第2話 理想の男性はお父様

 目が覚めると、私はまったく見たこともない部屋にいた。ここは明らかに私のマンションではないし病院でもない。窓際には豪華絢爛なカーテンが優雅に揺れており、陽光がそこから差し込み、優しい光が部屋中を明るく照らしていた。天井からは壮麗なシャンデリアが垂れ下がり、たくさんのクリスタルが虹のように七色に輝いている。


 部屋には上質な家具が置かれ、自分が寝かされているベッドも天蓋付きのもので、繊細な刺繍が施された寝具は肌触りが滑らかだった。部屋の隅に備え付けられた棚にはおもちゃや絵本が並べられ、部屋の壁には細部に至るまで丹念に描かれた、金髪で緑の目の愛らしい赤ちゃんの肖像画が飾られていた。後から気づいたのだが、この肖像画は私だった。


 私のマンションの部屋は現代的でスタイリッシュ。モノトーンで統一されたオシャレな空間だったけれど、こちらは中世ヨーロッパ風な世界でまるで貴族の部屋だった。

「あー! うー! ばぶぅーー」

 ここはどこ? そう言ったつもりなのに赤ちゃんのような声しかでない。おまけに自力で起き上がることもできなかった。寝返りすら満足にできない自分の手を見れば、紅葉のように小さかった。


 え? ちょっと待って。なんでこんなに私の手が小さいのよ? トラックに轢かれたはずなのに少しも身体は痛くない。ただ、なにやらお尻が生暖かくて妙に気持ち悪かった。


「あらあら、エメラルドお嬢様。オムツが濡れておりますわね。今すぐ取り替えて差し上げますので、少々お待ちくださいませ」

 40代ぐらいに見える女性の声が頭上から聞こえてくる。この人、どうやらずっと部屋の隅で私のことを観察していたらしい。


 33歳の私がオムツ? 先生と呼ばれバイトも含めたら20人も部下がいる、この私がオムツをしているの? 


 理解が追いつかないけれどこの手の小ささといい、コロンと仰向きにされパンツを脱がされて持ち上げられた足の短かさといい、このむっちりとした肌の張りといい、まぎれもなく赤ちゃんそのものだった。


 私、赤ちゃんになっている! 33歳から赤ちゃんに変身しているのはなぜ? なんの冗談なの?


 どうやら私はアドリオン男爵令嬢として生まれ変わったようだ。そう気づくのに1週間ほどかかった。毎朝、目覚めるたびに、最初に見た女性が私に声をかける。彼女はナニーのバイリーで私の専属らしい。

 お母様は金髪で緑の瞳の、目が覚めるような美人で、お父様は広い肩幅と筋肉の塊のような腕を持ち、まるで溶岩をも揺るがすほどの力強さがあった。お母様と私をとても大事にしているお父様の笑い声は豪快で、それを嬉しそうに見つめるお母様はお父様が大好きだ。

 家族仲が良い愛に溢れた大富豪の家の一人娘に生まれた私は、この人生では既にほぼ勝ち組といえる。人生半ばであのような生涯を閉じた私に、きっと神様は償ってくださったのかもしれない。


 アドリオン男爵領は昔から染め物に特化した地域だった。特に鮮やかな赤色を追求することで知られており、染料には『紅花』という花を丁寧に乾燥させ、細かく砕いたものを用いていた。

 お父様は長男だったけれど、若い頃は爵位や権力に興味がなかったらしい。次期アドリオン男爵なのに冒険者に憧れ、両親の反対を押し切って各地を旅して歩いたのですって。その当時は魔物が全国に出没しており、それを討伐して領主達から多額の報酬金を受け取ったそうだ。最強のSS級冒険者だったお父様は莫大なお金を手に入れ、さらには魔石もたくさん収集したのよ。


 お父様の武勇伝によれば、一部の魔物は死ぬと魔石に姿を変える者もいて、お父様が冒険した特定の地域や遺跡、洞窟などには魔石がごろごろと転がっていたらしい。危険地帯にしかない魔石はとても高価だ。その力は自然界のエネルギーの影響や発見場所によってさまざまな奇跡を起こす。お父様は旅の終わりに魔法鉱石が採掘できる鉱山まで発見し、この魔法鉱石に特定の魔力を封じ込める魔道具まで開発してしまった。ちなみに魔法鉱石というのは魔石の原石のことだ。


 つまり私のお父様は大金持ちの実業家である、元SS級冒険者のアドリオン男爵なのだった。厳然たる顔立ちに鍛え上げられた筋肉を持つお父様は私の理想の男性よ。特に前世で美形だった刀夢トムの裏切りにトラウマを抱えた私は、シュッとしたイケメンが苦手になった。顔が良い男とは絶対結婚したくない。

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