第21話 あの時のままに
やわらかい。温かい。心地いい。
それが当たり前だと思っていた。
ついひと月ほど前まで感じていた、安らかな時間を。
大事な、大事な時間を。
どこも痛くなくて、呼吸は当たり前のようにできて、ちぎれるような空腹感もない。
そして、じくじく体の真ん中が痛むこともない。
当たり前ではなかった。
ちっとも、当たり前じゃなかった。
全身に満ちているぬくもり。
ゆったりと膨らんでは沈む、穏やかなこのリズム。
お腹はそれなりに空いているけれど、ずっと空っぽだったどこかは満たされている。
それが一体全体、何という臓器なのか思い至らなかったけれど、満たす方法には心当たりがあった。
ドクリ。今すぐに目を開けたいと鼓動が早まった瞬間、ますます固く瞳を閉じた。
だって、違うかもしれない。もし違ったら。
目を開ければ、いつもの高い天井かもしれない。
鉛のように重い体と、馴染んだ空腹感、方々の痛みが襲ってくるのかもしれない。
……目を開けたら、終わってしまうのかもしれない。
頑なに目を閉じて息をひそめていると、ふいに、長い溜息が私の前髪を揺らした。
柔らかく包み込む何かがそうっと動いて位置を変え、私の姿勢を整えようとする。
するり、とくすぐったい何かが私の顔を滑った瞬間、思わずカッと目が開いた。
ああ、やっぱりそう。
ほうら、リトだった。リトがいる。
私は、間違えなかった
私を毛布にくるんで抱えたリトは、ベッドに腰かけ黙って俯いていた。
リトは、なんと心地いいのだろう。
大きな呼吸につれ、ゆったりと膨らんだ体が、ゆったり沈む。
揺るぎない腕。体温。香り。
すべて、すべてがあの時のままに。
「り、と」
声は掠れたけれど、思った通り、リトは伏せていた顔を上げ、目を大きく見開いた。
綺麗な銀色の瞳が、よく見えて満足する。
「リュウ?! 分かるのか?」
どこか必死の形相で問いかけられ、小首を傾げた。
「……分かやない。りゅーは、今起きまちた」
リトは、私が寝ていると気づかなかったのだろうか。
何も聞いていないと思うのだけど。
「――ふっ、そうだな。はは、そうだな。あーーお前だ。間違いなくお前だ」
リトは、大きな体を丸めるようにそうっと私を抱きしめて、しばらく呼吸だけをしていた。
どうしたのだろうか、と思った時、ハッと思い出した。
私の体に伏せた顔を思い切り引き起こし、さすさすと頬を撫でてみる。
「……なんだ? 俺の首はそれ以上曲がらねえからな?」
いつもの、いや、以前の軽い口調でそう言って笑う。
その頬が濡れていなくて、安堵した。
「りと、泣いてゆかとももって」
「ばっ! 馬っっ鹿! ちがっ……!! 泣いてたのは、お前! 俺じゃねえの!」
そうだったのか。それならよかった。
朦朧とした意識の中で、リトがいるような気がして。
リトが泣いているような気がして。
いろんな『感情』がいっぱいに、いっぱいになった。
「りゅー、ちゃんとれきた」
困った時に、ちゃんと声をあげて泣けたのだろう、私は。
だってリトが泣いているなら、それ以上に困ったことなんてない。
ただ、もう一度はできそうにないと思ったのだった。
――寝ているのか、起きているのかあやふやな数日。
いつも私だけベッドで食事をとっていたけれど、今日はちゃんと起きている。
だから、食堂へ連れてきてもらったのだけど。
私は、自分の前に置かれた粥と、リトの皿を交互に見つめた。
「ぱん、しゅーぷ、ちょりてばばき、さややしぇっと。……ちょりてばばき」
怨念すら籠もりそうな目に苦笑して、リトは今にも手羽焼きに手を伸ばそうとする私を抑え込んだ。
「焦んなって……言われたろ? 少しずつ食事を戻していけって」
理屈はわかる。私の消化管は、すっかり弱っているだろうから。
まずは消化の良いものを。医者らしき人にそう言われた。だから、数日粥ばかり食べている。
久々に食べた粥の、なんと甘かったこと。なんと美味かったこと……。
少しずつ粥の量は増え、今日は何かしらの具が入っている。これが今の私に相応しい食事で間違いない。
しかし、満たされてしまえばすぐに次を欲してしまう浅ましさ。まさにこれこそ欲求というもの。
いやしかし、人間には理性という対抗手段がある。
私の体のことを思えばこそ、今は粥を食すべきだ。
特にあんな脂滴る手羽焼きなど、腹を下すだけだろう。
ほら、あのように照り照りと艶めいて。
ああ一体、どんな鳥なんだろうか。ニワトリではないだろうその大きさ。
皿一杯に乗った巨大な手羽は、皮がぱりりときつね色に焼き上がり、たっぷりと黒コショウの粒が散っている。香ばしさの中で、敷き込んで焼かれた玉ねぎが香り高い。
きっと、食いつけば皮目は小気味よく音をたて、ぷるりと弾ける肉で口がいっぱいになるだろう。追いかけるように、胡椒がカリリと鋭さを足して。溢れた肉汁が口の周りをべたべたにして、顎まで滴って……。
「……分かったから。よだれを拭け」
どうやら顎まで滴っていたのは、私の唾液らしい。
取り出したハンカチで口元を拭ったものの、視線は釘付けのまま。
リトが溜息をつきつつ手羽焼きをほぐし、ふわりと湯気が立ち上った。桃色の弾力のありそうな肉質、思った通り溢れだした肉汁がもったいなくも皿に溢れ……
「ほらよ」
丁寧に美味そうな皮を剥いでしまい、身の部分だけになったそれが、粥の中に放り込まれた。
粥の中に、少しだけ頭をのぞかせた、淡い桃色。
「最初に回復薬は使ってるしな。それくらいなら、大丈夫だろ」
「り、りと……!! あいやとう!!」
やれやれと肩をすくめたリトに感激と感謝を込めた視線を送り、私は丁寧に丁寧に粥とお肉を味わったのだった。
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