第32話 神霊の戯れ


「・・・ですか?」


誰かの呼ぶ声がする。


「大丈夫ですか?」

「あ、ああ」


そうだ。


フランの踵落としを喰らったんだった。


「すみません。アテナが気にいる人間は珍しかったのでつい」


顔を上げるとフランが頬を膨らませていた。


「理由になってないっての」

「私は決めていたのです。アテナと上手く付き合っていける男性が現れたら結婚しようと」


起きがけに何を言い出すかと思えば・・・


話が飛躍しすぎていてどこから突っ込んで良いのか分からない。


いや、大変光栄な話ではあるんですけどね。


「はぁ?! 訳わかんないわよ!」

「術者以外のパートナーとエイビーズの相性はサモナーにとって非常に大切なことです。いくら相手のことを好いていても飼っている犬猫と相性が悪ければ一緒になるのは難しいでしょう?」

「何が言いたいわけ?」

「アテナは神霊の中でも孤高であり、老若男女、アテナが他者に懐くのは族長意外に見たことがありません。ヴィンセントさんはそんなアテナが我を失うくらい夢中になる相手。これはもう結婚するしかありません」


淡々としているが明らかに先ほどよりも口調が早い。


感情を込めているのが分かる。


「待て待て待てーい! 許可した覚えはないわ! たった今自己紹介終えたばかりなのよ?! そもそも会ったばかりの得体の知れないサモナーの話に耳を貸すとでも思ってんの?」

「あなたの許可など必要ありません。ヴィンセントさんは私と結ばれる運命」


憤慨するフランを押し退けローズが立ちはだかる。


「お待ちなさい! このとんがりメイジさんの許可なんてどうでもいいですけれど、わたくしの許可なしに旦那様に近づくことだけは許しませんわ!」

「ヴィンセントさんの本命はこの私。残念ながらあなた程度では釣り合いませんよ」

「思い違いもそこまで行くとむしろ清々しいですわね」

「思い違いをしているのはあなたの方では?」


おもむろに構える二人の間に生暖かい風が吹く。


なにこの緊張感。


動けない。


「恐れ知らずなこと。このわたくしに対してここまで堂々と啖呵を切った愚か者は初めてですわ。良いでしょう。そこまで言うなら白黒はっきりさせましょう。どちらが魔導士として、いいえ、女として上か」

「アテナの選定で生き残った者はいません。後悔しますよ?」

「上等ですわ。神霊だか女神だか知りませんが私の前に跪かせてあげますわ」


みんな肝心なことを忘れている。


俺は誰に対しても許可を出していないということを・・・


「はっ?!」


つい溢れた本音を抑え慌てて口を塞いだ。


口走ろうものなら殺される。


それくらい修羅場と化していた。


もはや止められそうにない。


俺の前でバチバチに睨み合う二人の間に、一人の少女が乱入した。


「勝手に話を進めるなですぅ!! ヴィンセント様はわたしの大好物なのですぅ!! 誰にも渡しません!!」

「恋愛も知らない幼稚園児は黙っていなさい」

「よぶっ?!」


シルヴァーナの心臓を握り潰すような容赦なき一言に、ハンナの心は一瞬でクラッシュされた。


可愛いマスコットは放心状態で膝から崩れ落ちた。


容赦ない。


「モテる男は大変ですね♪」


いつの間にか横にいたビアンカに小突かれる。


「そう思うならこの状況をなんとかしてくれ・・・」

「時には思いを吐き出す場所は必要です。いつでも話してくれていいですからね」


ビアンカの少し照れたような微笑みに癒されていると、突然雷鳴のように乾いた音が響き渡った。


シルヴァーナの肩の上あたりに、緑色の次元の裂け目のような歪みが生じる。


『ピィー!!』


中から緑色の球体が勢いよく飛び出した。


球体が強い輝きを放ち細長い形に変わっていく。


やがて球体から手足が伸び、人のような形状へと姿を変えていった。


純白のドレスに身を包んだ、とてもこの世のものとは思えない程の美しさで輝く女性がゆっくりと大地に降り立った。


戦女神と呼ばれる荒々しい印象とはあまりにかけ離れている。


森林浴をしているような安心感を抱く、長い常盤色の髪を揺らめかせた女性がこちらに向かい微笑みかけてきた。


「これが神霊エイビーズ・・・」


こちらを見据える夕焼けのような紅い瞳に引き込まれる。


圧倒的な存在感と重圧に、皆その場から一歩も動くことができない。


『や〜ん! また会えて嬉しいわヴィンセント♪』


瞬きをした瞬間、女神はすでに俺に抱きついていた。


一瞬何が起こったのか分からなかった。


「惚気るのは後にしてください」

『えー。せっかくこの姿に戻ったのにー』


女神様のモチモチの頬がくっつく。


押し潰さんばかりの重圧とのギャップに混乱してしまう。


そして女神様のなんとも言えない頬の柔らかさ。


エイビーズ。戦女神。神霊。


一体、何が起きているんだ。


俺の中にある概念とあまりにかけ離れた行動に、頭は完全に真っ白になった。


「本当に、あなたがここまで好意を示すのは契約以来初めて見ますよ」

『うふふ。私も乙女ってことよ♪』

「程遠いと思います。色々な意味で」


ローズは不適な笑みを浮かべると、出現させた金色の魔導書グリモワールをレイピアに変換させ、軽やかにその手に握った。


「面白いではありませんか。最高クラスの神霊相手にわたくしの剣術がどこまで通用するか試す絶好の機会。相手にとって不足はありませんわ」

「顕現したアテナを前にその表情をした者はいませんでした。その胆力、口先だけの魔導士ではないようですね」


表情を崩さないシルヴァーナの口角が少し上がる。


『本当にいいの〜? あの子、なかなかの逸材よ。私好みの可憐さだし♪』

「あなたの言葉は信じません。毎回そう言っておいて、生かした人はいないでしょう」

『だってー。可愛いから愛でようとしているだけなのに、皆んなちょっと撫でただけで肉塊になっちゃうんだもん。こんなにも人間のことを想っているのに私は悲しいわ』

「あなたの想いが重すぎるんです。想いだけに」

『あはは! つまんなーい!』

「つまらないなら笑わないでください。そもそも戦女神のあなたが愛を語るなんておかしいです」

『むぅ。戦女神だって愛する気持ちはあるの!』


更に空気が重くなり、思わず足がフラつく。


『だってそうでしょう? 神にとって儚く脆い生命に慈愛の念を抱くのは至極当然のことだもの』

『シルは私のもの。シルに相応しいかどうかは私が決める』


アテナとローズがぶつかり合うまさにその時だった。


彼女たちの前に立つ人影に一瞬目を疑った。


「あんたたち。いい加減にしなさいよ」


二人の放つこのプレッシャーのなか動けるのも驚きだが、何よりフランから溢れるマナの大きさに驚愕した。


今までの彼女とは明らかに別人だ。


フランを取り巻く白い炎は薄っすらと虹色を帯び、まるで神々の世界のものであるかのような神秘性を湛え、見る者を魅了してやまない。


「フラン・・・?」


ローズもアテナもフランの只ならぬ雰囲気に言葉を失い圧倒されていた。

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