ルナ(3)

 ――爆発。



 続く連鎖的な爆発音と共に身体を抱き抱えられる感覚がして、ルナはゆっくりと目を開く。

 飛び込んできた光景に唖然とした。


「え…………?」


 周囲に居た航空型フレスヴェルクは散開していて、包囲網だったらしいそこからは急速に遠ざっている。赤い光越しに見えるのは、一列に爆炎を咲かせる航空型フレスヴェルクの残滓だ。そして。なにより。

 がする。機械や兵器の冷徹さではない、温くて柔らかいものが。

 信じられない様子で隣を見やると、そこにはレヴが居た。

 連邦軍の軍服に、右手には魔力付与エンチャントに煌めく一振りの剣。左眼は相変わらず包帯に巻かれていて、万全の状態ではないことは明白だ。 


「な…………、」


 ルナは驚愕に目を見開く。なんで。彼がここに居るんだ。


「何をしてるんですか!?」


 思わず怒鳴りつけた。ここはルナが独りで死に逝く墓場であって、彼が来るような場所ではない。まして、そんな身体で来るなど自殺行為だ。


「見りゃ分かんだろ! あいつらから一旦距離取ってんだよ!」


 こちらには目もやらず、レヴは魔力翼フォースアヴィスを全開にして〈スタストール〉の群れから距離を取っていく。急上昇で吹き付ける強風が、銀の髪をなびかせてきらきらと陽光に煌めいていた。


「そういう事を聞いてるんじゃありません! 貴方、自分がしている事を分かってるんですか!?」


 ルナに下されたのは、単騎での〈スタストール〉殲滅だ。魔術特科兵はおろか、一発の弾丸ですらも支援は許されていない。それに。ただでさえレヴは軍規違反を犯した身なのだ。命令に背いての行動は命に関わる。


「それはこっちの台詞せりふだ!!」

「っ……!?」


 逆に怒鳴り返されて、ルナは一瞬戸惑う。

 憤りと悲しみのこもった真紅の双眸が、至近でルナに向けられる。昔から変わらない、紅玉ルビーの如き綺麗さで。


「なんでこんな苦しんで死ぬだけの作戦に従うんだ! なんで誰にも助けを乞わない! なんで全部一人で抱え込むんだ!」


 その言葉に、ルナはかっとなる。


「何を知った口を!?」


 私がどんな思いでこの作成任務を受けたのか、知りもしないくせに!


「私はステラを守れなかった! 貴方達の大切な人を殺した! たくさんの人を死なせて、結局誰一人救うこともできなかった!」


 これだけの罪だけを重ねて、いったいこれからどう生きろと言うんだ。


「それを償うには、もうこれしか方法がないのよ!?」


 なるべく苦しんで、それから死ぬ。それが、今の私ができる最大限の贖罪しょくざいだ。もはや他にできることなど何もない。


「ふざけるな!!」


 憤りに任せてレヴは叫ぶ。


「妹を守れなかったから……リズを殺したから。だから、命で償うしかないと。お前は本気でそう思ってるのか!?」

「だって、それしかないじゃない!?」


 死んだ人は生き返らないし、その事実も変えられない。誰も守れなくて、誰も救えなくて。結局、誰かを殺して、奪うことしかできなかった。そんな自分に生きる価値などない。そして。生きる意味も。


「そんなことあるもんか!」


 鬼気迫る勢いのまま、彼はその激情を叩き付けてくる。


「おれだってたくさんの人を殺した! たくさんの人を守れなくて、シャロも守れなくて……、ステラも殺して! けど、おれは今ここにいる!」


 死んだ人達の分まで生きようと、散った命を無駄にしないためにと。


「その罪を償おうと思うんなら、死んだ奴らの分まで生きようと足掻くんだ! 死を選ぶんじゃなくて、生きて戦うんだ! 生きてちゃいけないなんて、そんなの自分で決めることじゃない!」


 そう言うと、彼は向き直ってくる。真正面からルナの瞳を見つめて、彼は言う。


「おれはルナが生きてて嬉しかった! またこうして話せて嬉しかった!」

「っ……!?」

「おれはルナに生きていて欲しい! これからもずっと一緒にいてほしい! もし生きるのが辛いなら、おれも一緒にその罪を背負ってやる! 生きる価値がないって言うんなら、おれがつくってやる! だから……っ!」


 一拍置いて。彼は決然と告げた。


「ルナは生きてていいんだ!!」


 その言葉に。ルナは胸中で渦巻いていた何かがゆっくりと溶けていくような感覚を覚えていた。目頭が熱くなり、視界がぼやけて彼の顔が見えなくなっていく。ずっと堪えていた感情が次々と溢れ落ちて止まらなかった。


「…………私は、」


 絞り出した声は震えていた。それを言っていいのかも、そもそも私にそれを言う権利があるのかも分からない。けれど。自然と、その言葉は口からこぼれ出ていた。


「私は、ここにいてもいいんですか……?」


 数え切れない程の罪を犯して、たくさんの人を殺して、奪って。誰も守れなくて、誰も救えなくて。何も成せなかった私が。

 刹那、レヴは目を見開いて――決然とした声音で怒鳴り返した。


「当たり前だ!」


 瞬間。ルナの中で抑えていたものが崩れ去る音がした。

 留めていたものが涙となって頬を伝い落ちる。もう、自分では止められない。感情の洪水が自制の心を押し流していく。

 ゆっくりと、優しく抱き留められる肌の感覚。体の芯から温かくなっていく、人のぬくもり。もう二度と触れることはないと思っていた、大切な幼馴染の感触。


 気がつけば。ルナは小さな子供のように声を上げて泣いていた。 

 ずっと苦しかった。辛かった。けれど、私は戦隊長だから。姉だから。みんなには不安を感じさせては駄目だと思って。何もかもを隠して、押し殺して。笑顔と安心を振り撒いて。

 必死に戦って、それでも何も守れなくて。誰も救えなくて。後悔と罪だけが積み上がってしまって。

 そんな自分は生きる価値がないのだと。生きる意味もないのだと。そう思っていた。

 けれど。



 ――私は。ここにいても、いいんだ。



 燃え上がるようなうつくしい緋色の空の中、ルナはレヴに縋り付くようにして慟哭する。眼下の〈スタストール〉の軍勢も、この先のことも今はどうでもよかった。ただ。レヴの言葉が、その存在が。どうしようもなく嬉しくて、尊かった。 

 ひとしきり泣いたあとで、ルナはゆっくりとその抱擁から離れる。袖で涙を拭って、決然とレヴの瞳を見つめた。


「……あれさえ落とせば、あとはどうとでもなります」


 指揮管制型ニーズヘッグ。あれさえ落とせば〈スタストール〉は各機の連携を失い、ただの有象無象と成り下がる。そして、連携のない彼らに討たれるほど、ルナ達は弱くない。


「周囲の航空型フレスヴェルクは私が何とかします。……レヴ。貴方は指揮管制型ニーズヘッグの方をお願いします」

「……分かった」


 レヴはこくりと頷いて。直後、二人は眼下に迫る航空型フレスヴェルクの大群を睨み据えた。


「……じゃあ、頼むぞ」


 言い置いて。瞬間。レヴは魔力翼フォースアヴィスを全開にして航空型フレスヴェルクの大群のその先――指揮管制型ニーズヘッグへと向かって急降下していった。

 同時に、ルナも魔力翼フォースアヴィスを全開にしてそれに追従する。残る魔力を振り絞って〈ルイン〉を再起動。分離。〈ドラウプニル〉を構え、突撃するレヴの支援体勢を万全にする。

 赤い光翼はどんどん遠くなっていく。が、決して見失わない。彼に群がる航空型フレスヴェルクを片っ端から照準。一斉斉射フルバースト


 五門の光線がそれぞれ別の航空型フレスヴェルクを穿ち、それらの核を正確に撃ち貫く。瞬間。緋色の空には爆炎の花が咲いていた。

 爆散と同時に目を離し、ルナが見据えるのは次の機体。赤い光球を形作る航空型フレスヴェルクを、五門の射線をもってして次々と撃ち落としていく。魔力は残り少ないから、射撃は必要最低限に。避けられるものやそもそも射撃体制に入っていないものは、攻撃範囲外だ。


 撃ち尽くした〈ドラウプニル〉の弾倉を投げ捨て、再装填リロード。それを隙と見たか、一機の航空型フレスヴェルクがレヴへと熱線を放とうとしているのが視界に入った。

 〈ドラウプニル〉は装填中。〈ルイン〉の照準も間に合わない。

 瞬間。ルナは咄嗟にあるものを投擲していた。

 緋色の熱線がレヴ目掛けて放たれる。直撃する寸前で、は効果を発揮した。

 菱形の光がレヴの隣で煌めき、熱線を正面から受け止める。その裏に居たレヴは全くの無傷だ。


 ――魔術防護盾。

 出撃前にルナが大佐から支給されたものだ。接近する魔力を感知し、一度限りの防護魔術を自動で発動するもの。

 直後。〈ルイン〉を照準。発砲。着弾と同時に自爆装置が作動し、自壊の爆炎が空を刹那染め上げる。

 ルナを信頼してくれているらしい。それには一瞥いちべつすらもせずに、レヴは更に大群の奥へと突っ込んでいく。その姿に、ルナは心が暖かくなるのを感じていた。状況にそぐわない笑みが溢れ出る。

 ほんとうに、この人は。


 とはいえ、状況は不利極まりない。レヴが命懸けの突撃作戦を敢行してはいるものの、航空型フレスヴェルクの数が多すぎるのだ。ルナの魔力に余裕がない今、これではいつまで守り切れるのかも分からない。長くは持たないのだと、自分の身体は告げていた。

 ……どうしたものか。 

 引き金を引く傍ら、ぎり、と奥歯を苦く噛み締めた、その時だった。

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