第29話 厚壁の先へ
人と同じように、小さなマナにも形や大きさの違いが微妙に存在し、それらがさまざまな色や光を発し虹色の流動となる。
自分を構成する無数の細胞一つ一つに呼びかけるように意識をミクロの海に沈めていく。
細い糸のように連なったマナの流動が手招きするように目の前に集まり、やがてゆっくりと球状に変化していく。
一つに凝縮したそれらは人差し指の上で、
小さなマナたちに導かれるように、ただ無心に、球体を指先から放しゆっくりと目を開く。
息が詰まりそうなほど圧迫していた虹色の光の厚壁は、手品のように絶景に変わっていた。
瞳に飛び込む天上の景色に誰もが目を奪われる。
花吹雪、あるいは深々と降り積もる雪のように舞い散る虹の欠片。
輝く虹色の欠片は祝福するようにアトランティスに降り注いでいた。
「障壁が、消えた・・・?」
「な、何が起こったのですかぁ・・・?」
ビアンカとハンナは目の前で起きた光景に唖然としている。
「ふぅ。上手く行ったようだ」
一息つくと、フランとローズが瞳を輝かせて抱きついてきた。
「すっごーい!! さすがヴィンセント!!」
「さすがはわたくしの旦那様ですわ!!」
あ、暑い。
「これで無事ノームに行けるな。あれ・・・?」
ビアンカとハンナはしばらく固まっていた。
「ね、ねぇ。ビアンカ・・・」
「ハンナさん。私たちはとんでもないものを目の当たりにしたかも知れません」
突然俺の前に立つフランとローズ。
「見たか! これがヴィンセントの実力よ!」
「おーっほっほ! 偉大なる魔導士の前にひれ伏すが良いですわ!」
恥ずかしいから止めてくれ。
ローズもいつの間にかフランに染まってるし。
「まさか障壁を解除してしまうなんて凄過ぎます! どのような魔法を使ったのですか?!」
手を包むビアンカの両手から強い熱意を感じる。
「厳密にいうと魔法ではないんだ」
「魔法、ではない・・・?」
障壁の解除。
それは実際の魔法の使用とは少し異なる技術が必要になる。
魔法は、
つまらない勘違いで魔法が使えていなかった俺が言うのもなんだけど、言ってしまえば多少マナの制御が雑でも、ある程度流れをコントロールできれば発動自体は割と容易だ。
一方で、障壁の解除には目に見えない一粒一粒のマナの振動と濃度を合わせてぶつけるという、針の先端で一本の髪の毛に魔法詠唱を書き記すような精密なコントロールを要する。
ただでさえ膨大な集中力を必要とする技術なのに、見た目ではなかなか判断し辛い上に、得意だからといって何かが大きく変わるようなものではないし、階級が上がるような嬉しい報酬もない。
目に見えて成果が分かりやすい魔法発動とは正反対の技術ということもあり、マナ制御に関する探求を行うのは余程の変人と言われている。
そもそも非常に細かく複雑で、高階級の魔導士でも避けるほどの技術だ。
実際に実演できる魔導士を俺は知らない。
それくらい地味で敬遠されがちな技術。
そんな技術の虜になった俺は、一時期部屋にこもり紙の横に視認したマナの絵を書き記していた。
ヴィゴーが注目されるようになって単に暇だったというのもあるけど・・・
どこで何が役に立つか分からないものだ。
「実はマナというのは空気に触れることで自然に増殖する性質を持っているんだ」
「増殖?」
目をパチクリさせるフランに頷いて見せる。
「マナはそれぞれ振動数が異なり、その数には限界がある。新しく生まれた新鮮なマナを
「ばーす? みゅーとねす??」
フランの頭から煙が出ているけど見なかったことにしよう。
「限界を迎えたミュートネスは分裂する事でその限界数を延長させようとするが、それでもなお限界を迎えたものは、やがて生まれたてのバースやまだ振動数の限界を迎えていない他のマナと結合し取り込まれ、再び活性化する。これを繰り返すことがマナ発生のサイクルとなり、世界のエネルギー源として発生しているんだ」
「異世界のマナで構築されていたからこの世界の原理を適用できるか不安だったが、実際にビアンカたちの解除を見て確信できた」
皆んなが呆気に取られる中、ビアンカは冷静に整理しているようだ。
「ミュートネスは言わば寿命が尽き死滅したマナ。それが二つに分裂しても結局限界値に達したマナが増えるだけ。世界の源になるにしてはエネルギー不足になり、とても循環が間に合わないのでは?」
さすが。鋭い指摘だ。
「ミュートネスは分裂時、完全に振動を止めるわけではないんだ。そして、どちらか一方に振動数が偏って分かれる。粒子ごとに差はあるけど、大体八対二くらいの割合と思ってくれていい。つまり、ミュートネスの分裂は若いマナ粒子も生産するってこと。だから基本的には世界のマナが枯渇することはないんだ。もちろん、自然に生まれる真新しいマナもあるしな」
「な、なるほど」
「う〜ん・・・? でも、それと障壁の消滅は関係あるの?」
その?マークのとんがり帽子、本当に生き物みたいで怖いな。
「こほん。マナは空気や近くに振動数に余白のあるマナと結合し、振動限界値を底上げする事で半永久的に湧き出るんだけど、その速度が問題なんだ」
「速度?」
「本来、自然界で生まれるマナの発生は空気と結合するため比較的緩やかだ。しかし、空気が入れないほど空間に敷き詰められた環境下の場合、マナ同士の結合速度は驚くほど早くなる。その特殊な環境が、自然界では有り得ない超高速のマナ発生サイクルを生み出し、障壁の復活を誘発していたんだ。なら、結合できるマナを無くしてしまえばいい」
「理屈は理解できます。しかし、それでも全ての障壁が消える事にはならないと思いますが・・・」
良いね。やっぱりビアンカは鋭い。
「一枚一枚が非常に高密度なマナの集合体ゆえに空気の入り込む余地がなく、それぞれの障壁が同じ濃度・振動数だったのが幸いだった。そのおかげで障壁のマナの動きがかなり単純化していたからな。もし混ざっていたら、振動数と濃度が更に複雑化し、解除は相当厳しいものになっていた。恐らく、ビアンカのマナ保有量も」
俺の視線にビアンカは驚いたように目を見開いた。
「・・・恐れ入りました。私の持つマナの原理を見抜いた人はヴィンセント様が初めてです。通常、人間の持つマナは少なからず空気を含みます。ですが、私は生まれつきマナ濃度がとても濃く、空気と結合できない。そのため、私から生み出されるマナは常人よりも遥かに多くなっているのです。それが私の持つマナの特徴、そして異名の由来です」
「ごめん。手の内を明かしてしまったな」
「いえ。ヴィンセント様の仰る通りこれは魔法とは違うもの。手の内を明かしたところで真似されるようなものではありませんから」
「それもそうだな」
「はい。それよりも・・・」
そっと包み込むように手を握られる。
火照った頬に潤んだ瞳。
そのコンボはダメだ!
やられる!
「なんて聡明なお方でしょう。胸が高鳴って止みません。いまは胸の奥底から湧き上がるこの切なさの正体が知りたいです。その理由を、私に証明してくれませんか?」
「もちろんいつでも・・・ ぐはっ?!」
フランの肘打ちが脇腹に刺さる。
「ふざけんな」
「おまっ・・・ また・・・」
すがるようにローズを見上げる。
「海よりも器の大きいわたくしにも限度というものがありますわ♪」
「そ、そんな・・・」
腹を抱え悶絶しているところでハンナに服の裾を引っ張られた。
「でもでもぉ。振動数を合わせたマナの粒子を同じ数だけ作るなんて、魔導士一人にはとても無理ですよぅ」
「そ、その通り。だから一つだけでいいんだ」
「ほぇ・・・?」
「皆んながやっていた解除法は、障壁のマナの数に合わせて作りだしたマナをぶつけるというものだった。それではいくらビアンカがいても消耗が大きすぎる。あまりに非効率だ」
「じゃあどうやって?」
ハンナは知恵を絞ろうと頭をグリグリ押し当てる。
「簡単だ。他のマナよりも振動数が少しだけ多いマナを一つだけ結合させればいい。マナは基本的にどんな形であれ近くにあるものと結合しようとする。その性質を利用してやれば、空気に触れずに密集したマナは一気に噛み合っていく歯車の如く振動数を一致させ、やがてその活動を停止する。念のため作り出したマナが消えたり結合されないように
気付けばハンナの小さな体がプルプル震えていた。
その可愛らしい顔が纏う青いローブのように青ざめている。
「どうして人間にマナの振動数を制御できるのですかぁ? しかもまたサラッと私の魔法を・・・」
ハンナは泡を吹いて倒れてしまった。
マルコの何か諦めたような視線。
「お前、一体何者なんだ・・・?」
「ただのGランク最底辺魔導士だよ」
「Gランクなど聞いたこともない」
「安心してくれ。俺も聞いたことがない」
「フッ・・・」
マルコの表情が、まるで肩の荷が降りたように緊張が解けた清々しいものになった。
「バケモノめ」
「グサッ!?」
涙を拭う俺の肩にそっと手が置かれた。
「自分で擬音語言うの、相当アホっぽいよ」
フランに突っ込まれるとは不覚・・・!
前方に目をやるとぼんやりと小さくまとまる島群が見えてきた。
「あっ! 見えてきたよ! あれがノームズじゃない?」
「本当ですわね!」
再びバケモノ呼ばわりされショックを受ける俺に構わず、次第に近づく島々に歓喜の声を上げるフランとローズだった。
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