第八話 獅子身中の虫
武田晴信の治水工事で、最も重要な部分が完了する。
京都にいる天皇すら驚かせた
それからしばらく経ち、大雨の季節となった。
数日間大雨が続いたために
特に御勅使川を流れる水の勢いは激しく、たちまち鉄砲水となって釜無川へと襲い掛かった。
「やはり……
あの川には、神が宿っていたのか。
人ごときが
ああ、全て飲み込まれてしまう……
これは神の
何もかもお
避難先の高台から見ていた人々が
ついに、
誰もが川の
ところが!
新しい堤防はビクともしない。
神が宿っていると言う暴れ川でさえ、新しい堤防にはかすり傷一つ与えられなかったのだ!
暴れ川を相手に立ち
人々は歓喜の声を上げた。
「何と見事な!
あの暴れ川を止めてしまうとは!
これは奇跡なのか?」
そして人々の熱い視線は、この偉業を成し遂げた晴信へと向かう。
「晴信様こそ、この国の……
いや!
我らの
人々は熱狂し、晴信に対して手を合わせて
◇
六品の土地は治水工事によって新しい
彼らは晴信が代わりに与えた土地に引っ越したが、毎日のように遊び暮らしていた。
晴信の弱みに付け込み、保障を理由に莫大なお金を
およそ1年ほど前。
ある者が、六品の土地にやってきた。
その者はこう尋ねた。
「わずかな銭[お金]で立ち退きに応じたと聞いたが、
一人の男が返答する。
「
納得はしておらんがな」
「それならば……
立ち退きを拒否されては
「拒否?
そんなことをすれば罰せられるぞ」
「いや。
立ち退きを拒否しても、罰せられることはないだろう」
これには周囲にいた者たちも驚く。
「それは
「今回の治水工事で犠牲になるのが、おぬしたちだけではないからじゃ。
他にも『大勢』いる」
「他にも大勢?
晴信様は何も
「都合の良い話だけしか教えなかったのだろう」
「我らを
それで……
他の者たちはどれくらいの銭[お金]をもらっている?」
「おぬしたちより、もっと多く」
「何っ!?
我らだけ損しているではないか!」
「いい儲け話がある。
一転して、立ち退きを拒否されよ。
もっと多くの銭[お金]を要求なさるが良い。
わしは……
他の者たちと連携して、一斉に拒否するように仕向けさせよう」
「連携して一斉に拒否すれば……
晴信も全員を罰することはできないと?」
「そういうことじゃ」
「それで……
どれくらいの銭[お金]を要求できるので?」
「これくらいは要求できよう。
どうじゃ?」
周囲にいた者たちの目の色が変わる。
元々から、強欲な者たちだったのだろうか。
「そんなにも!?
これなら、一生遊んで暮らせるぞ!」
「ただし。
一つだけ条件がある。
手数料として、わしが半分を貰い受けたい。
危ない橋を渡らねばならぬゆえな」
「半分も!?
半分取られても十分に遊べるが……
それよりも、必ず銭[お金]を取れると約束できるのか?」
「これを見られよ。
さる
差し出されたのは……
武田家の有力な家臣からの手紙であった。
「内容はこうじゃ。
『この治水工事は、晴信が勝手にやり出したこと。
家臣たちは誰も賛成などしていない。
銭[お金]をふっかけよ。
味方のいない晴信一人に、一体何ができるというのか』
とな」
「なるほど……」
「それで、どうされる?
銭[お金]を得る『機会』をみすみす逃すおつもりか?」
「逃してたまるか!
我らはやるぞ!
何をやればいい?」
六品の土地にいた民のほとんどは、こうして誘導された。
◇
「
これはプロパガンダの
プロパガンダに操られた人々は皆、自分が操られたなどとは夢にも思っていない。
自分の自由意思で決めたと信じ込んでいる。
これは当然のことだ。
相手にプロパガンダだと気付かせないことが、一流のプロパガンダなのだから。
プロパガンダを
今この瞬間もあなたの身近に存在し、一見すると関係ないメディアやインフルエンサーを利用し、巧みにあなたを操ろうとしている。
◇
人々が晴信に熱狂してから、数日後。
六品の土地にいた民が住む武田家の
金目の物が多く奪われ、大勢の人が斬殺された。
駆け付けた武田家の役人たちも、あまりの
役人たちの捜査で犯人はすぐに見付かった。
事件が起こった場所から比較的近い山を拠点とする
潜伏していた忍びが、奪われた金目の物を見付けたからだ。
これで証拠は
被害があった場所に、
犯人とその証拠が書かれていた。
◇
その夜。
「弟よ。
今夜にも1,000人の軍勢を率い、犯人どもを一人残らず始末して欲しい」
晴信である。
武田家で随一の知恵者である
「これは『自作自演』でござろう」
「そなたに嘘は通じぬか」
「六品の土地にいた民への恨み、それを
これほどまでに深かったと?」
兄は真顔で答える。
「わしは純粋に国を、民を
このわしから……
奴らは銭[お金]を
『正義』とは何たるかを世に示さねばならん」
「兄上!
純粋であれば、正義があれば、大勢の人を虐殺しても構わないと申されるのか!」
「国を、民を守るためには……
どんなに汚い手段を用いても『
「……」
「弟よ。
これは、支配者たる者の『使命』であるぞ」
これは、
駆除しなければ、獅子そのものが死ぬ。
◇
信繁は迷っていた。
犯人に仕立て上げた行商人集団は、『評判』が悪いことで有名であった。
様々な方法で弱い人を
殺人こそ犯したことはないが、悪徳な集団として人々の憎悪を一身に買っている。
以前から問題視していたが、一度も裁くことはできなかった。
この集団の拠点が、武田家の直轄地ではない場所にあるからだ。
現代に例えると、外国に拠点を置いて犯罪行為を行っている詐欺集団のようなものだろう。
法の網を
これを一人残らず
『見せしめ』として、この種の悪徳行為への大きな抑止効果となる。
悪を絶対に許さない姿勢を明確にでき、人々からの支持は高まるに違いない。
冷徹に計算すれば『利点[メリット]』の多いやり方だ。
それでも、信繁の良心は激しく抵抗していた。
自然と言葉に出てしまった。
「あんなに大勢の人を虐殺するなど……
人として間違っているのでは?」
弟の抵抗は、兄の想定内だったようだ。
「そなたはこう申していたではないか。
『絶対的な権力者を目指せば……
それを阻もうとする大勢の者の血が流れることになる』
と」
「……」
「弟よ。
そなたの見事な指揮ならば、悪徳な集団を一人残らず
頼む。
力を貸して欲しい」
◇
「人を
ついに凶悪化したか。
一人残らず死んでしまえ」
高札を読んだ人々は皆、こう言った。
「
こう言った人は、誰一人としていなかった。
その夜。
討伐は決行された。
「ときは来た。
一人残らず成敗せよ。
これは、正義の戦いぞ!」
誰一人といえども逃げ出せなかった。
翌朝。
討伐が完了したことを知った人々は、晴信の英断を褒め称えた。
自分の領地に勝手に立ち入られた領主も、これを見て沈黙を余儀なくされた。
【次話予告 第九話 国を一つに】
一連の出来事は思わぬ副産物を生みます。
保障を理由に銭[お金]を掠め取った者たちが、恐怖に震え上がりました。
見せしめの効果は絶大であり、『国を一つに』していくのです。
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