第四章

第十三話 水砲魚を叩っ斬る

「じゃ、ばいばーいっ!」


大きく手を振るアウス。


彼は今回の件の報告も兼ねて、聖殿領へ。

対してリベルは、既に遠くに見えている海へ。


砂漠から抜けた所、街道の分かれ道で二人は別れた。


少し歩いた所で、アウスは振り返ってリベルに再び手を振る。

それを見て軽く手を振り、リベルは歩き出した。


更に離れた所で、彼は大声で再びリベルを呼んでブンブンと手を振る。

彼女は手を振らない。


姿が米粒になった辺りで、三度みたび呼ばれる。

リベルは魔力を固形化させて球を作り出し、渾身の力でそれをアウスに投擲した。


遠くで、ぱっかーん、と音がする。

まるで誰かの頭に木のボールが直撃したような響きだ。


ようやく静かになった街道。

リベルはスタスタと海へ向かって歩を進めた。


街道が繋がったのは、それほど大きくない漁村だった。

主要な道はアウスが進んだ方なのだろう。


村人が見張りをしているくらいだ、人も魔獣もそれほど来ない場所と分かる。

珍しい旅人に驚きつつも、見張りをしていた男性はリベルを快く迎え入れた。


村は海に面しており、桟橋に五人乗りの小型舟が繋がれていた。

漁師小屋には網や釣り竿が置いてあり、磯の香りを漂わせている。


村内の建物は三十程度。

その中で店は一軒だけ、雑貨から食料まで全てを扱う何でも屋だ。


そして、宿が無い。

村人相手の何でも屋と異なり、客が来ないので商売にならないのだろう。


村の中心部できょろきょろと周囲を見回していると、一人の少女が駆け寄ってきた。


「こ、こんにちはっ。」


見慣れぬ旅人に少し緊張しながらも、少女はリベルに挨拶を贈る。

年の頃は十程度だろうか、リベルと同じくらいの背丈だ。


村の前に広がる海と同じ、深い青の髪。

淡い桃色が混ざる灰色の瞳は、海中にある真珠のよう。


素朴なワンピースは飾り気が無い。

この村の娘であるのは明白だ。


「なに?」

「あ、あの、旅の方、ですよねっ。」

「うん。」


言葉少ななリベルに、少女は少しされている。


「ええと、この村に宿は無い、です。どうするつもり、かなって……。」

「野宿する。」

「えええっ!?」


さも当然のようにリベルは言い放つ。

彼女の言葉が信じられず、少女は驚愕の声を上げた。


「だだだ、ダメですよ!」

「なんで?」

「危な……くは無い、平和な村ですけど、とにかくそんなの良くないですっ!」

「慣れてるから大丈夫。」

「だいじょぶくないです!その、うちに来てください!」

「知らない人を泊まらせるのは、もっと良くない。」


親切な少女の申し出に対して、リベルは正論を返す。

痛い所を突かれた彼女は、うっ、と小さな声を発した。


「じゃ、じゃあ、休憩!少し休憩していって下さい。その位なら、良いですよね?」

「………………まあ。」

「決まりですねっ。ついて来てくださいっ。」


少女の押しの強さに、リベルは折れた。


彼女の後をついて行くと、海が近い二階建ての家へと辿り着く。

村の中では、比較的良い方の家であるようだ。


「襲われて生き残れただけでも幸運じゃな。」

「足が使えずとも出来る事はある、気持ちを切り替えていきますとも。」


家の中から、僅かに老人と男性の会話が聞こえる。


少女は父を呼びながら扉をノックした。

男性の返事を受けて、少女はそれを開く。


「ただいま、お父さん。」

「おかえり。おや、君は……?」


娘の名を呼んだ父は、部屋の奥のベッドに腰掛けていた。

彼は彼女の後ろに立つ村民ではない少女リベルに気付く。


「旅の人なの!あ、ええと名前聞いてなかった……。」

「リベル。」

「リベルさん!」


優しいが慌てん坊の娘に父は苦笑した。


「ようこそ我が家へ。しかし何故こんな何もない村に?」

「ただ、足が向いただけ。」


リベルは気の向くままに旅をしている。

今日何処どこに行くのか、明日何処いずこにいるのか、それは彼女の気分次第なのだ。


リベルの返答に、父親の側に掛ける老翁が笑いを漏らした。


「そうでありましょうな。村の長としては寂しい話ですがの。」


白い髭を撫でながら彼は言った。


老翁、村長はそう言うが、この村は寂れた印象が感じられない。

かつては賑わっていた、という訳では無いようだ。


少女のような年頃の子供がいる事を考えれば、開拓途中の村なのであろう。


「で、何。」


リベルは指をさす。


彼女が気になったのは、ベッドに腰掛ける少女の父親の右太ももの包帯である。

そして、彼の傍らにある杖だ。


「あ……。ええと、お父さん漁師なんだけど、怪我しちゃって…………。」

「怪我?」

「うん……。水砲魚 ―マレフッシェ― って魔獣に襲われたの。」


少女はワンピースのスカート部分をギュッと握ってうつむく。

彼女の目はうるみ、今にも泣き出してしまいそうだ。


「こらこら、初対面の方に心配をかけるんじゃない。気にせんで下さい。」


ははは、と父親は笑う。


「ふぅん。」


リベルは遠慮なく、ずかずかと彼に歩み寄る。

その目の前まで近づいて、その脚を見下ろした。


「何か?」

「その脚、少し見せて。」

した方が良いぞい、かなり酷い傷じゃからな。」

「慣れてる。」


せっかくの忠告をリベルは突っぱねる。


彼らが知るよしの無い事だが、彼女は血に臓物に抵抗など有るはずがないのだ。

でなければ、敵対したモノを一刀両断真っ二つには出来よう筈がない。


感情の見えないリベルの様子に、父親と村長は顔を見合わせる。

少女も彼女の隣に来て、心配そうにリベルの事を見ていた。


困った顔をしながら父親は、するり、と包帯が解いた。

近くへ来ていた少女が、うっ、と小さく声を上げる。


彼女の父親の太ももには、穴が空いていた。


銃弾が貫通したような空洞、しかしそれはあまりにもだ。

貫通の衝撃で皮膚が爆ぜた様子が無いのだ。


丸く切り取られたかのような、人体には有り得ない正円であった。

肉は勿論、大腿骨だいたいこつまでもを切り取っており、空洞からは白い物が見えている。


傷でありながら、元からそこに空いていたような穴。

それ故に違和感を覚え、言いようのない不快さを感じるのだ。


水砲魚マレフッシェは魚の魔獣、ですが陸の生物を狩るのじゃ。」


父親の傷を、続いてリベルの顔を見つつ村長は言う。


「水を吐いて獲物を撃つ。その一撃は木の幹にも風穴を空けてしまう程。」


ふう、と一つ溜息を吐く。

父親も少女も、その顔には悔しさと悲しみが浮かぶ。


「人間がそれを受ければ、この通りじゃ。」


人間の体に綺麗な風穴を空ける程の一撃。

それはただの水鉄砲ではなく、超速の銃弾のようなものなのだろう。


肉と骨を切り取られながら、血が流れていない。

村長の治癒魔法によって、腐敗や出血を止めているのだ。


だが、快復させるには至っていない。

擦過傷さっかしょう切創せっそうの治癒に比べ、段違いに難しい傷なのである。


「ふぅん。」


リベルは口から一つ、それだけを吐く。

そして。


「ぐぁぁっ!?」

「お父さん!」


少女の父親の太ももを、右手でギュッと鷲掴わしづかんだ。


出血等を防いでいるとはいえ傷は傷、何かに接触すれば耐え難い痛みを覚える。

彼の苦悶の声と、少女の悲鳴に似た声が室内に響いた。


「な、何を!?」

「黙って。あと、少し耐えて。」


いきなりの暴挙を止めようと、村長がリベルの腕を掴む。

老いているとはいえ男性の力、しかし彼女の細腕を引きはがす事が出来ない。


リベルは冷たく言い放ち、苦悶の表情を浮かべる少女の父親に指示をする。

耐え難い痛みに耐えろ、というのだ。


淡く白い光が彼女の手から生じる。

と同時に。


「ぐっ、ぐうぅぅ………ぅ………っ!!!」


経験した事の無い程の痛みが、少女の父親をうめかせる。

歯を食いしばって眉間に皺を寄せ、彼は身体を縮こまらせた。


「お父さん!お父さん!!リ、リベルさん、どうして!!??」


自分が連れてきた旅人が、何故か父親を苦しめている。

年端もいかない少女はただ混乱するばかり。


だが一人だけ、リベルがやろうとしている事を理解する者がいた。


「まさか……。頑張れ、耐えるんじゃ!!」

「え!村長さん、なんでっ!?」

「治癒魔法、それも肉を骨を再生させるかなり高度な魔法じゃ!」

「えええ!?」


目の前の薄紫髪の少女リベルは傷を治そうとしている。

治癒魔法を使える村長には、それが分かったのだ。


父の手を取って祈るように、少女は彼を応援する。

暫しの後、淡い光は収まり消えた。


「終わった。」

「ぜぇ…………、ぜぇ…………。」


リベルは少女の父親から手を放す。

苦痛から解放され、彼は荒く深く息をする。


リベルの手が隠していた彼の太もも、そこには既に穴など無かった。

元々そんなものは無かったかのように。


「お父さん!!!」


少女はそれを見て、脂汗を拭った父親に抱き着いた。






「いやぁ、吃驚びっくりしましたが本当にありがとうございました!我が家の恩人だ!!」

「本当に、本当に………ありがとうございました!」


騒動から少しして、父親はすっかり元気になっていた。

働きに出ていた妻も村長に呼ばれて帰宅し、涙ながらにリベルに礼の言葉を贈る。


「リベルさんっ!ありがとう!ありがとう!!」

「暑い。」


先程から少女はリベルに抱き着いたまま。

リベルは特に気にせず苦情を言って、いつもの通りの表情である。


「大した持て成しも出来ませんが、是非、今日は泊っていって下さい。」

「うん、それが良いよ!リベルさん、良いよね!?」


母親の言葉に少女が乗り、目を輝かせてリベルに同意を求める。


「………………まあ。」


彼女の目の前で、少女の喜びの声が響いた。


家族と一緒に卓を囲む。

ささやかながらも手の込んだ料理、他愛もないが明るい会話。


家族とは、を示すような温かい家だ。

少女が優しく親切になったのも頷けた。


夜は同じ部屋で枕を並べる。

リベルが一夜の寝床としたベッドは、既に家を出た姉の物なのだそうだ。


村で起きた事、家族の話、そして感謝の言葉。

リベルは言葉少なな反応だが、少女の話は尽きない。


だが夜も更けると、彼女の元気も限界が来る。

睡魔に負けて、少女は夢の中へと落ちていった。


「さてと。」


彼女が寝息を立てているのを確認して、ベッドから起き上がった。

少女にも彼女の父と母にも気付かれずに、リベルは外に出る。


村は静まり返っていた。

ただ満ち引きによる海の音だけが響いている。


夜の散歩の供は、雲の少ない空に光る満月だけだ。

誰にも気取られる事無く、リベルは村から出る。


村から繋がる海岸線、そこは石がごろつく砂利浜じゃりはまだった。

小さな石と硬い砂、水に浸食されて穴の空いた黒い岩が海を眺めている。


ざくっ、ざくっ


リベルは砂利を踏みしめて歩き行く。

涼しい夜の散歩は、風情もあって良いものである。


ざざぁ……

  ざざぁ……

    ざざぁ……

        ちゃぱっ

    ざざぁ……

  ざざぁ……

ざざぁ……


右手に広がる海の波の音が、寄せては返す。

しかし、リベルは感じ取っていた。


パァンッ!

「おっと。」


咄嗟に身体を屈める。

彼女の顔があった場所に何かが飛来し、背後にあった岩に空洞が生じた。


「みぃつけた。」


斧を取り出し、リベルは海を見る。


月を映す揺らぐ水面。

その波間から、黒い影が顔を出していた。


一、二、五、六、十、二十。

月夜の海岸に魚の顔。


人間大のその魚は、広葉樹の葉のような形の銀の体を持つ。

背中から体の半ばまで黒く太い線模様があり、尾は黄色だ。


吸い込み圧縮した海水を射出して、陸上の獲物を狩る魔獣。

それが水砲魚マレフッシェ、危険な水弾すいだんの射手である。


パァンッ!

  パァンッ!

   パァンッ!

   ダァンッ!

  ダァンッ!

ダァンッ!


リベルが彼らを認識したと同時に、水弾が横殴りの雨となる。


「ほっ、よっ。」


身体を反らせ、身体を屈め、跳び、転がり。


危険な通貫つうかんの雨をリベルは躱していく。

その度に、彼女の背景に穴が生じる。


小さいリベル一人に対する攻撃と考えると、明らかに過剰。

よしんば狩れたとして、獲物にありつけるのは一匹だけ。


非合理的かつ生存戦略に合致しない行動だ。

そうした事をするには、必ず理由がある。


考えられるのは。


「食糧不足?」


海の中、そして陸上。

彼らのテリトリーは他の動物や魔獣よりも広い。


だが返して言えば、水の中だけで生きていけない、という事だ。

長い進化の道において海中での競争に負けたからこそ、陸上に領域を広げたのだ。


そんな彼らが、陸上の小さな獲物リベル相手に血眼になっている。

他に獲物がいないとでも言うかのように。


「よっ、ほいっ。」


側方宙返り手を使わない側転で水弾を躱しながら、リベルは斧を投擲した。

ぐるんぐるんと風車のように回転したそれは、射手に正確に着弾する。


ぐわぁしゃっ!


海水と水砲魚が混ざって弾ける。

散った白と赤が月光に照らされた。


ザババババッ!


砕け散った仲間を見て、周囲の水砲魚はそれに群がる。

だが、治療や介抱の為ではない。


共食いだ。

リベルの仮定は当たっていたようだ。


つまりは、彼らは飢えている。

それ故に獲物としては非効率的な人間少女の父親を襲ったのだ。


異常繫殖による爆発的な個体数の増加か、それとも別海域からの流入か。

理由は定かではないが、少なくとも排除しておいた方が良い存在である。


仲間の残骸を食い尽くした水砲魚は、再び陸上の獲物へと目を移す。


海中と陸上。

本来は隔絶した領域を跨いで、銃撃戦が繰り広げられる。


ダダダダダッ!

ぶおんっ、ぐしゃっ!


水砲魚の小銃ライフルに対して、リベルの斧は大砲だ。


手数は遥かに魚が上。

更に彼らの一撃は、容易に人体を破壊する凶弾である。


状況だけを見れば圧倒的不利。

でありながらリベルは僅かに笑みを浮かべながら、び、ね、おどる。


ダダダッ!

ぶおんっ、ぐしゃっ!


斧は正確に射手を撃つ。

対して小銃はくうを撃つ。


既に水砲魚の数は半分。

対してリベルはただの一発も当たっておらず、それどころかかすりもしていない。


戦争は数、されど戦いは質なのだ。

数が三分の一になった頃、水砲魚は情勢不利と判断して撤退を開始した。


「…………どこ行くの?」


ひゅっ

どぱぁんっ!


先程までの投擲とは比にならない程の速度で斧が着弾する。

直撃した敗残兵水砲魚は木っ端微塵になって海中に消えた。


「逃げちゃ、ダメ。」


斧を振る。


ぞぱりっ


海が割れた。


数匹の水砲魚は、自身がどうなったか分からずに身をくねらせる。

自身の体が縦に真っ二つにされた事を理解し、少し遅れて絶命した。


「よいしょっ。」


海へと跳んだ。


沈む事無く、たん、たん、と水面を跳ねる。

眼下にあるのは白波と青の海、そして、その中を泳ぐ魚。


「終わり。」


斧の穂先が、最後の射手を貫いた。

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