呪われた銀龍皇子の愛しの逆鱗妃 ~大好きなあなたに幸せになってほしいので、呪いを解いて離縁しましょう!~

三日月さんかく

第1章

第1話 異界の門の先



「さぁ、ここが異界への入口だ」


 ここまで連れて来てくれた護衛の騎士が、固い声でそう言った。

 騎士の声には異界に対する恐怖や、わたしに対する嫌悪感と畏れ、そしてこの儀式に対する緊張感が複雑に混ざり合っているように聞こえた。少なくとも普通の十三歳の少女に向けて出す声ではないだろう。


「この先の道をまっすぐに進み、その身を神様に捧げてくるのが貴殿の役目だ、シェリ・オルセン嬢」

「オルセン家からはすでに縁を切られております。ただのシェリとお呼びください、騎士様」


 キラ皇国でも古くからの名家であるオルセン家から追い出されたのは、もう六年も前のことだ。


 わたしの体は生まれた時から、他の人たちとは違っていた。

 鎖骨と胸のちょうど間くらいに、紅い宝石を宿していたのだ。

 この紅い宝石が一体何なのか知るために、両親は医者や賢者や、その他いろんな知識を持つ者たちを家に呼んでわたしを見せたが、誰も答えを知る者はいなかった。


 わたしが体にただ綺麗な宝石を宿しただけのお嬢様だったら、両親はここまで深く悩みはしなかったかもしれない。

「高級なペンダントを買い与える必要のない娘」だと、愛し気にわたしに微笑みかけてくれたかもしれない。


 けれど二歳の頃に、この体の更なる異常性が露見された。

 ある日、侍女が誤って赤子のわたしの体に熱湯を掛けてしまったのだが、本来なら火傷で腫れあがるはずの肌になんの痕跡も残らなかったのだ。


 それからもわたしは怪我をする度に一瞬で完治する、ということを繰り返した。

 転んで血が出てもすぐに怪我が治るので、幼いわたしは自分の体のことを不思議に思いながらも、痛みを感じる時間が短く済んで幸運だなぁ、と思っていた。

 風邪などの軽い病気になったことさえなかった。

 痛いのや苦しいのは嫌だもの。怪我はすぐに治ることに超したことはない。小さな頃からずっとそう思っている。


 けれど両親はずっとわたしの体の異常性に疑問を抱え、悩み、不安を抱え続けることに、心がもたなかった。

 シェリ・オルセンは『神からの祝福を与えられた娘』なのか、それとも『おぞましい不死の化物』なのか。

 両親は答えの出ぬ問題に苦しんだ。

 そして答えがどちらであっても、両親にとってわたしは畏れの対象であった。


 最終的に両親は、わたしの体の異常性を陛下に話し、判断を仰ぐことにした。

 陛下は「吉兆なのか凶兆なのか判断できるまで、娘を修道院に置くように」と、シェリ・オルセンという問題を宙ぶらりんにすることにした。


 その際にわたしはオルセン家から籍を抜き、修道院で暮らすことになった。七歳の頃のことである。

 その頃にはすでに両親の間には二人目の子供が生まれていた。わたしのように奇妙な宝石など持たない、ごく普通で、とても愛らしい妹だった。

 両親はようやく手に入れることの出来た『本当の愛の証』である妹を、猫可愛がりしていた。わたしという一人目の子供から目を反らしたい、という気持ちが拍車を掛けていたようにも思える。


 仕方がないよね。

 誰だって、一緒にいて怖い相手なんかと暮らし続けることは出来ないもの。

 それが血の繋がった相手であっても。

 お腹の中にいた頃に、どれほど愛しく思った相手でも。


「今日まで育ててくださり、ありがとうございました。どうかいつまでもお元気で、お母様、お父様」


 こんなに両親をいっぱい悩ませて苦しませた娘のわたしに出来ることは、感謝の心で離れることだけだった。

 別れ際も両親は妹のことばかり見ていたけれど、わたしが立ち去る際に、

「ごめんなさい、シェリ。わたくしたちはあなたが怖いのよ」

「すまない、シェリ。許しておくれ……」

 という小さな声を聞いたような気がする。


 わたしが身を置くことになった修道院は、さいわい、わたしのことを『神から祝福を与えられた娘』として扱ってくださったので、特に悲しい思いをすることはなく十三歳まで平穏に生活することが出来た。


 だが、そんな生活も数日前に終わってしまった。





「修道女見習いシェリよ、登城命令が出ている。ご同行を願う」


 王都からいくつかの村を超えた辺りにある修道院で暮らしていたわたしのもとへ、皇城から迎えの馬車がやって来て、使者がそう告げた。

 わたしを呼び出したのは陛下であった。

 ついにこの身の処遇が決まるのだと覚悟し、わたしは皇城へと向かった。


 秘密裏に通された皇城の奥の部屋にはすでに陛下がおり、そのほかにも数人の役人がいた。


 陛下は静かな眼差しでわたしを見つめ、こう言った。


「そなたを『神の花嫁』とすることが決定した。異論は許さぬ」


『神の花嫁』とは、その名の通りのお役目だ。


 キラ皇国には古くから、飢餓や疫病や災害などが起こった時にだけ行われる神事がある。通称『神様へのお輿入れ』だ。

 キラ皇国の奥地には人々が超えることの出来ない巨大な山脈が連なっており、その山の入り口に『異界の門』と呼ばれるトンネルが存在する。誰が何のために作ったのかも分からないトンネルで、その先は異界におられる神々の世界に通じていると昔から言い伝えられていた。

 その『異界の門』から神様に一人の乙女を捧げることにより、これ以上の災厄がこの国に降りかからぬよう、取り計らっていただくのだ。


 キラ皇国はこの二月ものあいだ日照りが続き、まとまった雨が降っていなかった。

 川が干上がり魚が死に、草が枯れて、木々の葉がどんどん落ちていく。穀物や野菜が育たず、家畜のえさや水に困り、水を確保できない貧困層からどんどん死者が出ていた。

 修道女見習いとして近くの村々へ保存食を配ったり、それこそ何人もの葬儀を手伝ったので、そのひどい状況は理解していた。このまま雨が降らなければ、秋の収穫は悲惨な結果となり、さらに多くの人々が冬を越せないだろう。

 陛下はこの現状を憂い、五十年ぶりの神事『神様へのお輿入れ』を行うことを決定したのだ。


「修道女見習いシェリよ、決して忘れてはいけない。今日までそなたを生かしておいた余の温情を。キラ皇国を怨んではならない。安らかな心で、神様にキラ皇国の豊穣を頼んで来るのだ」

「はい、陛下」


 陛下は誰を神に捧げるか、迷うことはなかったのだろう。

 由緒正しい名家の血が流れているが、縁はすでに切られ、修道院で信仰心を植え付けられながら暮らし、神の祝福が与えられたとしか言いようのない異常な体の持つ十三歳の生娘が、まるで運命から名指しされたように国に存在していたのだから。

 もしその娘の存在自体が凶兆であるのならば、これさいわいと国から抹消することが出来る。一石二鳥の機会であった。


 わたしが神様の花嫁に選ばれたのは、そういった理由だったのである。





 その後わたしは数日間皇城に留まり、『神の花嫁』となるためのいくつかの儀式を受けた。

 そして侍女たちに磨き上げられ、用意されていた美しい花嫁衣装を着せられ、騎士によって『異界の門』がある森へと連れてこられた。


「では、これからのキラ皇国に明るい希望の光が差し込むことを心から祈っております。ここまでの護衛、ありがとうございました」


 修道院で覚えた祈りのポーズを取ってから、わたしはここまで護衛してくれた騎士にお辞儀をする。

 そしてわたしは『異界の門』へと向き直る。


 門は、大きさを揃えて切り出した長方形の石を組み立てて出来ていた。キラ皇国にこういったトンネルは他にない。

 古代人が作ったのか、それとも異界の住人たちが作ったのだろうか。

 わたしは尋ねても誰も答えを出せないようなことを考えながら、『異界の門』へと足を踏み入れる。


 わたしはもうすでに死ぬ覚悟が出来ている。

 神様の花嫁だなんて綺麗な言葉を使っても、これが生贄であることは最初から分かっていた。


 いままで両親を苦しめるばかりで、なんの役にも立たなかったわたしが国のために役立ち、神様のお食事になれる。そう思えば悲しくない。

 ……私は特殊な体だけれど、神様はちゃんと食べてくださるだろうか。それだけはちょっと不安だった。





 『異界の門』を通れば神の世界に辿り着くと言われているが、本当の所、どうなっているのかは誰も知らない。トンネルの先に行った花嫁が帰ってきたという話は聞かないからだ。キラ皇国の賢者の中には「門の途中で次元が歪んでいると思われる」という仮説を立てている人もいるそうだ。


 この先は神の世界かもしれないし、化物の住まう地の国に通じているのかもしれない。


 わたしは意外と明るいトンネルを歩きながら、ずいぶんと静かな気持ちになっていた。

 もうどれくらい歩いたのか、時間の経過が分からない。数時間な気もするし、数日歩き続けているような気もする。

 トンネルの中にはいつの間にか、黄葉したイチョウの葉がたくさん落ちていて、その葉っぱが何故か発光している。

 これは異界から流れ込んだイチョウなのだろうかと、一枚拾ってみる。


「きれいね」


 わたしは呟き、イチョウの葉を髪に差し込んだ。

 わたしの水色の髪は、皇城の侍女たちに手入れをしてもらったため、普段よりもずっとツルツルだ。肌もクリームを揉みこまれてふっくらとしていて、自分のものじゃないみたいだ。


 花嫁衣装もびっくりするほど豪華だ。

 皇室御用達の上質な絹に、一流の刺繍職人が人針人針刺した花の刺繍。わたしの胸元の紅い宝石の上を柔らかなレースで隠すデザインで、縫い付けられた大小さまざまな宝石もすべて皇室が所有している鉱山から採掘された高級品だ。

 十三歳のわたしには少々どころか大きすぎる衣装だったのでサイズは慌てて詰めたけれど、縫い目がきれいに隠れている。

 まるでわたしのための花嫁衣装に見えたが、これは神様のための花嫁衣装だ。わたしを喰らったあとで再利用できる包装紙のようなもの。


 でも、自分のための装いではなくても、綺麗な花嫁衣装を着られることは嬉しかった。


「来世では自分のためだけに花嫁衣装を選べたら、嬉しいわ。そのためには花婿さんがいなければならないのだけれど。なら、素敵な人と出会って恋をすることも必要ね。素敵な人に好かれるには、素敵なわたしになることも必須だわ。どうしたら素敵な人になれるのかしら? ……すごい、来世にはやることが盛りだくさんだわ」


 来世ではわたしも、女の子の楽しさを十全に味わいたいものだ。

 そんな素敵な来世計画を立てつつ歩き続けていると、トンネルの終わりが見えてきた。

 光に満ち溢れた出口と、外の心地良い風を感じる。


 異界の門をくぐり抜けた先にあったのは、巨大なイチョウの古木と、敷き詰められたイチョウの葉っぱが光り輝く、黄色い庭だった。


「わぁ……、ここもきれい」


 庭は大きな円形で、その周囲を長方形の石を組み上げて作った壁で覆われている。トンネルと同じ材質だ。

 壁は苔むしていて寂しい雰囲気だったけれど、中央に植えられたイチョウの巨木は立派だった。首が痛くなりそうなほどのけぞらして上を見たが、イチョウの木の天辺は見えない。まるで天まで届くほど大きい。


「ここで死ぬのなら、悪くないかもしれないわ」


 神様とやらはまだ見当たらないけれど、そのうちやって来て、わたしをガブリと食べてくれるのかもしれない。


 最後にだれかの役に立つことが出来て、その上こんなに美しい景色を見られたのだから。あとは来世に期待しよう。


「なんだ、お前。なんで白銀城の庭に勝手に入って来た挙句、自殺しそうな雰囲気醸し出してるんだ?」


 突然、どこからか少年の声が聞こえてきた。

 神様がいらっしゃったのだろうか。意外とお若そうだ。


「俺はここだぜ」


 イチョウの古木の真ん中に大きなうろがあり、そこから布製の靴を履いた足が出てきた。見たこともない程美しい生地で作られた空色のズボンのようなものは、生地がたっぷりと使われていて、ゆったりとしたシルエットをしている。

 次に真っ白くて丈の長い上衣が現れて、最後に銀色の長い髪を三つ編みにした少年の顔が見えた。鼻筋が高くて、とっても端正な顔立ちだ。背は高いけれど、年齢はわたしとあまり変わらないくらいに見えた。


 少年の瞳は柘榴のように紅く、美味しそうだなと、わたしは思った。


 思った瞬間にわたしのお腹が、ぐるぐるぐぅぅぅぅ~! と鳴った。


「なに、お前。腹が減ってんのか?」


  少しだけ言い訳をさせていただくと、この時わたしは「神の花嫁になるために穢れを落とす」という理由で絶食を言い渡され、三日ほど食事を取っていなかった。その後、時間の感覚が分からなくなるほどトンネルの中を歩き続けたのだ。

 だから仕方がなかったと思うのだが、この御方は後年、出会った時のことを何度も思い出しては「腹ぺこシェリの腹の音がすごくて、雷かと思った」と語ったのだった。


 わたしは頷くか迷ったが、隠しようもない事実だったので頷いた。


「『下界の門』から人間が来るだなんて、どれくらいぶりだろうな? まぁ今回も『神様へのお輿入れ』とか愚かなことを言って、父上に生贄を寄越してきたんだろ。無駄なことをするなぁ」


 少年はそう言いながら、黄色く光るイチョウの地面をサクサクと渡って、わたしの目の前までやって来た。


「けれど俺が先にお前を見つけた。俺にだって下界の人間の一人くらい、飼う機会があってもいいだろう」


 そう言って、少年がわたしの顎をグイっと片手で掴む。彼の顔を近付くで見ると、長いまつ毛の先まで銀色だった。


「よし、決めた。人間よ、お前は俺が飼ってやる!」

「……か、飼うということは、わたしは食べられずに済むということですか? あなた様に生かされると?」

「俺に忠実であればな」


 少年は楽しそうに笑った。

 まさかこんな展開に辿り着くとは思いもしなかったわたしは、とても戸惑った。


「俺の名はルキアン。ルェイン大帝国の銀龍族、皇太子ルキアンだ。お前の名はなんと言うんだ、人間よ?」

「シェリ、です」

「そうか。シェリか。きれいな響きだな」


 こうしてわたしは神様ではなく、わたしを飼ってくださるご主人様・ルキアン様と出会ったのだった。

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