第七章 持て余す平穏と、加速する憎悪の中で
持て余す平穏(1)
視界外からの射撃にルナが撃たれるのを、レヴは呆然とした表情で見つめる。はっとして振り向けた先、そこには片手で小銃を構える少年の姿があった。
短く揃えた赤髪に、
咄嗟に通信機を開きかけて――少女の悲痛な呻き声に、その行動は掻き消される。
「う……ぐ…………!?」
再び視線を前へと向けると、そこには右胸を苦しそうに抑えて悶えるルナの姿があった。
どうしていいのか分からず、レヴは暫しその場で立ち尽くす。すると、突然、ルナが
「っ……! ルナ!?」
考えるよりも先に、身体が動いていた。咄嗟に近寄って、レヴはルナの身体を抱き抱える。先程までは彼女と本気で殺し合っていた事など、思考からは吹き飛んでいた。
抱えた身体は全身傷だらけで、とても痛々しい姿だった。右胸からは大量の出血が確認できていて、これは恐らく先程のアルトの狙撃によるものだろう。
けれど。何より驚いたのはその軽さだった。とても同年齢の、それも同じぐらいの身長の少女とは思えない程に、ルナの身体は軽かった。服の上からでも分かる程に体は痩せ細り、真近で見る彼女の顔はやつれて肌は荒れていた。綺麗な月白の髪も今はもう見る影もなく、鈍い銀色のみを湛えている。
瞬間。レヴは心の奥底から沸き立つ激情に衝き動かされるようにしてその場を発っていた。
何やら通信機からアルトの驚嘆が聞こえてくるが、それもレヴの耳には入らない。ただ。ルナを助けなくては。その感情だけが、今のレヴを支配していた。
大切な幼馴染。おれを救ってくれた、かけがえのない人。
腕の中で悶えるルナの
――死なせたくない!
その一心で。レヴはルナを抱えてフォルストリーツを去った。
自分がどんなルートで帰ったのかは覚えていない。ただ、ルナを死なせたくないの一心で、レヴはノルトベルクにある自分達の駐屯基地へと降りていた。
何とか応急処置はしたものの、このままでは彼女の命は助からない。とにかく、軍医に診て貰って、ちゃんとした治療を受けさせないと。でないと、また、大切な人を喪ってしまう。
兵舎のドアを蹴飛ばして、レヴは必死の形相で医務室へと飛び込む。軍医と
「先生! この子を――怪我の手当てを!」
空いていたベッドにルナを優しく横たえて、レヴは二人へと向き直る。ルナを確認するなり、
「手当てって……、その子、
「はっ――!?」
その言葉に、レヴは驚愕に目を見開く。帝国では
煮え
「そ、そんなの今はどうだっていいでしょ! とにかく、早く治療を! でないと……!」
でないと。ルナが。
そこまで言って、急に意識が遠のいた。足元が覚束なくなって、
「あ、貴方こそ治療を……」
「おれは後でいいですからっ……! だから、その子を――!」
おれはどうなってもいい。けど。ルナだけは――!
しかし、そんな願いは無情にも軍医の言葉に断ち切られる。
「その子は帝国軍の兵士だろう? 司令の許可もないのに、敵兵の治療などできんよ」
「なにを……!?」
挫けそうになるのを何とか堪えて、レヴは二人を見上げて睨み付ける。
こんなに苦しんでいる女の子を目の前にして、こいつらは何も思わないのか!?
何か。どうにかしてこの二人にルナの治療をさせないと。でないと。おれは。
遠のく意識の中で、レヴはただそれだけのために必死に思考を巡らせる。けれど。答えは一向に出なかった。
レヴ達は連邦軍人で、ルナは帝国軍人だから。たったそれだけなのに、そのせいでルナは治療すらも受けられないのか。同じ人間で、まだ十六歳の女の子だというのに。
真紅の瞳から、悲嘆と後悔の涙が頬を撫でていく。
「ヴァイゼ。貴様、何をしている」
突然、ドアが開かれたと同時に、聞き慣れた低い男の声が聞こえてきて、レヴは振り返る。見えた顔に、呆然とした言葉が溢れ落ちた。
「たい……さ……?」
そこに居たのは、ヴィンターフェルトだった。感情の読めない赤紫の双眸が、床に頽れるレヴの瞳を見つめ返してくる。
保安部隊を制止して、彼はその瞳をルナの方へと向ける。軍医の方へと向き直ると、彼は淡々とした口調で告げた。
「私の名をもって、その少女の治療を許可する。……絶対に死なせるなよ」
†
レヴが
二人が出撃した後に、ヴォルフハイムが敵部隊の攻撃で壊滅したことをレーナ達は知った。
ヴォルフハイムには両親が住んでいたから、その時にレーナは錯乱状態に陥ってしまって。気が付いた時には、自室のベッドで眠っていた。
一階の食堂に戻ると、アルトは居なくて。
後付けで司令は出ていたけれど、彼の怪我ではまともに戦えるとは思えない。だから、心配でずっと待っていたのだけれど。
終始無言のアルトに疑問を覚えて、レーナはおずおずと訊ねる。
「…………アルト? どうかしたの?」
いつもの
……それに。
「ねぇ、リズは?」
レヴが帰ってきて、アルトも帰ってきて。なのに、なんでリズだけが未だに帰って来てないのだろう。
上目遣いで見つめた先、彼の黒色の瞳には、悲嘆の色が滲んでいた。
「…………ごめん」
「え?」
謝罪の意図が分からなくて、レーナは困惑する。今、彼に謝られる様なことは何もない筈だけど。
「間に合わなかった」
そう言って、アルトはおもむろにポケットから何かを取りだした。その掌には赤い血がまとわりついていて、物々しいものを感じさせる。
開かれて、そこには一つのドッグタグが握られてあった。鈍色に淡く煌めく、金属製の長方形の薄いプレートの。
とても、嫌な予感がした。
「え…………?」
全身が恐怖に竦み、
「これしか、持って帰ってこれなかった」
そう言うアルトの顔は俯いたままで、表情は見えない。けれど。声が少し震えていた。
レーナはそのドッグタグを手に取って、裏返す。
彫られた名前を認識して、その場にへたりこんだ。
涙が滲み、喉から嗚咽が溢れ出る。血に濡れるのも構わず、両手でそれを胸で抱き締めた。
――“リズ・リッター・バルツァー”。
私の大切な、そして大好きな。かけがえのない親友の名前が、そこには彫られていた。
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