第29話

「おかわり!」


 由岐治が、大きな声をあげた。キッチンで鍋の様子を見ていた赤城は振り返る。


「はやくしろ!」


 目が合うと、彼女の主は急かすように、茶碗をにゅっと差し出してきた。普段、おごそかに食事をとっている主だが、こういうときに、かつての習慣が出てきてしまうらしい。

 よいことだ。

 主の精神が小康状態に落ち着いたのを感じ、赤城はてくてくと茶碗を取りに向かった。


「遅い。さっさと来いよな」

「はい」

「ただでさえ、このところ不愉快なんだ。気分よく食事くらいさせろ」


 そう言う主の顔に、かげりは少ない。どこか、うきうきとした気風さえ感じる。

 よいことだ。赤城は繰り返す。

 浮き沈みの激しい主の情緒だが、ここ最近はずっとざわめいていた。今日は、それが凪いでいる、というより心の芯が、あまりぐらつかないようだ。主自身もそれが心地いいらしい。赤城を叱る声もはきはきと威勢よく、また、食欲も旺盛だった。それには、主自身の波もあるだろうが、外的なものもあるだろう。

 あれから――主が心配するほど、主の学園での評判は悪くならなかった。客観的な生徒の目には、主の言動は厳しくも正当であると判断されたのだろう。そのことは、主の心をいくばくか落ち着ける効果があった。


 それから――赤城は茶碗を手に、棚の引き出しに目をやった。そこに仕舞われたものの中で一番、新しいもの――この間届いたものだ――それの封は、いつも通り、慎重に閉じ直されていた。一度開き、中のものを改めた痕跡を、隠すように。


「おい、ぼさっとするな! 早くしろっての!」

「はい」


 主の二度目の叱責が飛ぶ。赤城は視線を戻し、炊飯器へと向かった。ふたを開けると、蒸気がふわりと立つ。甘い香りが、鼻をくすぐった。今日のご飯は、栗ご飯だった。金色の大ぶりの栗がたっぷり入った飯を、茶碗にたんとよそう。主は、赤城の一挙一動から、それがいつ自分のものになるか、はかっているらしい。背中越しにも、うずうずしているのがわかった。


「お好きですね、栗ご飯」

「別に。季節のものは食べておきたいだけだ」


 赤城の言葉に主は、つんと顔をそらす。しかし茶碗を受け取ると、さっそく箸を動かし、食べ始めた。赤城は主の対面に座ると、せっせとご飯をはむ主の様子を眺める。主は、それにうろんな表情を浮かべた。


「おい、誰が座っていいって言った」

「坊ちゃん」

「何だ」

「栗、美味しいですか?」


 赤城の問いに、「は?」と主は、頓狂な声を上げた。そして、大きく顔をしかめる。


「あげたものを、いちいち聞くなよ。いやらしいな」

「いちおう言質をとっておこうかと」

「はあ? お前、まさか僕を脅すつもりか?」

「いえ」


 赤城は、ふと薄く目を伏せた。その表情は、いつも通り動いていない。けれども、微笑しているように見える。彼女の主は、「なんだよ」となおのこと不可解な顔をする。


「とにかく立てよ。使用人が、主と一緒のテーブルにつくなんておこがましいぞ」

「はい」


 赤城は立ち上がると、主は「ふん」と鼻を鳴らし、不満をぶつぶつと呟きだした。


「本当に、お前は僕を軽んじてるな。言っておくけど、お前にとって、僕ほど上等な主はいないんだからな」

「はい」

「わかってないだろ、この能面女」


 赤城は話もそこそこに、鍋へと向かう。具だくさんの豚汁が、くつくつ音を立てていた。残ったらもらって帰ろう。出汁が煮詰まらないように、赤城は火を切った。


「――だいたい、品数が少ないんだよ。なんだよ二品ふたしなって」

「干し柿もありますよ」

「いらない! 今、僕はおかずの話をしてるんだよ! だいたい、素人の作ったものなんて信用できるか」

「美味しかったですよ」

「うるさい! ていうかお前、さっき火切ってなかったのか? 僕の部屋で、火事起こしたらただじゃ置かないからな!」

「すみません」

「話の途中でどこか行くし、減らず口は叩くし、本当にお前は、僕の使用人としての自覚が足りないようだな――おかわり!」

「はい」


 赤城は、ゆったりと主のもとへ向かう。主から茶碗を受け取ると、二杯目のおかわりをよそいに向かった。進みがいい。やはり、なじんだ味というものは、なにものにも代え難いものがあるのだろう。


「はやくしろ!」

「はい」

「このバカ使用人!」


 主の元気な声を背に、赤城は、茶碗に栗ご飯をてんとよそったのだった。

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