結局、映画だよねー

@jinnai_85

最大の敵は自分、多分これ。

 やばい。数日前の自分のエッセイを読み返して、そう思った。数分前に更新したエッセイは、なぜか私に快感を与えてはくれなかった。心に若干の曇り空を逆に与えてきた。自分は自分にすら、牙を剥いてきたのか。そう思った。なんとなく読み返したつもりだったが、その牙を引き抜く方法を探していたのかもしれない。全然裸の心じゃないじゃないか。内臓もひっくり返す、そんなエッセイを綴りたいのだ。

 裸の心といえば、完全燃焼、そして不完全燃焼である。恋人との関係性を安定、または向上させるためにはこれがどうしてもついてまわる。少し前から心に抱いていた違和感は、完全に消え去った。過去はしっかりと、私を残して消え去っていった。しかし、次に来るのは未来だ。消え去った過去を踏まえ、これからどうしていくのか?また、自分はわかったつもりになっているだけで、もしかしたら本当はわかっていないんじゃないのか?完全燃焼したと、勘違いしているだけなのかもしれない。みたいな最悪であり、自分らしい未来がやってきた。なぜこうも、自分すらも信じてやれないものか。「23歳夏休み」を綴ったときに思っていた自分の自信のなさレベルは、過大評価しすぎていた。それとなく、自分は人より自信がないものだと端的に考えていたが、想像を絶するほど、自分は自信がないことに気がついた。そして、自分は自分を信頼していないということ。自信のなさは長期にわたって形成されたものだが、信頼に関しては、直近のなにかしらの成果物によって変動すると思われる。いわば、最近怠けているのだ。なんとなく気がついてはいた。しかし、自分が怠けているのか、そうじゃないのかすらも判断がつかないというのは、どういうことだ。人間という生き物が面白いのか、それとも自分自身が面白い生き物であるか。誰かに問いたい。

 なんでも、自分の考えに疑いをかける癖がある。ねりあめを練るように何度も何度も自分の考えに疑いをかけ、結果固すぎる濁ったねりあめが完成するのだ。そして、完成した暁には他人に左右されない。自分の頑固さは、自分の考えを信じているからだと思っていたがどうやらそうではないらしい。ここまで育ててきたのだから、他人に邪魔されてたまるか!というなんとも自分主義の考えのためだった。

 なんだかこの丸裸内臓ひっくり返しエッセイは、自分のために始めたものだったような気がするが、今では自分で自分に針を一本いっぽん刺されているかのようだ。やはり、自分も敵であるかもしれない。結局、信頼できるものなんて、せいぜい完結された物語だけなのだ。

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