第13話 黒髪の少年
城下観光から帰宅した夜のこと。
月明かりが差し込んで、ほのかに輝いて見える銀木犀の大木を眺めながら、わたしは昼間の楽しかった記憶を思い返していた。
あんなふうに自由に大通りを歩いたり、目についた素敵なものを買ったり、ルキアン様やクローブさんと笑い合ったり。なんて素敵な時間だったのだろう。
キラ皇国では味わえなかった幸福を、わたしは確かに経験したのだ。
わたしはルキアン様に買っていただいた龍の飴細工と、紅い宝玉の付いた簪を書机に並べてみる。
どちらもとても美しくて、食べ物にしろ工芸品にしろ、ルェイン大帝国の文化の高さを感じさせられる。
それからもう一つ、最後に買った小さな瓶入りの砂糖菓子を書机の上に取り出す。
お店の幟に書かれていた謳い文句が気になって、つい買ってみてしまったが。少々ミーハーだったかもしれない。
ルキアン様からいただいた飴細工は、もっと頑張った日のご褒美にいただくとして。この小瓶の砂糖菓子はいつ食べようかしら……。
手の中で小瓶を揺らし、中でコロコロと転がる砂糖菓子を眺めていると。銀木犀の大木の方から、地面を踏みしめる足音が聞こえてきた。
それはとても微かな足音で、昼間だったら聞こえないくらいの音量だった。
けれどすでに宮の中にいる住人たちは寝静まっていて、起きているのはわたしだけだったのでよく聞きとることが出来た。
水晶硝子の大きな窓からそっと中庭を覗くと、あの黒髪の少年が銀木犀の根元に立っていた。
少年は銀木犀の幹に触れて、大きく枝を広げる銀木犀を下から見上げている。
「あ、あのっ、こんばんはっ」
わたしは窓を開けて、縁側の下に置いてある靴に足を突っ込み、慌てて彼に声を掛けた。
わたしはどうしてもこの不思議な黒髪の少年のことが気になって仕方がなかった。
それはルキアン様に向けるような温かくて幸せでいっぱいになるような感情ではなくて、怖いとか、緊張するとか、焦燥感にも似た感情だった。
「……なんだ。またお前か。お前の目は一体なんなのだ……」
黒髪の少年の顔は、やっぱりルキアン様の端正なお顔立ちに似ていた。
けれど、わたしを睨みつけるその紅い瞳はルキアン様の瞳とは全く違って、ひどく冷たかった。
「あのっ、たいへん申し訳ありませんが、あなた様のお名前を教えていただいてもよろしいでしょうか? ここは皇太子ルキアン様がお住まいになる『銀木犀の宮』です。御用があるのなら、きちんと玄関からいらしてください。そうではないのでしたら……、部外者の方は」
「私は部外者などではない。だが、皇太子になんぞ用はない」
皇后様は現在の皇族の中には、ルキアン様の他に紅い瞳の方はいないとおっしゃっていた。だから、この黒髪の少年は皇族ではないのだろう。
けれど、ここまで堂々と部外者ではないと宣言するのなら、この少年は皇族ではなくても、皇女が降嫁した高位貴族の家柄の方とかなのかもしれない。
それでもやはり、この宮の部外者であることに変わりはないと思うのだけれど……。
どうにか穏便にお引き取りを願わなければ。
そう考えた途端、両手に握ったままだった砂糖菓子入りの小瓶がカランコロンと音を立てた。
黒髪の少年が眉を顰める。
「……なんだ、それは」
「えっと、……今、都で一番流行りの砂糖菓子、だそうです」
以前この銀木犀の根元に腰を下ろして、ロドリーさんからいただいた砂糖菓子を食べていた時に、この少年から「そんなもの、子供向けの駄菓子だろ」と言われてしまった。
そのことが自分の中で妙に引っ掛かっていたらしく、市場の中で『都で一番流行りの、あの砂糖菓子のお店!』という幟を見てしまったら、足が止まってしまった。
子供向けの駄菓子と言われるものであれほど美味しいのなら、ルェイン大帝国で一番流行の砂糖菓子というものは一体どれほど凄いものなのだろうと思い、購入してしまったのだ。
「ふぅん」
黒髪の少年は片手を出し、端的に言った。
「私に寄越せ。今夜はその菓子だけで帰ってやろう」
「えっ……」
帰ってもらえるのはありがたいが、まだ一つも食べていない流行の砂糖菓子を寄越せと言われると、躊躇ってしまう。
黒髪の少年は他人に命令し慣れている様子で、「早くしろ」と手を振る。
「……わたし、買ったばかりでまだ一つも食べていないんです」
「また買いに行けばいいだろ」
「次にいつ、買い物に行けるのか分かりません。あの、お店の場所をお教えしましょうか……? そうすれば、あなたもいくらでも買いに行けると思いますよ」
「私は白銀城の外へは出ることが出来ん」
「そうなのですか? では、誰かに命じて……」
「だから貴様に命じているんだ」
白銀城住まいの高位貴族の方なのかな、と思いつつ話していると、少年は苛立たし気に自分の前髪をぐしゃぐしゃと掻いた。
「~~~……分かった! 半分はお前にやる! だから残りの半分は私に寄越せ!」
「本当ですか!? ありがとうございます!」
本当は全部わたしのものだったはずなのだけれど、全部はカツアゲされなかった喜びで、わたしは少年にお礼を言っていた。
というわけで自分の分の砂糖菓子を紙に包み、小瓶に入った残りの半分を黒髪の少年に渡す。
「これはどういった菓子なんだ?」
小瓶を振って中身を凝視している少年に、わたしは答える。
「『変化玉』という砂糖菓子だそうです。柑橘や葡萄や林檎や薄荷など、いろんな味の砂糖の層があって、食べ進めていくうちにどんどん味が変化するみたいです」
「なんともハイカラな菓子だな……」
黒髪の少年はそう言うと、小瓶を持ったまま銀木犀の中庭から立ち去っていった。
今回も少年の名前も素性も知ることが出来なかったなと、わたしはぼんやりと思った。
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