第25話 おやすみか、おはようか
ふと目を開けると、真っ暗だった。
まぶたが重く腫れぼったい。そういえば、たくさん泣いから。
頭まで重いけれど、泣くことは本当にストレス解消になっているのだろうか。
しばらく暗闇で瞬いていると、周囲は月明りでうすぼんやりと見えてくる。
見えなくても、温かいから分かる。
どうやら私は、リトの上に足から乗り上げるような体勢でいるらしい。
寝ている間も、人間はかなり動くのだと実感する状況だ。私自身の意思はオフになっても、体は一度たりともオフにはならずに100年近くも稼働可能なのだ。まったく、計り知れない。
人間の体に改めて感心しつつ、ちょこりと座った。
目の前には、静かに寝息をたてるリト。
肺が大きいのだな。吸い込む息も、吐く息も、一緒に合わせて行ってみれば一目瞭然。
私の倍、むしろ倍以上ありそうだ。
よく笑う精悍な顔は、安らいで力を抜くと、バランスの良く整っていると思う。
私は、孤児院に入ったころは可愛い顔をしていたそうだけど、似たようなものだろうか。
そんなところに意識がいかなかったものだから、自分の顔をまじまじ見たことがない。
ただ、脳裏に浮かんでいたあの幼児と、少しばかり違うのではないかとは思う。
だって、ほら、窓ガラスにほのかに浮かび上がるあの白っぽい影。
私の髪は、おそらくただ淡いのでなく白っぽいのだろう。
なぜ、茶色かった髪色が変わったのだろう。他も変わったのだろうか。
そうだ、私がAIであると言うよりも、先にそれを言うべきだったのかもしれない。
私が、元々この体の持ち主ではないことを。
ただ、私自身については、もう少し説明できるだけの知識を得ないと難しい。
まずは、以前の図書館でありったけの知識を得ようと思う。
そう思うとそわそわしてきた。
まだ、朝にならないだろうか。
しっかり浮かんでいる月を見上げ、どうしようかと考える。
こうして夜中に目が覚めるようになったということは、睡眠が充足したはず。
もう、果てしなく寝る必要はないし、食事だってそろそろ満足に食べてもいいのではないだろうか。
ああ、ますます気が急いてきた。
もう一度夜空を見上げたけれど、月の位置は変わらない。
窓枠が夜空を切り取って、まるで絵画のようだと思うものの、それよりも今は空腹感が勝る。
リトは、まだ起きない。
長い髪が顔の方にも乱れかかって、邪魔なのではないだろうか。
リトが私にやるように、前から後ろへそうっと梳いてみた。
リトの手指はするすると髪を通すのに、私の指はどうもうまくいかない。
絡まって、くっついて、余計にくしゃくしゃになり始めたので、手を振って落とした。
ひとまず
リトは、よく私の頬をつついたりつまんだりする。
だけど、リトの頬は中々うまく掴めない。
「こら、イタズラしてんじゃねえよ」
伸びて来た手は、やっぱり私の頬をつまんだ。
気だるげに掠れた声が、微かに笑う。
「りと、起きた?」
「まだ起きねえよ、夜中だぞ。お前も寝てろ」
そうなのか。それなら朝まで歩行練習でもしようか。
そう思ったところで、巻き付いてきた腕が、私をリトの懐へ引きずり込んだ。
「ほら、寝ろ。おやすみのキス、だ」
んむ、とおでこに唇を当て、リトが私を抱き込んだまま目を閉じる。
私はおでこに手をやって首を捻った。違うのではないだろうか。
「りゅーは起きたのに? おやすみなない、おはようのきしゅ!」
「おはようじゃねえわ、こんな時間に起きてどーすんだ。これはおやすみのキス、だから寝ないといけねえの」
言いながらすでにリトは半分眠っていそうだ。
ならば私がおはようのキスをすれば、リトは起きなくてはいけないのではないか。
そう思いついたものの、重い腕ががっしりと私を囲い込んでいて動けない。
しばらくごそごそ脱出を試みていた私は、いつの間にか意識を失っていたのだった。
「――おい、リュウ、そろそろ起きねえと朝飯食いっぱぐれるぞ」
ゆさゆさと揺さぶられて、眉間にしわを寄せた。
今は、起きるべき時ではない。だって体がこんなに睡眠を欲しているのだから。
私は『起きない』という固い意志を示すように、ぎゅっと丸まって布団に顔を押し付けた。
「ったく……夜中に起きるからだろ。朝飯食えなかったら食えなかったで怒るくせに……」
ぶつぶつ言うリトの手が体の下に差し込まれ、ふわりと浮いた。
リトの大きな歩幅に頭が揺れる。ことんことんことん、とものの3歩で扉の開く音がした。
足音を潜めて廊下を通り、ぎ、ぎ、と軋む階段の音。
だんだんと騒がしさが近づいてきて、色んな音が混じり始める。
そして、パンの焼けるいい匂い。熱せられたバターの香り。
閉じていたまぶたが、漂う香りに引きずられるように半端に開いた。
寝たい。けれど食べたい。
睡眠欲と食欲は、いずれも3大欲求のうち。これは果たしてどちらが勝つのだろうか。
私は、どこか他人事のようにそんなことを思ったのだった。
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