ルナ(6)
気がつくと、そこは深い
先程まで聞こえていた爆声や硝煙の臭いは見る影もなく、そこにはただ、冷たい冬の静謐だけが悠然と漂っている。
……確か。
「あ、起きた?」
声と同時に、視界の端からレーナが顔を覗かせてくる。
「…………レーナ」
その声は酷く掠れていた。はにかむように彼女は笑う。
「
「……ごめん」
ふ、とレヴは視線を逸らしながら消え入りそうな声音で呟く。
自分勝手に行動した挙句、二人に必要のない危険をいくつも背負わせてしまった。戦隊長としてあるまじき行為だ。
熱線で雪が溶け、枯れ草すらも焼き払われて残っていない直線の荒野。そこで、レーナは膝枕をしてレヴのことを看病してくれていたらしい。真冬の高地だ。彼女も寒かっただろうに。
思うように動かない身体をゆっくりと起こして、霞んだ意識を少しづつ覚醒させる。瞬間。
「……ルナは!?」
恐怖と焦燥に打ち震えるレヴに、レーナは優しく、けれどもどこか哀しげな瞳で笑う。
「大丈夫だよ。ちゃんと生きてる。今は帝国軍の人と話があるからって、あっちに」
レヴとレーナの場所から少しだけ離れた、
「……その。本当にごめんなさい」
二人を守るのが私のやるべき事だったはずなのに。それを放棄して、ルナは無言で二人の目の前から去ってしまった。謝っても謝り切れない。
「謝らなきゃなんないのは俺達の方だ」
「え?」
思わず声が溢れ出る。目を上げた先、レイラは哀しげな声でそれを伝えてくる。
「ボク達、ルナに辛いことをたくさん背負わせてた。なのに、ボク達はルナに何もしてあげられてなかった。……本当にごめん」
そう言うと、二人は頭を下げてきた。
「あ、謝らないでください……!?」
一歩歩み寄って、ルナは必死に首を横に振る。部下の分まで苦しみを背負うのは、戦隊長であるルナの責務だ。私が耐え切れなかっただけで、決して二人の
「私は、結局誰も守れませんでした。だから、」
「やめてくれ」
静かな怒声にルナは苦く唇を噛む。不意に彼の瞳がきつく細められた。
「お前が居なきゃ、俺達は全員とっくの昔にくたばってるんだ。お前は十分頑張った。……だから、そんなに自分を責めたりすんな」
「ボクもキースも、今はもう居ないみんなも。誰もルナのことを恨んだりなんてしてないから。だから、そんなに自分のことを追い詰めないで」
二人の言葉にルナは目を伏せる。沸き立つ感情は複雑に絡み合っていて、どんな反応をすればいいのか分からなかった。
それを何とか押し隠して、ルナはぽつりと問う。
「……その。あなた達は、これからどうするんですか?」
ここから帰ったところで、二人の未来に光はない。過酷な戦闘の連続の果てに、彼らは死ぬ。それが帝国での
暗いルナの顔とは対照的に、二人はにこりと気遣わしげに笑う。
「どうするって……、帰るよ。帝国軍の基地に」
「亡命のお誘いはありがたいけど……。でも、ボク達にはまだ守るべき家族がいるから」
だから、彼らを置いて自分達だけが逃げ延びるだなんてことはできないと。そう、二人は言外に告げていた。
曇るルナに、キースはあっけらかんと笑う。
「そう暗い顔すんなって。俺達はお前に十分過ぎるほど守ってもらった。助けてもらった。……だから、もう、大丈夫だ」
「ルナはルナで、ボク達はボク達のやるべき事があるってだけだよ。ボク達のことはもう、気にしないで」
レイラが言ったきり。三人の間には暫し沈黙の時間が降りる。最初に口を開いたのはルナだった。
「……わかりました」
き、とルナは二人の瞳を決然と見据える。今の私では、二人やその家族を救うことも、守ることもできない。今のルナは、どうしようもないぐらいに無力だ。その事実は変わらない。だから。
ルナは笑う。哀切と微かな悲嘆を悟らせないように。精一杯に笑顔を繕って。
「どうか、お気をつけて」
それが、ルナが彼らに向けて言える言葉の全てだった。二人の生還も、安全も願うことはできないから。
「うん。じゃあ、またね。ルナ」
「…………じゃ、またな」
笑顔でそう言うと。それを最後に、二人は南の空へと飛んでいった。
飛んでいく二人を見えなくなるまで見送って。ルナはそろそろと振り向く。そこには、はたしてレヴが立っていた。
複雑な光を湛えた真紅の瞳を見つめながら、ルナは微笑する。
「……戦闘、終わっちゃいましたね」
「……そうだな」
にこりと笑い返してくるのを、ルナは曖昧な笑みを浮かべて問う。
「これからどうするんですか? 私達は」
「……正直に言うと、何も考えてなかったんだ。だから、今はどうしようかなと悩んでるところだね」
「なにそれ。やるならもう少し計画的にやってくださいよ」
「返す言葉もないな」
そんな軽口を叩いて、お互い笑い合って。そこで、二人の会話は途切れる。
暫くの沈黙ののち、真面目な声音でレヴは訊ねてきた。
「……身体、大丈夫なのか?」
「大丈夫……と言いたいところなのですが。そろそろ限界ですね。立っているのも辛いです。……なので、」
そこまで言って、ルナはレヴの下へと歩み寄る。自然と笑みが溢れるままに腕を伸ばした。
「おんぶしてください」
「……え?」
言葉を理解した途端、レヴの顔が赤くなった。もっと恥ずかしいことを言っていた癖に、今更何を恥ずかしがっているんだろう。
暫く考えた後、彼は意を決したように屈んで背を向けてきた。
「…………わかった。ほら、乗れよ」
表情は見えない。けれど、耳まで真っ赤なのに気がついて、ルナはおかしくなってふふ、と笑みを溢す。やっぱり、私はこの幼馴染が好きだ。一緒にいると心が暖かくなる。
「では、お言葉に甘えて」
そう言うと、ルナはレヴの背中へと身体をもたれかけさせる。彼の首元辺りで腕を組んで、緩く目を閉じた。
大切な幼馴染の体温と、触れ合う身体の感触。久しく忘れていた、人の暖かみ。冷えて空っぽだった心が、急速に満たされていくのを感じる。
ルナの脚を持ち上げて、レヴは立ち上がる。
『レヴ。聞こえるか?』
「あ、うん。聞こえてるよ。お前ら、いつの間に――」
レヴの言葉を遮って、アルトは口早に言葉を並べ立ててくる。
『退路の哨戒はしといてやる。……焦らなくていいから、お前
「…………わかった」
それきり通信は途切れたようで、ルナの耳には
無言で立ち尽くすレヴに、ルナは穏やかな声音で囁く。
「……私は、貴方とならどうなってもいいですよ」
レヴの身体がピクりと震えるのを感じる。けれど。それが、ルナの心からの言葉だった。
レヴは暫くの間押し黙って。小さな声で呟いた。
「…………おれもだよ」
†
それから数時間が経って、夜も更けた頃。レヴとルナはようやく駐屯基地へと帰還した。
振り向けられる多数の懐中電灯の中、レヴは決意の灯った瞳で相対するヴィンターフェルトの双眸を見つめる。
「……二人とも、よく帰ってきた」
彼の声から感情は読めない。けれど。
ルナを守る。その決意は微塵も揺らがなかった。
「君達に確認したいことがある。手当を受け次第、早急に司令室へと来るように」
医務室で怪我の手当を受けて。レヴとリズは一緒に司令室へと足を運ぶ。
部屋の中、デスク越しに座るヴィンターフェルトの双眸をじっと見つめて、レヴは問う。
「それで。話って何でしょうか」
「……これを君
そう言うと、彼は一枚の書類を二人の前へ差し出してきた。
恐る恐るそれの中身を確認して――二人は驚愕に目を見開く。
「は!? え、ど、どういうことなんですか!?」
思わず大きい声が溢れ出る。差し出された書類。それは、“結婚誓約書”だった。
至って真面目な表情で、ヴィンターフェルトは告げる。
「以前にも言った筈だが。この国で帝国人及び
「そ、それはそうですけど……!」
いやまぁ彼の言っていることは知っているが。だからって、なんで急に。
「今回のシェーンガーデンにおける〈スタストール〉殲滅作戦の完遂によって、フォースター大尉は特別な技能を所持しているものと判断された。そして。君達は二人とも十六歳だろう? ならば、双方に婚約の意志さえあれば、結婚は可能だ」
つまり。この婚約書に二人が名前を書けば、ルナは死ななくて済む。これからも一緒に生きることができる。
思いがけない生存の選択肢に唖然としていると、ヴィンターフェルトは眉を
「……嫌ならば、他の相手を用意するが」
「え? あ、わ、私は大丈夫です! で、ですが……」
ちらりと視線を向けられて、咄嗟にレヴは目を逸らす。顔が熱くなっているのが自分でもわかった。
「安心したまえ。ヴァイゼの方なら……」
「ばっ……!? 何言おうとしてんですか!?」
何かとんでもない暴露をしそうなのを感じて、レヴは必死になって押し留める。それをルナの前で開示するのは、いくらなんでも駄目だろう。
「…………?」
いまいち要領を得ないルナは首を傾げて。その姿にレヴはほっとする。どうやら、伝わってはいないようだ。
安心したのも束の間、ヴィンターフェルトは穏やかな声音と表情で告げる。
「君達の意志は明確なのだろう? ならば早急に書きたまえ。……こういうものは、あまり時間をかけるものではないからな」
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