刃の先は(5)
現在の帝国との国境線に位置する東部シュネールプス山脈の主峰、ティーアホルンの峰を抜けて、見えて来たのは一面純白の雪に包まれた平原だった。
対〈スタストール〉戦争以前には保養地として栄えていたらしい、シェーンガーデンの麗らかな白銀の雪原に、レヴ達はつい目を奪われる。
その上空。割れるような群青の中を
「せっかくの
なのに。なんで。よりにもよって今日に任務が入ってしまったのか。
新しいお洋服も買って、回る屋台も決めて、美容院も予約してたのに。なのに、それらの用意が全て無に帰してしまった。
あからさまにしょげ返るレーナを、隣で飛んでいたリズが愁眉を寄せて微笑する。
「帰ったらまた作戦を練り直しましょうね」
レーナが今日――十二月二十五日の聖誕祭にどれだけの覚悟と気合いを入れていたのかをリズは知っている。だからこそ、彼女の消沈ぶりにはとても心にくるものがあった。
とはいえ、リズ達はただの一兵卒の兵士に過ぎないのだ。人類の生存圏をここまで押し込めた〈スタストール〉が動いたとなれば、一個人の楽しみや計画などを軍が考慮している余地はない。
ましてや、今は人類同士が互いを憎んで争っている最中なのだ。そんな時に〈スタストール〉の攻勢が再開されてしまえば、今度こそ人類は滅亡してしまう。それだけは、何としてでも避けなければならない事態なのだ。
……けれど。それは分かっているけれど。
「屋台、レヴと一緒に回りたかったなぁ……」
そう呟くレーナの落胆を、リズは
「……なにやってんの、あの二人」
後列で
一応、今は〈スタストール〉支配域と人類圏の境界線にいるのだが。危険域に居るのも関わらず隙だらけな少女達の有り様に、レヴは短く嘆息する。
「まぁ、仕方ねぇっちゃ仕方ねぇんだが……」
隣でアルトが苦笑するように笑うのを、レヴは不満を漏らす。
「アルトまでそんなに気抜いちゃってさ。今居る場所、分かってるの?」
「そりゃあまぁ、
個体差こそあるものの、大抵の〈スタストール〉は半径約二十キロメートル程度が
つまり、
長時間の行動が予想される今回の任務において、常に気を張っているのはあまり得策とは言えないけれど。
「それは、そうかもしんないけどさ」
アルトの言うことも、分かってはいるけれど。レヴが不服げに目を細めるのを、アルトは少し呆れたように笑った。
「お前もそう張り詰め過ぎなくてもいいんだって。まさか、帝国軍が居るわけでもあるまいし」
それから数時間ほど空を翔けて、眼下の雪原に見えてきたのは破壊された跡の見える建物だ。
何かの施設……、だったのだろうか。とはいえ、戦前に放棄されたにしては劣化が少なすぎるし、積雪の跡も所々がなくて、赤褐色の
それらの状況から推測するに……、恐らく、放棄されたのはつい最近だ。少なくとも、一ヶ月よりも前ではないだろう。
「……どうする?」
代表してアルトが訊ねて来るのを、レヴは暫し考えて。再び、口を開いた。
「もしかしたら〈スタストール〉の遺した何かが見つかるかもしれない。中を探索しよう」
雪原の中に立つアーチ状の門の前で、レヴ達は
羽毛のように柔らかな新雪を掻き分けながら、四人は建物の下へと進んでいく。門の上部には、何やら連邦以外の言語で書かれた文字板が並べられてあった。
それらを読んで、レヴは訝しげに眉を
「『働けば自由になる』…………?」
「なんだ、お前これ読めんのか」
「うん。これ、
六年前まではレヴもヴァイスラント帝国に居たのだ。簡単な文章ぐらいならば、翻訳を使わずとも読める。
翻訳魔術を起動していたらしいリズが、後ろで肯定の言葉を述べてくる。
「……確かに、レヴの読んだ通りに書いてあるわね」
「でも、なんでこんなところに
レーナの疑問に、一同は口を噤む。
〈スタストール〉は、既存の言語を使用しない。士官学校で習った、〈スタストール〉の性質の一つだ。
彼らの相互連絡には独自の言語を介しているとされており、人類とは一線を画した通信手段を持つとされている。
それらを勘案するに、目前の建物が〈スタストール〉に関する施設ではない可能性は高いのだが。
とはいえ、調べない訳にもいかないだろうと、レヴは口を開く。
「中を捜索しよう。何か、情報が手に入るかもしれない」
しんと静まり返った廃墟の中を、四人はかつかつと軍靴を鳴らしながら歩いていく。つい最近まで手入れがされていたらしく、中央歩道に積もる雪は薄かった。
左右に建つ建物はその殆どが爆破解体されており、赤褐色の
異様な静寂に包まれる中央歩道を奥へと進んで、四人は最奥にある一段と大きな建物の前で立ち止まる。
――ぞくり。と、何か嫌な予感がした。
頭を振ってそれを吹き飛ばして、レヴは告げる。
「……開けるぞ」
鍵が掛かっているかもと思ったが、存外に
静まり返った暗闇と陽光の射し込む光の螺旋の中には、大量の死体が放置されてあった。
奥から逃げてきたのを撃ち殺したかのように、彼らの
そして。それらの全てが。
連邦の大半を占める人種であり、かつ帝国では迫害の対象とされていた、レヴ達と同じ赤の黒の髪と目を持つ人たち。
「うっ…………!?」
「レーナ!?」
あまりに凄惨な光景に、レーナが吐き気を覚えてその場でしゃがみ込む。彼女の背中をさすりながら、リズは目を細めて低く呟いた。
「どうやら、ここは私達が思っている以上に業の深い場所のようね」
寂然とした空気の中で、リズの言葉が鋭く響く。
入口ですらこの惨状なのだ。この先に何が待ち受けているのかなど、最早分かりきっている。考えるだけでも、悪寒がした。
苦い物が込み上げてくるのを何とか飲み込んで、レヴは静かに告げる。
「……この先はおれとアルトで行く。リズは、外でレーナと――」
言いかけて。それを、可憐な少女の声が遮った。
「私も、一緒に行く」
声のした先、レーナはしゃがみ込みながらも、レヴを決然とした瞳で見つめていた。彼女のあかい双眸には涙が溢れていたが、けれども弱気な色ではなくて。
その色に、レヴは嘆息して呟く。
「無茶だけは絶対にしないで。気分が悪くなったら、直ぐに離脱して」
レーナがこくりと頷くのを見て、レヴは視線を再び暗黒の奥へと向ける。短く息を吸って、吐いた。
「行こう。ここで何が起きたのかを、見に」
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