第100話 碌でもない

「ンンッ、幾星霜を経て眠りから覚めしこの身、あやうく瑣末さまつなる者の餌となり果てるところ、主らの尽力にて再び命の灯を灯すこと叶うた次第。しからば、望みの褒美を述べるがよい」

「…………」

リトが、無言で私の方を見た。ものすごく、不審な顔をしている。

「りゅー、何もちてない」

「じゃあ、何なんだよ、この珍妙な生き物は」

何って、カエルじゃないだろうか。75%カエル。

首を傾げていると、リトは長い指でピッと池の方を指した。

「元の場所に戻してきなさい」


かわいいのに。ちょっとむくれつつ踵を返すと、カエルが跳び上がってあたふたし始める。

「え、ちょ?! 浅学な生き物には言葉が通じないってワケ?!」

「言葉、ちゅうじてる」

「何、何なのこの普通に会話してる感じ。我、珍しくない? 目ん玉ひん向いてひっくり返って泡を吹くレベルじゃない?!」

不思議だ。身体の構造が全然違うだろうに、こうも流暢に話せるなんて。

「かえる、めじゅらしい?」

「カエルじゃないじゃん?! 見てよこの羽! この尻尾! とりあえず、淡々と池に向かうのやめて?!」


「かえるなない?」

「じゃない! ンンッ、我は、ファエル! 類い希なる才と気高き――あ、お前相手じゃ無理か。あー僕ちゃん、分かる? つまり我、ファエルって名前。で、才能溢れるルミナスプなわけ」

「りゅみ……りゅみなぷしゅ」

なんと発音しにくい。舌を噛みそうだ。

「ルミナスプ。いくら僕ちゃんでも知ってるよね? 知識深き至高の一族」

重々しく頷いたファエルは、再び腕組みしてつんと顎を上げた。

「知やない」

首を振ったところで、足を止める。あまり池のほとりまで近付いて、またワニのような生き物がやってきては困る。

「え? うそ、この流れでまさか――アアーーッ?!」


ファエルを両手で持って膝を曲げ、せーので思い切り放り投げた。

ほとんど真上に近い角度でくるくる宙を舞うファエルの足が、びよんと伸びて可笑しい。

「げんきでね」

私は名残惜しくばいばい、と手を振って踵を返した。

リトに、ルミナスプについて聞いてみよう。

「――ッアアーーーッ! 根性ぉ~~!!」

と……なぜか、ブーメランのように悲鳴が引き返してきた。振り返った途端、ビタンっと顔に何かが貼り付く。

引き剥がしたファエルは、手のひらの上でひっくり返って荒い息をついていた。

「はあっ! はあっ! はっ……、こ、この、無情野郎っ! 拾ったモンは、最後までっ、責任を取れっ!! いいか、ファエルだって生きてんだからなっ!!」


「……逃がちてあげたのに」

「あのなっ! 生きていけない環境に放り出すのを、逃がすって言わないっ!」

「ふぁえる、ここにいたのに?」

「いないっ! 土から出てきて速攻食われたの!!」

冬眠していたんだろうか。それとも羽化? ルミナスプってどんな生き物なんだろう。

「それとっ! 今から我、超~重要なことを言う。耳の穴かっぽじってよく聞くがいい! いいか、我は…………泳げないっ!!」

カエル、泳げないのもいるのか……それは知らなかった。

「じゃあ、埋める?」

ちょっと浅くなるかもしれないけれど、土に埋めることならできる。

「やめてやめて! 余計な親切心発動させないで?! それなら墓は不要で一石二鳥だねとか、そんなこと言わないで?! 我、食われるのも溺死も生き埋めもイヤっっ!!」


そんなこと、言ってない。

逃がしてあげようと思ったのに、本人に拒否された場合はどうしたらいいのだろう。

「お前、さっきから何一人で騒いでやがんだ。暇なら――あん? なんだそれ」

解体を終えて調理にかかっていたラザクが、私の手元を見て眉根を寄せる。

「らざく、るみなぷしゅ知ってる?」

駆け寄ってファエルを差し出すと、息も絶え絶えのファエルがよろよろと片手を伸ばした。

「わ、我に助力せよ、しからば望みの褒美を――」

響き渡る、野太い悲鳴。

周囲の木々からはばさばさと鳥が飛び立っていった。

白目を剥いてひっくり返ったラザクを見て、ファエルの言っていたのはこのことかと納得したのだった。



「――ルミナスプ、ねえ。確かにそういう種族はいたような……? けど、こんなだっけか?」

リトは、疑り深そうな顔でファエルを見下ろした。

「気味悪ぃ! そいつをこっちに寄せるな! シッシッ!」

一方のラザクは、しゃべるカエルが嫌いらしい。その割に、ファエルの前に寄越された皿には、随分細かく刻まれた食事が並んでいた。

ファエルが何を食べるか分からなかったけど、勝手に私のお皿から盗っていったからお肉は食べられるらしい。

私が怒ってラザクの皿から盗るように言ったら、ファエル用の食事を出してくれた。


「何たる美味!かくも絶妙にして至高の味わい、我が生涯において今まさに初めて口にした次第! 誠に天の恵み、神々の賜物!」

もりもり食べているところを見るに、相当お腹が空いていたんだろう。お腹が破裂しないか心配だ。

手放しに褒められて、ラザクも満更でもなさそうな顔になっている。

「るみな……どんな種族? ふぁえるは違う?」

見上げると、リトは記憶を探るようにこめかみを揉んだ。

「結構昔の話だからな……見たことはねえよ。そもそもここらで見かけないっつうか、今存在してる種族かも怪しいんだが。確かに、トカゲだか何だかに羽の生えた妖精っぽい姿……だったとは思う。ただ、美しいって聞いたけどな」

「うちゅくしい……」

美しいの基準は今ひとつ分からないけれど、ファエルも醜くはないと思う。そしてリトの言う昔っていつだろうか。数百年前だとちょっと話が違ってくる。


「ところでゲテモノ、お前さっき褒美を渡すっつったよな? そんな力があんのか?!」

ラザク、すごいな。失神したのにそれだけは聞き取っていたのか。

「いかにも。我は誇り高きルミナスプ、望みの褒美を与えん」

「マジか! 金だ、金! 金寄越せ!」

「哀れな。我は俗物的なものを与えはしない」

「はあ?! じゃ何だよ、名誉か、力か、何ならくれるっつうんだ」

「下賎なる生き物よ。我が力はかような欲望に使うにあらず」

「野郎……! じゃ、この契約の解消を――」

額に青筋を増やしながら、ラザクが辛抱強くファエルと交渉している。


「るみなぷしゅ、そんなしゅごい種族?」

じっとりした目で静観しているリトを見上げると、大きな手が頭を撫でた。

「お前は賢いな。そんな力があるなら、ワニに食われてねえし、もっと大切に保護されてるだろうよ」

それはそう。何でも願いを叶えるなんて、神様の領域だろうし。

そうこうする間に、ついにラザクがキレた。


「ぬぁーー!! じゃあてめえは何ができるっつうんだ!!」

コホン、と咳払いしたファエルが、重々しく頷いて口を開く。

「我が提供するは、そなたらの望む、手の届く幸福」

「はあ?」

「目に触れぬ銀糸の如き老齢の兆しを検出し、届かぬ背部に手を貸し、汝らの及ばぬ間隙に落下せし品を回収し、眠れぬ夜は我の言の葉で安らぎを与えん」

朗々と語った内容に、ラザクが困惑している。ファエル、このまま押し切ってラザクを誤魔化せそうだ。

「ちゅまり?」

「後頭部の白髪を見つけたり、背中を掻いたり、隙間に落ちたものを拾ったり、寝物語を聞かせられるってとこか。まあ、カエルができんのはそんなもんだろな」

リトが肩をすくめた途端、ラザクが噴火した。


「こンの詐欺ゲテモンがぁー!! 捨ててやらぁーーー!!」

「イヤぁーー! 待って待って! 超待って!!」

鷲掴まれそうになったファエルは、素早く私のポケットにもぐりこんだ。

「はあ……また碌でもないモンが増えた……」

それは、ファエルを連れていってもいいってことだろうか。

遠くを眺めるリトの瞳は、私とは裏腹に、まるで曇りガラスのように光を失っていたのだった。

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