第75話 嬉しいことを
「そんな顔してもしょうがねえだろ……」
肩を竦めたリトが、私のとんがったへの字口をつまんだ。
人が真剣に葛藤しているというのに!
憤慨してその手を振り払い、片時も目を離さずメニュー表を睨みつける。
赤・黄・白、四角・丸・三角……。その組み合わせだけで9通り。さらに上に乗ったフルーツ、クリーム、味……そうなると、もはや無限に種類があるのじゃないかと思う。
どうして、こんなにたくさん。どうして、こんなに綺麗なのか。
こんなもの、選べるはずもない。
「早よ決めろ。視線が痛え……は? 泣くなよ?!」
リトが慌てて私をのぞき込んだ。
視界が半分水没している自覚がありつつ、首を振った。泣いてない。
「……りゅー、ぜんぶたべる」
「食えるかっつうの……俺だってそんなに食えねえわ」
溜息をついたリトが、スッと視線を上げた。
途端にやってきた店員にビックリしていると、リトが勝手に注文を始めてしまう。
「こいつが好きそうなやつ、店の人気順に5つくらいくれ」
大慌てしてメニューに縋りついた私は、なるほど、と安堵して力を抜いた。
選べない時は、そうやって頼めばいいのか。
リトは何を選んだのだろうと思ったけれど、注文はそれで終わりらしい。
「どうせ食えねえだろうから、全部一口食って、気に入ったのだけ食え。残りを食う」
「りと……あいやとう!」
「お前、すげえどうでもいいとこで感動するよな」
頬杖をついたリトが溜息をついて、瞳を煌めかせる私の頬をつまんだ。
リトにとっては、どうでもいいところなんだろうか。
私には不思議で仕方ない。生き物にとってすべからく最重要項目だと思うのに。
にっこり微笑んだ店員が立ち去るのを、じっと目で追った。
背中のりぼんがひらひらと揺れて、こちらからは見えない秘密の部屋へと入って行ってしまう。きっと、あの中には色とりどりのスイーツが所狭しと並んでいるのだろう。
「座ってろよ、ひっくり返るぞ」
知らぬ間に椅子の上へ立ち上がっていた私は、ハッとして座りなおした。
持ってくるだけなら、すぐだろう。今にも、持ってくるだろう。
そう思うのに、中々引き返してこない。
「りと、もうしゅぐ来る。あっ――ちがう。りゅーのところ、きない」
「座れ、そして落ち着いて待て。そろそろ冷めただろ、これでも飲んでな」
リトが苦笑してティーカップを寄越した。テーブルに着くやいなや持って来てくれたのに、熱いからとリトに取り上げられたものだ。
黄みがかった白のカップとソーサーは、私の膝のようにまるく滑らかな形をしている。飲んだことはないけれど、これはきっと紅茶だろう。
伸ばそうとした手を遮って、リトが紅茶と一緒に持って来ていた小さなポットを傾け、たらり、と何かを紅茶の中に入れた。
「糖蜜だ。甘い方がいいだろ?」
小さなスプーンがくるくるとカップをかき混ぜ、チンと澄んだ音がした。
匂いは、甘くない。どこかで嗅いだことがあるのは、きっと食堂でも飲んでいる人がいたからだろう。
温かいカップを両手で支え、念のためふうふうと息を吹きかけて一口。
……甘くない。
ふわっと鼻に抜ける不思議な香りと、舌がいがいがする少々の不快感。
私の渋い顔を見て、リトが吹き出した。
「足りねえか? けど、もうすぐ甘いモンが来るしな」
「あ。りと、わしゅえてる」
リトがスッと自分のカップを口元へ運んだのを見て、慌ててポットを手に取った。
身を乗り出して入れてあげようとすると、大きな手に蓋をされてしまう。
「忘れてねえよ、俺は入れねえの。これから甘いモン食うのに、飲み物まで甘くなくていいわ」
「甘い方が、おいしいのに?」
「俺は甘くなくても美味いんだよ」
そうなのか。だけど、私は甘い方が美味しい。
自分のカップへ糖蜜を注ぎ込むと、慌てたリトに取り上げられてしまった。
「馬鹿、さすがに入れすぎだろ?! それもう、紅茶の味なくなってんだろ」
「入れすぎない。おいしい」
カップの底が、とろとろしている。私が混ぜると、スプーンはカチカチ鳴った。
こくり、と喉を鳴らして口角を上げる。ほら、おいしい。
リトは、すごく嫌そうな顔で私を見て、ポットを遠くへやってしまった。
「――お待たせしました」
ちびちびと美味しい紅茶を飲んでいると、いつの間にか大きなプレートを持った店員が立っていた。
ミニベリーとシュガーリーフのケーキ、ラグナッツとククミンのタルト、リマンクリームの――
ひとつひとつ、説明してくれるスイーツの名前。
優雅に指し示す、揃えた白い指先。
私は、声もなく大きなプレートを見つめていた。
メニュー表に乗っていたのと、違う。
5つのスイーツは、まるで最初からそう計算されていたようにバランスよく大きなプレートに収まり、たくさんのフルーツと花が残りの空間を彩っている。
きらきらと振りかけられているのは、きっとクリームのパンについていたのと同じ、甘い粉だ。
呼吸すら止めて釘付けになっている私を見て、店員がくすりと楽し気に笑ったようだった。
どうぞ、ごゆっくり。そう言って店員が離れていくのが分かった。
すごい。私は、今度こそ泣いてしまいそうだ。
食べるだけなのに。
これは、私の、私たちのために綺麗にしてくれたんだろうか。
何という心遣い。
スイーツだけ皿にのせて来たって、メニュー表通りに素敵なのに。
私たちが、喜ぶだろうそれだけのために。
「そんだけ喜べば、店も嬉しいだろうよ」
じっとプレートを凝視して動かなくなった私に、リトがフッと笑って店の奥を示した。
お店の人が、にこにこしてこちらを見ている。目が合うと、柔らかに会釈してくれた。
嬉しいのは、私なのに?
困惑してリトを見上げ、気が付いた。
そうか、私だって、リトが嬉しいと嬉しい。じゃあ、私が嬉しいと伝えれば、きっと嬉しいだろう。
私は、さっと椅子に立ち上がった。
「あいやとう! りゅー、うえしい!」
私の拙い声も、この大きさなら聞こえるだろう。きっと、嬉しいことは伝わるはず。
一瞬、しんとした店内。微笑んでいたお店の人が、目をまん丸にした。
そして、直後にさあっとみんながさんざめいた。
まるで一斉に小鳥が鳴いたよう。
相反するように、お店の人は両手で口元を覆っている。
「ばっ……! 分かったから、座れ!! まだ食ってねえだろ!」
澄んだ笑い声が響く。
お店の中に、一段と白く明るい光が射した気がした。
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