おまけSS

第57話 結婚式の波乱 前編

「私、レイモンド・サムはあなたの夫となるために自分を捧げます。そして私は今後、あなたが病める時も、健やかな時も貧しい時も、豊かな時も、喜びにあっても、悲しみにあっても、命のある限りあなたを愛し、この誓いの言葉を守って、あなたと共ににあることを約束します」


彼の黒髪から覗く私の大好きな彼の海色の瞳には幸せそうな私が映っていた。

彼の弟の完璧な王子様であるフィリップ様のお姫様になりたいと思ってしまったこともあったけれど、私は姫ではなく野良猫だ。

私が一番居心地の良いのは王子様の隣ではなくチンピラの隣だということに随分前から気がついていた。


自分の欲望に正直で元王族とは思えないチンピラのようなレイモンドだけれど、誰よりも深く私を愛してくれる愛しい人だ。

領主となっても、彼がいつ前のように性欲に脳を侵されてしょうもない人間に成り下がるかわからない。


私が側で支えて彼の粗野な部分を少しずつなおしていき、彼の飛び抜けた能力が領民に使われるよう操縦しないとならないだろう。


「私、エレノア・アゼンタインはあなたの妻となるためにあなたに自分を捧げます。そして私は今後、あなたが病める時も、健やかな時も、貧しい時も、豊かな時も、喜びにあっても、悲しみにあっても、命のある限りあなたを愛し、この誓いの言葉を守ってあなた共にあることを約束します」

幸せに胸がいっぱいな気持ちになる。


帝国の公女エレノア・カルマンであった12年前はこんな幸せな時が自分に訪れるとは思っても見なかった。


帝国で私は毎日のように、父親から虐待を受けながら未来の皇后になるように誰より品格ある女性と見られるための厳しい教育を幼い頃から受けていた。

2歳の時、食事の際に少しでも物音をたてたら、窓から放り出された。

それに併せて、子供にするとは思えないような皇族専属の娼婦としての教育を受けていた。

そのような地獄のような日々の中、私はの基本顔は絶望顔になった。


私のヒーローであるエレナ・アーデンが私が子供の目をしていないと言っていった。

そのような目をした私を可愛いから誘拐したなどと言ってくれる彼女の優しさに私は感動した。

4歳の時、地獄のようなカルマン公爵邸から救い出してくれた彼女により私はサム国の孤児院に辿り着いた。


孤児院での日々は地獄のカルマン公爵邸暮らしをしていた私には、パラダイスのように感じるほど幸せな日々だった。

父親から食事を抜かれ、隠している魅了の力を使って食事を持って来させてみろと強いられることもない。

メイドから影で「皇族専属の娼婦」とバカにされることもない。


実は困窮していることを隠している、公爵家での生活よりずっと良かった。

服も1着以上持っていて、門限までに戻ってくれば街に散歩に出ることもできる。

同年代の子達と夢だったお店やさんごっこまで経験した。

私は孤児院にいられる18歳までそこで暮らしたいと思っていた。


しかし、5歳の時、慈善事業に訪れていたアゼンタイン侯爵によって私の孤児院ライフは唐突に終わりを告げる。

孤児院に多額の寄付をしている彼が私を養子にしたいと言い出したのだ。

冗談じゃない、高位貴族になどなってしまったら私の正体が帝国の公女エレノア・カルマンだとバレてしまう確率が高くなる。


魅了の力をつかって、侯爵を操って養子の話を断りたかった。

しかし、明らかに評判を上げるためではなく、恵まれない子供のために慈善事業をしている侯爵の心の純粋さを見て彼に魅了の力を使うのは危険だと思った。

純粋な人間に魅了の力をかけてしまうと、精神を破壊してしまうのだ。


私はアゼンタイン侯爵家に養子として入った後も、なんとか孤児院に戻るため嫌われるようおかしな女の子の演技をした。

それを優しい侯爵夫妻は微笑ましく見てきた。

その上、私の容姿が実父が私がいなくなったことを隠すため用意した偽物の帝国の公女エレノア・カルマンと似ていた為に私の正体は露見してしまった。

私の正体を知っても、なお私を受け入れようとする侯爵夫妻に私は降参した。


「それでは、誓いの口づけを。」

神父様が神聖な雰囲気の中、透き通った声で言う。

レイモンドが私のベールをめくり、頬を愛おしそうに撫でて私の顎を上げてくる。

私は嫌な予感がした、結婚式での口づけは軽いものが基本だ。


遊び人で有名だった彼の評価をあげるには、私の頬に口づけするくらいがベストだ。

そうすることでレイモンドが女好きでどうしようもなく、貴族令嬢に手をつけまくっていた印象を薄れさせる効果もある。


「エレノア、愛しています」

結婚式に予定されていないセリフを吐きながら、彼の顔が近づいてくる。

私の予想が当たってしまった瞬間、今まで6年近く彼に女断ちさせて政務に勤しむ人間だと周りに印象づけてきた苦労が一瞬で消滅する。


今は彼に対して民の感情は以前と変わり好意的だ。

彼が王位に縋らず、民のため帝国に国を譲ったとして思いもよらぬ尊敬の目さえ向けてもらえている状態だ。


私は、長きに渡り苦しめられてきた男を操る魅了の力を薬によって失っている。

今はいくら願っても男を操れない、しかし私はとにかく願った。

彼が自分の性欲に贖い、周囲の目があることに気がつき軽い口づけをして離れてくれることを。

今、彼は世界から注目されているのだと私が言った言葉を覚えていることをひたすらに願った。


彼は思いっきり私を引き寄せて、濃厚な大人の口づけをした。

あまりの出来事に、私は膝が震えて立っていられなくなり彼に支えられる。


「私たち、相性がよさそうですね」

どよめく周囲の声と共に、口づけを終えたレイモンドの囁き声が聞こえてくる。


私は怒りで沸騰しそうな自分を必死で抑えた。

彼のいう相性とは体の相性のことだろう。


彼は私が立っていられない程、感じたとでも思っているのだ。

あれほど初夜のことを考えたら、初夜はなしだと言っていたのに彼は話を相変わらず聞いていなかかったようだ。


このような大人の口づけをしたら、貞節を重んじる旧サム国の国民には私たちに婚前交渉があったと噂しだすだろう。

10歳という若さで彼と私は婚約しているのだ。

幼い少女に彼が手をつけたと思われるのは非常にまずい上に、私は自分が少女でありながら女扱いされたと人に思われるのが一番嫌なのだ。


これは、大幅に予定を変更する必要がありそうだ。

私は思いっきり背伸びをして、彼の首に手を回して濃厚な口づけを返した。

目を瞑って見えないけれど、元王族のくせにろくに表情管理のできていない彼は驚いた顔をしているだろう。

唇を離す時、名残惜しそうに彼の唇を舐めた。


周囲が驚き過ぎて、静まり返っているのが分かる。

レイモンドがこれ以上ないくらい硬直して、顔を真っ赤にして私を凝視している。


15キロ太れと言っても太ったことがないからできないと未経験なことをしようとしない彼。

私に経験がないからといって、彼は自分以上の口づけが私にできるとは思っていなかったのだろう。

王族という地位と抜群なルックスをたてに、女遊びをしてきた彼と私では違うのだ。


私が魅了の力を隠すと父親は高級娼婦を家庭教師として雇い、魅了の力を使わずとも男を骨抜きにし操る術を私に叩き込んだ。

皇族の血が濃いと言われる紫の瞳の女を欲しがる皇族は、私を妻にしたがると彼は思ったのだ。

私を皇族に娶らせた後は、魅了の力が使えなくても男を操る術を持って皇帝をマリオネットにしてしまえば良いと考えたようだ。


私は当時皇太子だった6歳のアラン・レオハードに会った時に虐待よりも怖いものがあることを知った。

彼は祖父でもおかしくないベテラン貴族を跪かせて、平気な顔をしていた。

その貴族は彼のいう言葉を金言のように聞き、彼に心酔しているような様子さえ見せる。


周りの末端の使用人さえ、全員が彼を尊敬し愛していた。

私はその集団洗脳状態のような風景を見て、彼は知能が異常に高く周りの人間の感情をおもちゃにしていると悟った。

彼は人を人だと思っていないように見えた。


知能が異常に高い彼に魅了の力はかからない。

その上、彼に近づいたら私の方が洗脳されおもちゃにされてしまう。

「人を駒と思え」というカルマン公爵家の家訓により、人を駒にしても駒にされるなという考えが染み付いている私は恐怖した。

駒なんて可愛いものだ、おもちゃにされると思ったのだ。


レイモンドは私を蕩けるような顔で見つめ続けてきた。

私は魅了の力を使わなくても男を操る術では、カルマン公爵家の歴代の悪女の中で最強の力を持っていると自負している。


最強の魅了の力使いがミリア・アーデンなら、魅了の力などなくても男をマリオネットにできる最強の篭絡の力を持っているのは私だ。


旧サム国の人間は恐ろしく貞操観念が強い。

女遊びの激しかったレイモンドは当然軽蔑の対象だった。


逆に、彼の姉はとても民から尊敬されていた。

隣国のアツ国の老齢の国王に輿入れして、彼を篭絡しサム国の有利に国家間の争いを鎮めたのだ。

民が一番大切だと思っている女性の貞操を王族自らが捧げ、国を守ったのだから尊敬されて当然だ。


「行きましょうか、レイモンド。」

固まっている彼の耳元で甘い声で囁くと、彼は我に返り私をエスコートしだした。

散々遊んでた彼が6年近く女遊びをせず、政務に集中した。

6年前、私と婚約したからだと民は考えるだろう。


私が遊び人の彼を自分の身を犠牲にして、正常に政務に勤しむように導いたということを民の心に信じ込ませるよう方向転換することにした。

今の私の濃厚な口づけで、遊び人のレイモンドよりも私が上手であることは周りにも伝わったはずだ。

レイモンドが変わらず女好きでしょうもない性欲モンスターであると思われたのは一瞬だろう。

それくらい、幼く少女のような見た目をした孤児院出身と思われている私の行動は衝撃的だったに違いない。


レイモンドは魅了の力がかからない程、純粋さとは程遠い女を使い捨てにする自己中心的な性格な上に知能が天才と言えるレベルに高い。

しかし、私の篭絡の力は女好きの彼には一番効きやすい。


彼は能天気に新婚旅行では誘惑するような魅惑的な魅力に溢れたエレノアを希望するなどと言っていた。

私がなぜそんな自分を前に彼に見せたのか、全く理解していない。


あの時、彼は私が嘘をついたことに確実に怒っていた、その上真夜中に王宮という彼の陣地に部屋に彼がきたことに私は恐怖した。

そこで、私は自分の篭絡の力を使い彼を惑わし怒りを鎮めさせ部屋から追い出したのだ。


彼は明らかに私の思い通りに操られて動いてしまったことに気がついていない、それどころか悪女エレノアが大好物などと言っている。

魅了の力を使われた時は操られたことに気がついた癖に、篭絡の力を使われた時は操られたことに気がつくどころか大満足している愛おしいほどの愚かさだ。


しばらくは、この力を持って彼に政務に集中するよう誘導するしかないだろう。

結婚式の入場の時、明らかにフィリップ様がまだ私に気持ちがあるようだった。

彼がこれからも私を想い続けることを許して欲しいなどと言っていたことに、危うさと不安が残る。


フィリップ様は王族でなくなっても、王子にしか見えない程優雅な方だ。

帝国の首都から要職についてほしいと、スカウトが来るほど優秀でもある。

しかし、そんな完璧な彼の唯一の欠点が女の趣味だ。

魅了の力がなくなった後、彼が私のことを出会った頃からずっと好きだったと言ったことに驚愕した。


彼が見てきた私は、初対面で王族の彼の善意を断り無礼にも横を足早に素通り過ぎるほど不躾な行動をした。

彼にときめくと同時に、彼の純真さに自分の魅了の力がいつ彼に襲い掛かり彼を壊すかに恐怖していた私はまともな行動を彼の前では取れていない。

挙動不審な行動を繰り返し、騎士資格もないのに騎士の誓いをたてたり、初めてのダンスでは足を踏みまくった。

彼くらい完璧だと、欠点のある人間を支えてあげたいと思ったりするのだろうか。

8歳も年上の遊び人の兄に無理やり婚約者にされた私を守らなければならないという使命感が、恋愛感情に変わってしまったのかも知れない。


彼は来年には帝国の首都で要職につく。

できれば、行政部に配属してもらってサム領の予算をしっかり確保してほしい。

彼は天界の王子様の後継者になれるくらいの逸材だ。

貴族令嬢たちが蟻のように彼に群がる未来しか見えない。


しかし、彼の女の趣味の悪さを考えると、不躾でしょうもない女に引っかかる確率が高い。

女性により、どのような優秀な方でも身を滅ぼすと忠告したがイマイチ危機感がなさそうだ。


彼を預けられるのは、誰より優しく思いやりの心を持ち彼に気がある男性のハンスのみだ。

フィリップ様の性別を超えた美しさによりハンスの心を得ることは成功している。

あとは、フィリップ様から男色の気を引き出せれば2人は帝国の首都で支え合いながら幸せになれるだろう。


「エレノア。」

隣にいるレイモンドが掠れた声で、私を愛おしそうに見つめてくる。

私は彼の美しい海色の瞳を見つめ返した。

そこには、見た事もないほど魅惑的な私の姿が映っている。

私は最初の4年こそ、周囲の女性に不誠実だという言葉に引っ張られて彼を受け入れられなかった。


しかし、彼に言われた貞節を重んじるサム国で2人の王子を唆しているという言葉に私は自分を顧みた。

私はレイモンドとフィリップ様を唆したつもりはなかったが、2人の男に同時に惹かれる不埒な女だった。

そのことに気がついた時、女性に不誠実だという烙印を押されているレイモンドの遊び方を振り返った。


未婚の彼が3ヶ月おきくらいに美しい貴族令嬢と遊んでいるだけではないか。

私の父親なんて5人の妻がいて3人の情婦までいる。

その上、若いメイドが入ってきたらすぐに手を出し使い捨てる。


そのメイドの中の一人が私の母だったが、母は妊婦に毒を飲ませる趣味のあるカルマン公爵夫人の魔の手から逃げ私を出産した。

私の紫陽花色の髪は母から受け継いだものだ、この髪を見るたびに私は母が私がお腹にいる間必死に守ったことに胸が熱くなった。

私が皇族の欲しがる紫色の瞳をした子だったため正妻の子として育てるため、邪魔になった母は殺された。


母は私を守ってくれたヒーローだ、だから私は他人に期待できない人間だが自分の未来だけは諦めたくなかった。

母が守ってくれたこの命は大切にするし、私は母のように自分が大切にしたいと思ったものはどんな手を使っても守り抜く。


招待客の間を彼の腕にしがみつきながら歩く。

私は彼を愛おしく思い囁いた。



「髪を撫でて、レイモンド。」

私を愛おしそうに見つめながら、彼は言われた通りにベールから覗く私の髪を撫でてくる。


一夫一妻制で婚前交渉など絶対許されないサム国で、女性に不誠実だと言われるレイモンドも私の知る帝国の首都の高位貴族よりずっと誠実だった。

私の父だけではない、帝国の高位貴族は妻も複数いて情婦もいるのが普通だ。

それでも遊びたらず、仮面をして地下の秘密倶楽部に社交と称して通っていたりさえする。


王族という地位を持っていながら、上品な貴族令嬢複数人と未婚のうちに関係を持っただけで遊んだ気になっているレイモンドが愛おしくてたまらない。

そのような彼が、私が女性関係を切るように言えば言うことを聞き、私に惚れ込んでいるのだ。

このような男を手放せるはずもない、私は彼が愛おしくて仕方ない。


私には、レイモンドのような飛び抜けた知力も、ハンスのような剣術の技術も、フィリップ様のような性別を超えた美しさもない。

私にあるのは母が私に授けてくれた大切なものを守り抜くために強くなれる心と、自分の経験を最大限に活かして生き延びる強かさだ。


列席者の中に今まで見たことないくらい、顔を赤くして私を心配そうに見つめるフィリップ様がいた。

まだ、彼は女性に不誠実な兄に目をつけられた守ってあげなければならない私に未練がありそうだ。

17年も世界一裕福と言われる国で誰からも愛されてきた王子様だった彼に、守ってもらわねばならない私など存在しない。

そんな存在しない私を想う時間があったら、私を幸せにしてくれた旧サム国の民のために時間を費やして欲しい。


ヘビのような帝国の貴族令嬢に引っかかる前に、女性への恐怖心を植え付け男色の気を引き出した方が良さそうだ。

そうすれば安全で善良なハンスと心を通わせることができる。


私はフィリップ様の横を通りすぎる瞬間、思いっきりレイモンドに擦り寄り彼を見つめ魅惑的に囁いた。


「愛しているわ。レイモンド、あなたが愛おしくておかしくなりそう」

きっと私の囁きが聞こえただろうフィリップ様は、自分を好きなように見えたが私が兄にも好意を見せていたと思うだろう。


ゆっくりとフィリップ様の顔を流し見ると、いつも優雅で余裕に見えた彼の表情がショックで固まっていた。















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