第3話 誕生パーティーにて1
ユイラの皇都ユライナは、ユスタッシュの記憶どおり美しい。
夕闇に蝶のように行きかう薄物をまとう人々。街路の灯があっちにも、こっちにも金色にきらめき、大通りには静かな楽の音と水路の水音がゆるやかに流れる。どこからか甘い花の香りがただよい、風はさわやか。ブラゴールの渇いたホコリっぽい空気とは大違いである。
建物は白く、薄闇のなかでは太古に滅んだ巨大生物たちの影のように、ぼんやり浮かびあがっている。
にぎやかな笑い声のもれるダンスホールの客は、貴婦人ばかりか、男でさえもハッと目を惹く端麗な容姿を誇っている。あれは美貌を元手に女たちに一夜の恋を仕掛けるジゴロであろう。一人、遠目にもブロンドが燃えるようだ。一瞬ふりかえった白皙は、まるで
行列のできている劇場では、今はどんな興行をしているのだろう。かつて、ユスタッシュが通いつめた演目は今も人気なのだろうか?
「おれがいなくても、変わらないな。ユライナは」
つぶやいた言葉を、侍従のリードが聞きとがめる。
「おさみしいのですか?」
リードは子どものころから小姓としてユスタッシュに仕えてきた。危険なブラゴール行きにも同行した少年だ。変化にとぼしいユスタッシュの顔色を読みとることにかけては天才的だ。
「さみしい? さあ、どうだろう。考えてもみなかったが」
あの人は変わらないだろうかと、ユスタッシュは思案した。
美しい皇都が変わらないように、あの人も——
「なるほど。おまえの言うとおりだ。感傷的になっていたらしい」
「旦那さまのお考えなら、おおかたわかります」
「おまえには嘘をつかないようにしよう」
しかし、そのリードも知らないことがある。ユスタッシュが少年時代、ヒルダ皇女に淡い
恋というほどではなかった。甘い蜂蜜色のかすかに切ない夢のようなもの。
だからこそ、感じやすい少年の心に、嫁いでゆく皇女の姿は、いつまでも消えない陽炎となって焼きついている。
ヒルダ皇女が従兄弟のクレメントのもとへ嫁いだのは、ユスタッシュが十三のときだった。
相手は皇女だし、美しい姫を狙う者は多かった。数ある求婚者のなかで、クレメントは目立たない男だったはずだ。性質も温和だし、ずばぬけて頭がいいわけでもなく、剣の腕ではすでにユスタッシュのほうが上だった。身分だって伯爵だ。皇女の降嫁さきには、はなはだ見劣りする。
どこにもきわだったところのないクレメントが、まさか、皇女を射止めるとは誰も予想もしていなかった。
当然、ユスタッシュも。
だからといって、どうすることができただろう? 十三の少年が二十歳の女性に対して、まだあのときには声変わりすらしていなかったのに。
(あきらめるよりなかった。何よりも、彼らは愛しあっていたのだから)
ヒルダ皇女にはユスタッシュなど眼中になかった。それだけはたしかだ。
結婚して幸福な皇女の姿を見るのがつらくて、間遠になったクレメントとの仲も、今夜にはもとどおりになるだろうか? もともとクレメントは、父方の従兄弟エルタルーサほど親しいわけではなかったが。
ユスタッシュの母ユミオンの姉が、クレメントの父に
「どうやら遅れそうだな」
物思いをふりはらい、ユスタッシュはつぶやいた。
すべての塔と窓に灯火をかかげた宮殿が、馬車の小窓からも華やかに浮きたって見えた。その敷地の広さだけで、ゆうに一つの街に匹敵する皇帝の居城。
パーティーの始まる闇一刻はとうにすぎている。
「時間にルーズなブラゴールの習慣が身についてしまったようだ。父上に知れたら大目玉だな」
「支度に手間どり、申しわけありません」
「何、のんびり風呂につかっていたのはおれだ。人目をさけて、こっそり入ろう」
ユスタッシュは以前から、そういう面でのユイラの気風は性格にあわなかった。世界中でも自由なユイラだが、エチケットにはうるさい。
「侯爵さまのご容態さえよければ、ユスタッシュさまが帰国のその日に折り返すこともなかったのですが」
「やはり、おまえも思ったか?」
「といいますと?」
「父上のお体、思わしくなかったな」
「は……」
リードは自分の主人が早くに実母を亡くし、そのぶん、ひじょうに父思いであることを知っている。笑顔で主人を元気づける。
「旦那さまのお顔をごらんになられたのですから、きっと回復なされます。気鬱の病とはそうしたものですから」
リードの心づかいを感じて、ユスタッシュも笑った。
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