天空に誘われた迷宮保険屋(井上啓二さん作『迷宮保険』二次創作・許可付き)
べいちき
1.稀にはこういう事もあるんだな
「アッシュロードさん。おかしいです」
アッシュロード。それは俺の名前なのだが、そう思い出すまでに数瞬を要した。
「えーと……。ライスライト、何がおかしいんだ?」
俺の目の前にいる、僧服を纏った若い娘。この娘が、エバ・ライスライトだという事は、なぜだか思い出す必要もなくしっかりと覚えていた俺なのだが。
「私たちは、ヴァルレハさんの唱えた『転移』の術で全滅寸前の戦闘から辛くも回避したわけですが……」
そう言えばそうだった。あの時、ヴァルレハは「あなた方なら転移先でも生き残れますから! 離脱してください!!」といって、行き先を指定できない戦闘中に、転移の術を使ったんだったな。
「ここ、どこだ? ダークゾーンではあるのはわかるんだが……」
俺がそう言うと、どうやらここに来て気が付くのが俺より早かったらしいライスライトが答える。
「アッシュロードさんでも間違えることがあるんですね。ここはダークゾーンではないですよ」
戦棍を後ろ手に握って、ライスライトはクルッと踵を返した。
「見てみてください、アッシュロードさん。上を見れば満天の星空です」
俺はそう言われて、上を。いや、空を見上げた。
満天の星空。確かにそれが見えた。
「ここはどこなんだ?」
俺はライスライトが知っているのかどうかと尋ねてみたが。
ライスライトは、首をひねって「わかりません」とそう言うのだった。
* * *
日が明けて。満天の星空は、昇ってきた太陽の輝きで溶ける闇と共に消えていく。
「さて、アッシュロードさん。ここはどうやら、高台のようです。下に街が見えますから、降りて行ってみましょう」
何というのか物怖じしない。ライスライトは最初っからこういう娘だったような気もするが。基本、動的でない俺とはいい組み合わせであると言えるかもしれない。
「アカシニアでも……。リーンガミルでもないのに、大きな都市だな」
高台の端まで歩み寄った俺の視界に入ったのは。
やたらと高い四角い塔の林立する、見たことのない建築様式の巨大都市だった。
「降りて行くには……。危険は、あるかもしれないな」
俺は、文化の違いをその巨大都市に感じたので、ライスライトにそう言った。
「このまま飢えて死んでしまうのも。危険ですよ? アッシュロードさん」
切り返してくる。まあ、ある意味打てば響くの反応ともいえる。
「そうだな……。降りてみるか」
実際、それ以外の選択肢などないことは。よくわかっている俺だった。
* * *
「IDカードを紛失したのか?」
都市の入り口。大きな塀で囲われて、所々についている出入り口の一つの前で、俺達は門番らしき兵隊に止められた。
「ああ、紛失した」
IDカードが何だって事かは、俺にはわからなかったが。何らかのキーアイテムのカードだってことは勘でわかった。ここは、嘘も方便。最初っからそんなものは持ってはいないのだが。
だが、これで新しく発行してもらえる可能性も考えると、相手の思っている形に乗った方がいい。俺はそう考えて、門番に答えた。
「そうか。で、あればだ。再発行をする必要があるんだが……。身元照会の手段はあるか? 例えば都市内に親族がいるか、などの事なんだが」
む。少し拙い方に話が動き始めたか。しかしこういう時は、静かにしているに限る。力むべき時でないときに力んで、失敗する。今まで迷宮で、俺にの保険会社の世話になる奴はそういう理由で命を落とすことも、実に多かったのだから。
「いや、いないな。俺は、この娘と二人暮らしだったんだ」
順々と会話を方程式のように組み立てていく。
「そうか。ならば仕方ない。再発行費用は市民割引が効かない満額を払ってもらうことになるが。構わんな?」
少し目つきが変わった、門番兵たち。怪しいと思われたか。それに、金を払えと言ってきた。
「ローンにしてくれ。それならばなんとか払える」
「ふむ……。まあ、いい。このIDカードに紐づけされている番号に、再発行費用の費用を借金として加えて置く」
ふむ。どうやらIDカードってのは何かの符丁のようなもので。番号で管理されているらしい。俺には、その番号に対して借金が課されるというシステムが理解できた。
だが、どちらにせよ。金は稼いで払うつもりだから、それを了承した。
「助かる。カードはすぐにできるか?」
「この場で発行する」
さて、借金は負ってしまったが、IDカードを手に入れて。俺はライスライトを伴って、この巨大都市の中に入れるようになった。
* * *
「……コイツは驚いた。ここは地球でも、アカシニアでも、リーンガミルでも。ないのか」
ライスライトがゆで卵付きのモーニングを作って。借家のキッチンテーブルの上に出してくれた時。
ライスライトが教えてくれた、ヴィジョンと言う色彩発光版に文字や映像が浮かんで流れるニュースの、天候予報で知ったことだが。ここはとある惑星重力圏内のスペースコロニー内国家であったらしい。俺には惑星やら重力やらの事はライスライトから簡易説明を聞くまではわからなかったが、この娘の説明はわかりやすく、そういうものかと俺の腹に落ちた。
そんな俺の様子を見てか、コーンスープを運んできたライスライトが椅子に座って口を開く。
「時代がおかしいですね……。文明の発展度も、極度に進んでいて」
そう、このアカシニアの世界とこの世界の差異は甚だしく。
極度に離れた距離にあるか、または時間軸がおかしいのか。そのどちらかあるいは両方だという事は、俺にもわかる。
「そうだな。これは明らかにおかしい。あの時ヴァルレハの放った『転移』にイレギュラーが起きたかもしれん。時間、空間。共に信じられない程の跳躍をしちまってるみたいだ……」
さて、困ったぞ。
俺はアカシニアの筆頭の武将だ。戻った時のことを考えると。
こんな所で油を売っていたら、あの暴虐なトレバーン王陛下の奴が。
何を言い出すかわからないじゃないか。
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