹ふたりの部屋ということで、布団を並べて一緒に寝てたりもしたのだが、いまは美月だけ両親のベッドで眠ることになっていた。

 あることがきっかけで陽太だけの部屋になったのだ。


 それは三ヶ月前のことだった。


 おそらく日中にたっぷりとお昼寝をしたのだろう。その日も兄妹並んで床についたのだが、美月はまったく眠たくなさそうだった。


「お兄ちゃん、お兄ちゃん」


 そう言って、ほっぺをぺちぺちと叩いてくるものだから、陽太のほうも寝るに寝られなかった。

 とはいえ、ちょっかいを出してくる美月に苛立っていたわけではない。むしろ、楽しそうにじゃれてくる妹のことを愛おしく思っていたほどだ。


 だからこそ陽太は、ちょっかいのお返しに美月のお腹をつんつんとつついてやった。

 すると、美月はきゃっきゃっと声をあげて笑い出した。いつものようにひょっこりと前歯をのぞかせながらである。


 陽太は美月の特徴的な笑い方が好きだった。その笑顔を見るために、もっと妹を喜ばせてあげたいと思い、さらにこしょこしょとお腹をくすぐることにした。

 しかし、それがよくなかったのだろう。布団の中で激しい呼吸を繰り返した美月は、喘息の発作を起こしてしまったのだ。


 引きつった表情のまま固まり、美月はひゅうひゅうと喉を鳴らしている。その様子は、まるで恐ろしい怪物を目撃したホラー映画の主人公みたいであった。

 いつもの可愛らしい妹とは正反対の姿に、陽太はすっかり動揺してしまう。部屋から飛び出ると、キッチンで皿洗いをしていた母に助けを求めた。


 発作の報告を受けた母は顔を青ざめさせると、陽太のことを突き飛ばし、子供部屋へと駆けだしていた。

 結果としては発作は軽いものだったようで、母が落ち着かせることで、美月の呼吸は安定を取り戻した。ただ「お兄ちゃんと一緒に寝るとミーちゃんの体を悪くさせるから」という理由で、その日を境に美月は両親の部屋で寝ることになったのだ。


 この部屋がひとり部屋になった経緯を振り返り、陽太は胸が苦しくなっていた。どうしようもないやるせなさを再び感じてしまったためである。

 誰にも見られていないこともあって、感情を抑えきれなくなった陽太は、勉強机に突っ伏すと少しだけ泣いた。

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