持て余す平穏(9)

 翌日。レーナとアルトは新人特科兵の指揮に当たるために、魔力翼フォースアヴィスで前線へと翔けていた。

 近づく度に大きくなっていく砲聲ほうせいを聞きながら、レーナは呟く。


「……私、決めたから」


 え、とアルトは思わず訊き返す。


「フォースター大尉も、レヴも。私はやっぱり許すことはできない。……けれど。だからって、死んでほしいとも思わないから」


 ちらりと視線を向けて、レーナはアルトへと問う。


「アルトは。どうするの?」

「…………」 


 アルトは答えなかった。



 俺は。二人を――…………




  †




 レーナとアルトが前線へと出撃するのを見送ってから、幾らか時間が経って。時計が十二時を回った頃。レヴは一人食堂で暇を持て余していた。

 烹炊ほうすい員の人達はみんな前線支援に行っているし、ルナも今は司令官室でヴィンターフェルトの聴取を受けている状態だ。……つまり。現状、レヴだけが暇を持て余している訳で。

 閑散とした食堂で少し冷めたコーヒーを啜りながら、レヴははぁと一息をつく。ふと、懐にしまっておいた拳銃を取り出した。

 お前が彼女ルナを守れと、ヴィンターフェルトに直接手渡された連邦軍の制式拳銃。

 脳裏に甦るのは、聖誕祭クリスマスの日。シェーンガーデンでの戦闘でルナに言われた言葉だ。



 ――“誰も死なせない”んじゃなかったんですか!

 ――指揮管制型あれは貴方の大切な、守りたいものなのですか!?



 シャロの亡霊ですらもない模造品に心を揺さぶられて取り乱していた時。ルナはそう言ってレヴの目を覚まさせてくれた。

 シャロはもう居ないんだと、お前が守りたいものは本当にそんなものなのかと。

 自分が撃たれるかもしれないのに、航空型フレスヴェルクの真っ只中を突っ切って。危険を顧みずにレヴを指揮管制型ニーズヘッグの攻撃から守ってくれた。叱咤して、過去の呪縛から救ってくれた。

 そんな大切な人を、レヴはもう絶対に喪いたくない。失わせない。

 そう再び決意して。レヴは銃身を強く握り締めた。

 ふと、軽い足音が聞こえてきて、レヴは咄嗟に拳銃を元の位置へと戻す。視線を向けた先、そこにはやはりレーナがいた。着ている服は連邦軍の女性用軍服で、あちこちに見られていた怪我や傷はもう殆ど残っていない。唯一、月白げっぱくの髪だけがその服装に似つかわしくなくて異彩を放っていた。


「おかえり。ルナ。聴取はもう終わったの?」

「……ええ。まぁ」


 か細い声で言うのを、レヴは耳をすまして聞く。最近のルナは体調こそ回復してはいるものの、どうもそれに反比例して元気がなくなっているようだった。

 無理もないな、とレヴは思う。何せここは敵地の真っ只中な上に、周りに居るのも敵として討ってきた連邦軍の軍服を着た人ばかりなのだ。不安になるのも当然だろう。


「お昼ご飯。烹炊ほうすい員の人達が作り置きしてくれてるけど……、食べる?」


 あからさまな作り笑いをして、ルナはゆっくりと首を横に振る。


「……その。食欲があまりなくて」

「けど、少しぐらいは食べなきゃ。体に悪いよ。今日、朝ご飯も殆ど食べてなかっただろ?」

「それは、その。……はい」

「他に何か食べたいってんなら、おれがつくろうか? こう見えておれ、料理は結構得意なんだよ」


 少しでも楽しく、笑って過ごして欲しくて。レヴはいつもより明るい口調をつくって言葉を掛ける。だけど。曇りきった真朱の瞳には、それらは何らの影響も及ぼしたりはしない。


「大丈夫です。後でちゃんと食べますので」

「そ、そう? なら、いいんだけど……」


 きょとんとした表情を装いながら。内心、レヴは強い無力感に打ちひしがれていた。

 ――どうしたら、彼女の心を癒すことができるのだろう?

 目が合う度にそんなことばかりがレヴの脳裏を駆け巡る。ルナの曇りきった真朱の瞳は、最早完全に現在いまを見ていない。妹を守れなかった過去の自分を映して、その絶望に日に日に蝕まれている。そして。レヴはそんなルナに何もしてやれていない。

 守ると誓ったのに。幸せに生きて欲しいのに。

 なのに。おれはいったい、何をしているんだろう……?




  †




 夕方になって、帰ってきて早々レーナから二人で屋上に来て欲しいと言われて、レヴは複雑な気持ちを何とか抑えてルナと一緒に屋上へと上がる。

 一面朱色の空の中、そこにはレーナとアルトがこちらを見据えて立っていた。

 新しい怪我がないことに一度ひとたび安堵しながらも、レヴは警戒しつつ二人の元へと歩み寄る。ルナを守るように歩いてるのに気づいたらしい、レーナは少し悲しげな顔をした。


「……話って、なに」


 冷たい冬の風が吹き付ける中、レヴは単刀直入に問う。

 暫しの沈黙の後、レーナはルナへと視線を向ける。決意のこもった声音で、口を開いた。


「……私は。やっぱりあなたを許せない。妹を殺した白藍種アルブラールで、リズを殺したあなたは」


 嫌な予感を感じて動くレヴを、ルナは片手で制止する。真朱の双眸に硬い光を湛えて、その言葉を真正面から真摯に受け止めていた。


「でも。あなたが妹を想う気持ちも、そうするしかなかったのも分かるから。…………だから、その、」


 レーナが口篭るのを、アルトが一歩前に出て後の言葉を引き取る。


「理解はしてやる、ってことだ。リズを殺したあんたも、見捨てたレヴも」


 押し黙るレヴとルナに、アルトは厳しい口調で続ける。


「俺はお前らを絶対に許しはしねぇが。……だが。お前達のやったことは理解できるし、俺ならしねぇとも言い切れない」


 だから理解はするし、やった事は認めてやる。けれど、その罪業は許さないし、許す気もない。だから、これからもリズの死を背負って生きろ。

 そう、彼の言葉は、言外に物語っていた。

 レヴは無言でこくりと頷く。

 当然だ。それすらできないのでは、誰も守れはしない。

 視線をちらりと隣へ向けた先、ルナは無言で俯いていた。表情は髪で隠れて見えない。けれど。そこに絶望は感じられなかった。


「私が話したかったのは、それだけ。……じゃあね」


 涙を押し留めた声で言うのが聞こえて、レヴは視線を戻す。直後、レーナはレヴの脇を足早に駆け抜けていった。

 きらり、と髪留めの金色が煌めくのが、視界の端に映る。

 話は終わりだとばかりにアルトも立ち去ろうとするのを、レヴは呆然とその場で立ち尽くす。隣を通り過ぎる直前。彼は囁くように呟いた。


「そいつを守ってやれ。レヴ。……じゃねぇと、リズの死んだ意味が分かんねぇ」

「え?」

「じゃあな」


 一方的に言い置いて。驚愕に振り返るレヴを傍目に、アルトは去っていった。




  †




 基地の皆が寝静まって、相部屋のレヴも眠りに落ちた頃。相変わらず寝付けないルナは、一人部屋を出て司令官室へと向かう。



 灯火管制のかかった薄暗い廊下を抜けて、三階の司令官室へ。こんこん、と扉をノックすると、暫くしてから内側から開かれた。


「……こんな時間に、一体何用だ?」


 見下ろしてくる赤紫の瞳をしっかりと見据えて、ルナは決然と告げる。


「昼に言っていた私の処遇の件、受けさせてください」

「……わざわざ自ら死地に赴く必要はないのだぞ」


 微かに愁眉を寄せて、大佐は言ってくる。

 確かに、彼の言う通りなのかもしれない。あんな処遇を選ばなくとも、ルナはどの道死ぬ。ならば、楽で苦しむ必要のない方が良いに決まっている。

 けれど。


「大丈夫です」


 きっぱりと、ルナは大佐の言葉を跳ね除ける。

 私は知ってしまった。レヴの優しさに。その仲間達の優しさに。敵と決めつけ、討ってきた者達の優しさに。だから。

 ルナはにこりと笑う。屈託のない、無垢な笑顔で。


「最後ぐらい、誰かの役に立って。それから死にたいんです」

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