第十五話 重鉄鯨を叩っ斬る

ズドォォォォン!!!


「わっとっと。」


突然の衝撃が船を揺さぶり、甲板かんぱんのリベルも流石に体勢を崩す。

どうやら船の側面、彼女が破壊したのとは逆側に何かが衝突したようだ。


「なぁに?」


滑った船が止まった所で、リベルはその原因を確かめる。

船から少し離れた所に、それはいた。


戦列艦を凌ぐ全長100m、扁平へんぺいな巨体でかの者は海を行く。

表皮を覆うは黒々とした、海の如く波立つ重き鉄。


海中において敵は無く、海上でかなうはただ龍のみ。

肉を求めて人を襲い、数多あまたの船を沈めし海の皇帝。


重鉄鯨 ―ペザロフェンテレーナ― は、海に関わる者全ての天敵だ。


船は海中より浮上した皇帝に衝突していた。

肉を求める鯨は、血の臭いをまき散らす海賊船を標的としたのだ。


「おおおー。」


リベルが乗る船の三倍以上はあろうかという化け物。

でありながら、彼女は恐れず目を輝かせるばかり。


手にした斧で、敵無き強固な外皮を打ち破れるのか。

そればかりが彼女の頭に在った。


グォォォォッ…………


重鉄鯨ペザロフェンテレーナが吠える。

その咆哮だけで大気が揺れて海が逆立ち、風を生じさせて船の帆がはためいた。


海の皇帝は、重厚なる巨体を旋回させて海賊船へと突撃する。

その様はまさに、敵船を破壊するために衝角による攻撃ラムアタックを仕掛ける戦艦だ。


「むぅ~。」


リベルは唸る。


先程の衝突で、海賊船の腹には穴が生じている。

辛うじて沈没していないが、鯨に突撃されては耐えられない。


確実に沈む。

両断破壊されて海の藻屑だろう。


「よし。」


彼女は一つ頷く。

残骸となった舵輪と操舵手を蹴り飛ばして退かして、リベルはそれを持ち上げた。


重鉄鯨は、意思を持つ超重量の鉄塊。

少なくとも外皮は鉄だ。


鉄はとある物と相性が良く、そして悪い。

付着する反面、反発もするのだ。


磁石である。

船には一つだけ、確実にそれが使われている物がある。


何もない海の上で方角を知って遭難を避ける、海を行く者の必需品。

そう、羅針盤だ。


とはいえ、使われている磁石は北を指す小さい磁針でしかない。

鉄の鯨をどうにかする事など、出来るはずの無い物だ。


普通であれば。


「ぬぬぬ~……。」


重量のある羅針盤を軽々と掲げて、リベルは魔力を注ぐ。


生じさせるは地の魔法、そして雷だ。

バチバチと船の体と周囲に電撃の糸が走った。


磁針の力を増幅し、船の側面から顔を出す大砲を磁極とする。

船を巨大な磁石として、鯨と反発させて無理やり旋回させるのだ。


重鉄鯨が迫る。

鉄の体が海を裂き、砕けた波が白く散った。


電を帯びた大砲が熱を持ち、真っ赤に染まっていく。

リベルが掲げた羅針盤の磁針が、北を見失い高速で回転する。


ざぁぁんっ


鯨と船が衝突する。

その瞬間、船は横に滑った。


重鉄鯨の突撃を、柳の葉が風になびくように船が躱す。

無茶な機動によって、ただでさえ痛手を負っている船体が悲鳴を上げた。


ブォォオォォ……


鯨が鳴く。

予想に反して獲物を仕留められなかった悲しみによって。


しかし、彼は諦めない。

巨体を動かし、再び突撃しようと旋回する。


「ぺいっ。」

がしゃんっ!


リベルは掲げていた羅針盤を放り投げる。

磁針がけ落ちたそれは、甲板に叩きつけられ砕け散った。


二階層からは鉄が熔解した熱気が伝わる。

先程の機動で海水を被っているのですぐに冷める、船体は炎上はしないはずだ。


リベルは船のへりへとゆっくりと歩む。

遥かに望むは青の海、そして波を持ち上げ山と成す黒鉄のふね


次に突撃を受けたら避けるすべはない。

ならば防御ではなく攻撃に移るべき。


リベルは小走りで甲板の反対側へ。

大きく脚を前後に開いて膝に手を付け、ぐっぐっ、と身体を沈ませる。


準備運動を終えた彼女は、走った。

そして。


たぁんっ!


甲板を強く蹴り、空へと飛翔する。


「ひゃっほー。」


まったく抑揚無く、リベルは声を上げる。

海面の遥か上を跳ぶ彼女は、重鉄鯨へと一直線。


鯨の背に着地する気である。

万人が恐れる魔獣へ自ら近付く者など通常はあり得ない、狂気の沙汰だ。


海の皇帝の敵は、大空を行く龍である。

それはかの魔獣が、空からの攻撃にはそれほど強くないからだ。


だがあくまで『それほど』強くないだけ。

抗する力は存在する。


重鉄鯨は飛来する小さな影を認識した。

大きく体を動かし、空へとその顔を向ける。


ゴォォォォ……ッッッ!


巨体に見合った大きな口が、猛烈に空気を吸い込んだ。

鯨の魔力が体内で渦を成し、そして吐き出された。


ズッドォォォォン!!!!!


太陽の如く輝く、光の線が放たれる。

それは至近の海を蒸発させ、熱せられた大気を爆発させた。


破壊の光は一直線にリベルへ迫る。

空中に在る彼女には、それを避けるすべなど存在しない。


ならば真っ向から勝負すればいい。

リベルは斧を出現させ、柄尻を両手で掴んで大きく振りかぶった。


「とぉぉぉりゃぁぁぁっ。」

ずばぁんっ!!!


竜を穿ち、島すら消滅させる重鉄鯨の超熱光線。

リベルはそれを真っ二つに叩き斬った。


裂かれて二つに分かたれたそれは、空を漂う雲を吹き飛ばす。

一撃必殺の光線は、リベルを討つに足らなかった。


ブォォォォ……ッ!!!


あり得ない事が起きても、海の皇帝は怯まない。


体を大きく左に振って、リベルに対して水平となる。

波のように表皮の剛鉄が逆立っていた。


否、まさに白波の如く、それは動いている。


波音とは似ても似つかぬ、金属がこすれれあって生じる高く耳障りな音。

白き波とまるで異なる、重い黒の揺らぎがリベルを迎える。


ガキッ、ベキベキ……ッ!

バァンッッッ!!!


金属がし折れ、そして爆ぜた。


重鉄鯨の表皮を覆う、鉄の鱗が吹き飛んだのだ。

リベルの仕業ではない、かの魔獣自身が起こした事である。


はじけ飛んだ鉄塊は、散弾の如く飛び散った。

即ちそれは、リベルという空中からの敵を撃ち落とす対空射撃だ。


「おぅわっ。」


流石のリベルも少しだけ驚いて声を上げる。


銃弾や大砲など目ではない。

一つ一つの鱗が、彼女の三倍から五倍の大きさだ。


更にそれは、リベルなど相手にもならない程の質量を持っている。

直撃すれば全身の骨と肉、そして内臓が滅茶苦茶になってしまう。


「しっ!」


身体を捻じり、全身の力を持って斧を振る。

遠心力を合わせた刃が、飛来する鉄の塊を両断した。


ぞばっ!

ずがっ!

どごっ!

どかぁんっ!


斬り、蹴り、殴り、突く。


身体と斧をすべて使って、リベルは鉄鱗てつりんを回避する。

だが。


ベキベキ……ッ!

バァンッッッ!!!


第二射。

鯨の背には、まだまだ残弾が山ほどあるのだ。


空中でリベルはそれを捌くが、どうあっても踏ん張りが効かない。

次々と高速で飛来する鱗に押されていく。


「ぬむっ、あ。」


リベルは回避し続けるが、流石に限界を感じる。

その時、彼女は閃いた。


防御に徹しなくても良いじゃないか、と。


「とうっ!」


真っすぐに飛んできた鉄の塊。

上部に手を突き、箱を飛び越えるように回避する。


そして、その反対側を。

蹴った。


リベルの身体が空中で加速する。


散り飛ぶ重鉄の鱗を足場にして、右へ左へ。

彼女は空中で自在に動き回る。


砲弾の雨を躱せる、ならばそれよりも巨大な物も回避できるはず。

リベルが閃いた事は、常人には出来るはずもない無茶苦茶な理論である。


しかし彼女は今、それを実行していた。


ベキベキッ、ベキベキ……ッ!

バァンッッッ!!!

ドバァンッッッ!!!


第三射及び第四射の連続射撃。

撃ち落とす事が出来ない相手に、流石の皇帝にも焦りが見える。


彼が常々戦っているのは、自身と同等かそれ以上の体躯の相手。

龍ならば回避されたとしても、少なくとも数発は当たる。


リベルほど小さく、すばしっこい敵を相手するのは幼体の頃以来。

となれば、戦訓など有ろうはずがない。


撃って撃って撃ちまくる。

それ以外に、彼が出来る事など無いのだ。


「ほっ、とっ、はゃっ!」


突いて超え、蹴って移動し、斧で叩く。


ぶっつけ本番でありながら、リベルは完全に攻略法を編み出していた。

しかしながら、この戦訓を何かに記したとしても何の役にも立たないであろう。


彼女ゆえに、彼女であればこそ、可能とした戦法なのだ。

そして戦いは、終焉へと向かう。


「ぬうぅぅぅ……。」


相手は自身のおよそ八倍。

生中なまなかな力で倒せるような相手ではない。


更に対空射撃で多少げたとはいえ、表皮はなおも鉄に覆われて頑強である。

つまり斬撃程度では、鱗を破壊出来たとしても肉は断てない。


リベルは鱗の雨を回避しながら、斧の穂先に魔力ちからを集中させる。

槍の穂が青白く輝き、熱を持った。


「これで。」


大きく身体を捻じり、逆手に持った斧を引く。

そして渾身の力を込めて。


「終わりっ!」


投擲した。


投げた瞬間に発生した魔力の奔流が猛烈な衝撃を生み、大気を震わせる。

それに巻き込まれた鉄の鱗たちが、何に触れられる事もなく微塵に砕け散った。


突き進む青白あおじろの槍。

それは光線の如く真っすぐに、遮る鉄の散弾全てを貫き熔解させる。


重鉄の鯨は体をよじる。

飛来する破壊の槍に、遂に海の皇帝は恐怖したのだ。


しかし、彼のささやかな抵抗は全くの無駄。

何もかもが遅かった。


ず……っ

ばぁぁぁぁんっ!!!


光の槍が突き刺さり、少し遅れて炸裂する。

途轍もない衝撃を受け、巨大な重鉄鯨の体が海中から跳ね上がった。


その腹には大破孔だいはこう

扁平な体の半分が吹き飛ばされ、大きな穴が出来上がったいた。


圧倒的な耐久と再生力を持つ皇帝も、それ以上の一撃を受けてはひとたまりも無し。

再び海へと戻った体からは、既に命は消えていた。


「お~、おおおっ。」


リベルは重力に従って落下する。

あとは鯨の上に着地するだけだ。


が。

彼女は見誤っていた。


自身の攻撃で大穴が生じる事を。

つまり彼女の降り立つ予定地は、自分で作成した鯨の空洞だ。


海への着地は、それ即ち水没である。

身を捩り、風の魔法を全力で放つ。


空中で泳ぐよう飛ぶように、両腕をバタつかせる。

そんな事で推力が生じるかは定かではない。


海面が近付く。

あと少し、あと少し。


「おおりゃっ!!」


斧を出現させて、グルグルと身体を回転させる。

ほんの少しだけ落下速度が低下した。


すたっ

「わたたっ。」


リベルは何とか、重鉄鯨の背に降り立った。

大穴のへり、そこに爪先が乗った程度ではあるが。


「おぉ~、ぉっ、おっ、つぇいっ。」


両腕を振り回し、身体を何とか前に倒れ込ませた。

彼女は無事に着陸したのである。


「ふ、ふぃー。」


今回は流石に少しだけ汗をかいている。

腕でそれを拭い、彼女は安堵した。


パチパチパチ


そんな彼女を待ち構えていたように、鯨の背に拍手が響く。

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