第六章 星《Stella》

星(1)

 絶滅収容所の爆破解体作業を終え、満身創痍の状態で基地へと帰還したルナは、そこにステラが居ないことに疑問を覚えてハンドラーの下へと尋ねて来ていた。

 そして。彼の執務室で、ルナはを聞く。


「ステラが新設部隊に志願したって……そんな、いったい何故ですか!?」


 驚愕と恐怖に胸がいっぱいになるのを、何とか堪えてルナは抗議の声を上げる。

 ステラは――私の妹は、帝国軍に属するルナの人質として、私が生きている間の生命の安全は保障されていたはずだ。なのに。何故。そんなことが起こりるんだ。


 叫ぶルナとは対照的に、ハンドラーたるフリーヴィスは淡々と言葉を返す。


「昨日、君達が爆破解体任務へと赴いている間に、人質達の軍事適性検査があった。そこで、君の妹――ステラ・フォースターは、全ての能力において最高の評価を受けたんだ。それも、君の比にならない程のな」

「……っ!?」


 彼の言葉に、ルナは絶句する。最高の素質を持っていた。だから、私の妹は規程を破って軍に徴兵されたというのか? そう思った途端、ルナの胸中には言い様のない激情と絶望が込み上げてくる。


 ……なら。今まで私がやってきたことは、いったいなんのために。

 同期の魔術特科兵を何人も殺害し、レヴの友達を何十人と奪い、同じ紅闇種ルフラールを何百、何千と殺戮してきたのに、いったい何の意味が?


 ――妹を、守れもしないのに。


 失意に沈むルナに向けて、フリーヴィスは極めて冷淡に言葉を投げかけてくる。


「ルナ・フォースター大尉。君にも、今回の作戦については参加の打診が来ている」

「え……?」


 それって。つまり。


「〈公現節エピファニー〉作戦には、少数精鋭での護衛部隊も編成される。その招集が、君にも来ているんだ」

「……それが、ステラが参加する作戦なのですか?」


 声を絞り出すように問うた。対して、フリーヴィスは微かに目を細めて応える。


「そうだ」


 短く、そして簡潔な答え。


「参加するかしないかは君の自由だ。作戦内容を確認して――」

「行きます。行かせてください」


 彼の言葉を途中で遮って、ルナは頭を下げた。

 ステラが行くのに、私が行かない訳にはいかないだろう。だって、私はステラを守るために生きているのだから。まだ守れるのならば、守り通すのが私の生きる意味で、役目だ。

 暫しの沈黙ののち、フリーヴィスは淡々と、感情の読めない声音で告げる。


「……では、本日付でルナ・フォースター大尉は第一三独立特務隊を除隊。ピースメイカー隊へと移籍とする」

「……ありがとうございます」


 丁寧にお礼を言ってから、ルナは執務室を出た。




  †




 『聖なる夜ザンクト・ナハト』作戦が発令の翌日には失敗に終わり、一九四九年が終わって一九五〇年を迎えた、一月六日。

 その日も戦線での戦闘を無事に終えたレヴとリズは、しんしんと雪が降り積もるノルトベルクの町を歩いて駐屯基地へと向かっていた。


 レーナとアルトには二ヶ月の休養が言い渡されているので、ここ最近はレヴとリズだけでの出撃が続いている状態だ。怪我が完治するまでは、レーナとアルトはとても戦闘には出せる状態ではないからと。


 聖誕祭クリスマスの時よりかは幾分いくぶん質素なものの、幸せそうな活気に満ち溢れた町中を、リズは肩を竦めて苦笑する。


「……年末にあんなことがあったってのに、公現節こうげんせつはちゃんとやるのねぇ」


 緘口令かんこうれいが敷かれてはいるものの、〈スタストール〉の活発化及び侵攻行動による緊張感は、近隣の住民には空気感で何となく伝わってしまっていたようで。


 少なくとも、年末のノルトベルクには〈スタストール〉に対する恐怖と厭世えんせい的な空気がうっすらと蔓延はびこっていた。

 酒を飲んで騒ぐ一団をちらりと見やりながら、レヴは微かに口の端を吊り上げる。


「あんな事があったから、じゃないの?」

「というと?」

「あんまり言語化はできないんだけど……。ただ怖いって怯えてるよりかは、敢えて楽しいことをしてる方が気持ちが強く持てるんじゃないかなって」


 怖いから。明日生きているのか分からないから。だからこそ祝祭をいつも通りに行って、今ある幸せを噛み締めて、謳歌する。

 白鉄の群れに、戦争に心まで屈するかと、自分達の心を強く保つために。


「……まぁ、確かに?」

「それに、パニックになったり店全部閉められたりするよりかは、今の方が全然良いでしょ」


 冗談めかした口調で微笑するのを、リズはふふ、と笑みを溢す。年相応に無邪気な、けれどもどこか淑女然とした笑い声。


「あ、そうだ。レヴ。折角だし、お留守番してる二人にお土産でも買ってかない?」

「おれは良いけど……何買うの?」


 訊ねるレヴに、リズは少し呆れたように笑いかける。


公現節こうげんせつといったら、あれしかないでしょ」




 色々考えた末に結局二人で少し高めのお菓子を買って、レヴとリズは駐屯基地への帰路に着く。

 食堂へと足を進めると、そこには夕食を待ちながらラジオを聴いている二人の姿があった。


 レーナの羽織った男性用の軍服から覗くのは、腹部に巻かれた痛々しい包帯の白色だ。女性用の軍服はワンピースだから、万が一があった場合にはすぐに脱がせるようにと、今は男性用のものを着せられているらしい。


 アルトの傷は殆ど完治してはいるものの、未だに左腕の骨折だけが治っていない状態だ。三角巾を首からぶら下げている姿は、それが直ぐに治るものではないことを如実に物語っている。


 二人の怪我は、両方とも先の〈スタストール〉との戦闘で負ったものだ。どちらも運良く致命傷にはならなかっただけで、死んでいたかもしれない深い傷。

 レヴにもっと力があって、覚悟あれば、防げたかもしれない傷跡。

 こちらに気づくなり、二人はラジオを止めて声を掛けてくる。


「おかえり、二人とも」「お疲れさん」


 にこりと笑いかけて来るのにただいまと返しながら、レヴとリズは二人の下へと歩み寄る。椅子へと座って、レヴは手に持っていた紙袋を机に置いた。


「これ……なに?」


 レーナが首を傾げてくるのを、レヴは微笑しながら言う。


「ケーニヒスクーヘンだよ。今日、公現節こうげんせつでしょ? だから、リズと一緒にお土産買おうって話になって。それで」

「そんなんよく買って来たな。結構高かったろ?」


 〈スタストール〉戦争によって領土が大幅に削られ、他国との貿易も絶たれている今、砂糖は配給制の対象であり、大変高価な代物と化している。つまり、砂糖をふんだんに使用したそれは、かなりの高級品だ。レヴの一ヶ月分の給与ぐらいは軽く吹き飛ぶぐらいには。


「まぁ、それはそうなんだけど。どうせ使うこともあんまりないから、たまには良いかなって」

「……お前が良いんなら良いんだけどよ」


 アルトが少し引きったような笑みを溢すのを見やりながら、レヴはふと視線を前の二人へと向ける。

 すると、リズがレーナに小箱を手渡しているのが目に入った。


「はい。これ、レーナにお土産」


 にこりと微笑みながらリズが言うのを、レーナはきょとんとした瞳で見つめ返す。


「開けてもいいの?」 

「ええ、もちろん」


 断りを入れてからレーナは小箱を開ける。すると、中から出てきたのは小さな髪留めクリップだった。金色の花柄が綺麗な、実用とお洒落が両立された彼女らしい選品の。


「私とレーナでお揃いのを買ってみたの。気に入ってくれたら嬉しいのだけれど……、どうかしら?」


 ふと、リズの顔を見ると、彼女の髪には同じ柄と色の髪留めが付けられてあった。今朝の出撃時には付いていなかったはずだから、恐らく、つい先程買って付けたばかりなのだろう、レーナのものと同じ柄と色の。

 赤い瞳をきらきらと輝かせて、レーナは満面の笑みで言葉を返す。


「ありがと、リズ! 大事にするね!」


 釣られて、リズに顔にも笑みが浮かぶ。


「気に入ってくれたのならよかった」


 そんな二人の少女の微笑ましいやり取りを何となく見つめていたレヴは、椅子の背もたれにもたれかかりながらはぁと息を吐く。


 硝煙と銃砲聲じゅうほうせいばかりが飛び交う苛酷な戦場の合間の、ひとときの安息の時間。この時間があるから、レヴは戦える。帰る場所があるから。守るべき仲間と、思い出があるから。


「……レヴ。お前は俺になんかねぇのか?」


 あからさまに冗談だと分かる声色に、レヴは呆れに微かな嫌悪感を込めて言い捨てる。


「そんなのないし、あっても気持ち悪いだけだろ」


 確かに、と苦笑する声が、隣からは聞こえた。




 その後は夕食を食べ終わって、いつも通り烹炊ほうすい員の二人と軽い談笑をした後に、料理長に怒鳴られてそそくさと帰って行くのを見て笑って。各自で風呂に入ったあとに、ケーニヒスクーヘンは明日の休暇にとって置こうとの話になって、そろそろ時間だし部屋に戻ろうとの話が出始めた、その時だった。


 突然、耳をつんざくようなけたたましい警報音が鳴り響いたのは。


「え……? なに……!?」


 寝巻き姿のレーナが不安げに呟くのを、リズが抱き寄せるのが見える。それをちらりと見やりながら、レヴは真紅の双眸を細めてスピーカーの方へと向けた。


 ……間違いない。この警報音は、戒厳令の発令警報だ。生命の安全に関わる重大な非常事態に対し、憲法及び法律の一部を軍の支配下に置くことを定める法令。


 しかし、妙なのは周囲に鳴るのはその警報音ばかりで、銃声や砲撃の着弾音などの戦闘の音は一切聞こえてこないことだ。ただ、夜の静寂に不気味に響く警報音だけが音を立てていて、その他に聞こえる音がない。


 事態に疑問を覚えながらも硬直するレヴ達の耳には、ヴィンターフェルトの淡々とした放送の声が聞こえてくる。


『ヴァイゼ大尉及びバルツァー少尉は至急、戦闘準備ののち、司令官室へと出頭せよ』


 ……どうやら、ただ事ではないらしい。緊迫した空気を肌で感じつつ、二人はそれぞれの部屋へと駆け足で向かった。




 ヴィンターフェルトの執務室。そこで、二人は現在起きている事態を聞く。


「先程、国軍本部より連邦全土に向けて戒厳令かいげんれいが発令された」

「全土に……ですか?」


 開口早々信じられない言葉を聞いて、レヴは思わず眉をひそめる。

 対帝国戦争において、連邦は戒厳令を敷かずに通常の行政体制を固く維持してきた。なのに。そんな政府が連邦全域に戒厳令を敷いたというのか。


「今から一時間ほど前、北部第五戦線にて敵の新型兵器――コードネーム〈破壊者ツェアシュテール〉を中核とする帝国軍部隊が侵攻を開始した。現在、〈破壊者ツェアシュテール〉部隊はその防衛線を突破し、西進を続けている。これに対し、国軍本部は私達第三独立魔術特科戦隊にこの〈破壊者ツェアシュテール〉の撃破に当たれとの司令を下達した」

「〈破壊者ツェアシュテール〉の現在位置は?」


 リズが静かに問うのを、ヴィンターフェルトは告げる。


「現在、〈破壊者ツェアシュテール〉はヴォルフハイムの守備隊と交戦中だ」

「もう、そんなところに……!?」


 リズは微かに目を見開く。ヴォルフハイム。連邦首都・ベルリーツの目と鼻の先だ。

 き、と赤紫の双眸を細めて、ヴィンターフェルトは淡々と続ける。


「そこに至るまでの各都市及び守備隊は既に壊滅したとの報告も受けている。現在、ベルリーツ周辺の守備隊を集結させて対応に当たっているそうだが……、これまでの惨敗を考えるに、そう長くは持たないだろう」

「……敵の数はどれくらいなんです?」


 おずおずとレヴは訊ねる。いくら強力な兵器が投入されていたとしても、流石にその進軍速度は異常だ。たった一時間で壊滅するほど、連邦軍は脆弱ではない。


「……敵兵力の詳細な情報は不明だが、」


 暫し、ヴィンターフェルトは口を噤んで。静かに告げた。


「〈破壊者ツェアシュテール〉の他に、護衛部隊として〈白い悪魔ヴァイサートイフェル〉が確認されている」

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